* あなたが好きなあの人のこと 前・後、
あなたのことがだいきらいに続くおはなしです。
「
さん。ちょっと頼みがあるんですけど」
「なに? 沖田くん」
「花を買ってきてもらいませんか?」
「お花?」
「姉上の命日なんで、墓参りに行きたいんです」
「あぁ、そのお花。仏花でいいの?」
「いや、せっかくなんで、姉上が好きだった花を……」
青いバケツに無造作にいけられた色とりどりの秋桜を見下ろしていると、胸の奥がじりじりと焦げ付いた。赤、白、桃、橙、紫、可憐な花びらに細く華奢な茎は、どこにそんな力を秘めているのかまっすぐに天に向かって伸びている。儚く美しいままこの世を去ったあの人によく似ているような気がして、
は何とも言えず居心地の悪い気分になった。
は彼女のことが嫌いだ。顔を思い出したくもないし、名前を聞くだけで気分が悪くなる。彼女のためにこの花を買いにいかねばならないというだけで、今日一日気持ちが冴えなかった。どうしてもうこの世にいない人をここまで嫌うことができるのか、自分でも不思議なくらいだった。
「
?」
名前を呼ばれて振り向くと、今一番顔を見たくない人がそこに立っていた。
「土方さん」
「何やってんだ?」
「いえ、別に、何でも」
土方は怪訝そうな目をしてバケツから溢れ出しそうな秋桜を見下ろすと、火のついた煙草でそれを指差した。
「なんだ? これ」
「秋桜です」
「いや、それは見れば分かるけどよ」
「沖田くんに頼まれたんですよ」
「総悟に? 一体何に使うんだ?」
「分かりませんか?」
「何が?」
とぼけているのか、それとも本当に心当たりがないのか、
には判断がつかなかった。彼女について、土方と何かを話したことは今までに一度もない。きっかけがなかったし、意図的にその話題を避けてきた。だから、今の土方が彼女について何を思っているのか、
には想像する余地もなかった。
「……お墓参りに行くんですって」
その言葉を発するのに、
はありったけの勇気を振り絞った。
「墓参り?」
土方は考え込むように煙草を持った手で口元を抑えると、息を吸って、長く煙を吐き出した。その永遠にも似た瞬間、土方はやっとその意味を理解したらしく、「あぁ」と唸るように呟いて目を細めた。
「……そうか」
ようやく納得しても、土方の表情に変化はなかった。ただ無表情に秋桜を見下ろして、呼吸するように煙草を吸っている。いつもと全く変わらないその風情。それがほんの少し気に障って、
は言葉に刺を含ませた。
「土方さんは、一緒に行かないんですか?」
「俺は行かねぇよ」
「どうして?」
「俺が行ったってあいつが喜ぶと思うか?」
土方が言う「あいつ」とは、一体誰のことを指すのだろうか。沖田のことか、それともその姉のことだろうか。やはり、
には分からない。
「……喜ぶかもしれませんよ」
「んなわきゃねーだろ。どうせ下手に命狙われんのがオチだ」
どうやら、沖田のことだったらしい。
はこっそりほっとして、胸を撫で下ろした。もし、土方が今でも彼女のことを思っていて、墓参りに行けば彼女が喜ぶとほんの少しでも思っていたとしたら、胸が焦げ付くどころの騒ぎではなくなってしまいそうだった。
彼女は死してもなお、誰かの胸の中できらきらと美しい姿のまま生き続けている。彼女が好きだった秋桜の花に、その可憐な姿が重なるように。秋桜の花言葉は、「乙女の純潔」という。腹立たしいほど、彼女に似合いの花。
その美しさに、
は嫉妬していた。顔立ちや姿かたちだけでなく、彼女は心まで美しかった。友を捨て、体を売って生きてきた
には、目がくらむほど彼女が眩しかった。
だって、そんな風に生きられるならそうしたかった。けれど、そうはできなかったのだ。
「……そんなこと言ってないで、行けばいいのに」
「はぁ? なんで?」
「好きだったんでしょう? ミツバさんのこと」
恐る恐る横目で見ると、土方は心底嫌そうに目を細めて
を睨みつけていた。
「誰に聞いたんだよ?」
「誰ってことはないですけれど。みんな言ってますよ」
「そいつら、切腹する覚悟できてんだろうな」
土方は腰に差した刀の鍔を親指で押し上げ、刃の鋭い音を鳴らしてみせた。目の前に噂を流した隊士がいれば本当に刀を抜いて斬りかかっていきそうだった。そして、土方は否定も肯定もしなかった。その無言こそが肯定を意味しているような気がして、
は悲しくなった。土方はミツバのような、可憐でたおやかな女が好みなのだろう。きっと
の存在など眼中にすらない。そんなことは、分かっていたことだ。
「本当の本当は、どう思ってるんです? ミツバさんのこと」
分かっているのに、口が勝手に動いてしまう。どうして、自分で自分に止めを刺そうとしているんだろう。苦しい。こんなふうに生殺しにしないで、いっそひといきに殺してもらえたらいいのに。
は自分の心臓に爪を立てる。そうせずにはいられなかった。嫉妬に狂う醜く卑しい自分が、嫌で嫌でたまらなかった。
土方は短くなった煙草を灰皿で押しつぶすと、いらいらとしながらすぐに新しい煙草を咥えて火を着けた。ゆっくりと煙草を吸い、しばらく何も言わなかった。言葉が見つからないのか、考え込んでいるのか、そもそも答える気がないのか、
にはやっぱり、分からなかった。ただ、その沈黙が体中に突き刺さって痛かった。
「あいつの、」
煙草の煙を吐き出すのと一緒に、土方は呟いた。
「あいつの代わりに、総悟のことをちゃんと見ていてやろうって、思ってるよ」
その言葉は、
の鼓膜を優しく震わせ、静かに胸の奥に染み入った。喉元につかえていた何かがぽろりと落ちて呼吸が楽になり、ぬるま湯のように温かな何かが体の内に満ちて広がって、指先がほんのりと熱くなった。
「だったら、やっぱり行きましょうよ。お墓参り」
「いやだよ、総悟に何されるか分かんねぇし」
「黙ってこっそり行ったらどうです?」
「なんでそこまでして」
「それでも、行ったほうがいいと思いますよ」
がそこまで言うと、土方はやっと妥協したらしく、「考えておく」とだけ呟き、煙草の火が赤く光るのを見下ろした。その少しだけ丸まった大きな背中を、
は抱きしめたいと思った。
土方は、沖田には嫌われている。子どものいたずらというには度の過ぎた、バズーカや手榴弾を使った嫌がらせを受け続けて久しく、今日も今日とて副長の座と命を狙われて続けている。それでも土方は沖田を蔑ろにしない。いつも少しだけ離れた場所から、何か悪さをしでかしやしないかと目を光らせている。それはきっと、もうここにはいない彼女と交わした無言の約束なのだろう。沖田の存在そのものが、今でも土方と彼女を繋いでいる。その約束を守るために、土方は今日も沖田のたちの悪いいたずらを甘んじて受け続けている。
は、土方のこういうところを、とても好きだと思っている。そこに大嫌いな彼女の影が見え隠れしても、嫉妬で気が狂いそうになっても、土方のそばにずっといると決めたのは自分だから、もう弱音は吐かないことにした。
わたしがあなたを好きな理由
20151005