あなたが好きなあの人のこと 前編
真選組に家政婦がやってきた。名前は、と言う。主な仕事は炊事・洗濯・掃除で、男所帯の真選組に、女ひとりで住み込んで働いているらしい。
そんな噂を耳にしても、沖田ははじめ、の存在には全く興味を持っていなかった。隊士達が散らかした部屋もいつの間にか綺麗に片付いていて、まるで姿の見えない幽霊みたいに思えたのだ。姿を見せないのは、男所帯に気を使ってのことなのか、それとも仕事柄隊士のいない場所でしか働かないのか、一番隊隊長として建前上は忙しく働いている沖田の目には、の姿はなかなか捉えられなかったのだ。
「ここで働いてる家政婦って、どんな人なんですかぃ?」
ある夕食の席で、沖田は焼き魚を口に含みながらもごもごと言った。隣に座っていた近藤と土方は、それぞれ白飯をかっこんだり、味噌汁をすすったりしながら答えた。
「あぁ、料理がうまいな」
「特に味噌汁がいいな。出汁が効いてる」
「それは俺にも分かります。今、食ってるんで。そうじゃなくて、顔とか、性格とか」
「何だ、総悟。お前、まだちゃんに会ってないのか? ちゃんとみんなの前で紹介しただろ」
近藤は、ひげにご飯粒をくっつけた顔で言った。
「しょうがねぇよ、近藤さん。こいつ面通しの日に寝坊してサボりやがったんだ」
「あぁ、なんだ、そうだったのか。しかし、ちゃんが働き始めてもうひと月たつんだぞ? まだ顔も見てないとはどういうことだ?」
「いやぁ、あの人あんまり姿見せないじゃないですか。部屋も気がついたら綺麗になってるし、ゴミとかもいつの間にか回収されてるし。なんか幽霊がいるみたいで気持ち悪ぃんですよねぇ」
「幽霊に部屋掃除されるとか、非現実的なこと言ってんじゃねぇよ」
「そうですね。もし本当に幽霊だったら土方さんビビっちゃいますもんね」
「なぁ! 誰がビビってるってんだよ!」
「いや、そもそもちゃんは幽霊じゃないからな。落ち着け」
近藤がフォローを入れて、土方はやっと落ち着いた。
「どんな奴って、別に普通の女だよ。なぁ、近藤さん」
「そうだな。確か、歳はトシと同じで……。あ、これはシャレじゃないぞ?」
「出身は、どこっつってたかな。覚えてねぇや」
「顔は?」
「普通」
「お妙さんの次くらいに綺麗だな」
「性格は?」
「知らねぇ」
「お妙さんの次くらいに素敵だ!」
「……結局ふたりとも全然把握してないんですね」
沖田は呆れて、目を細めてため息をついた。人のことは言えないが、この2人の大人達は全く大人気なくていけない。
家政婦を雇ったなら、その素性をもっとしっかり調査すべきだ。もしそいつが攘夷志士の回し者だったりしたらどうする気なのだろう。呑気なのか、それとも、自分の腕に自信があるからなのか。たったひとりの女がなにか問題を起こしても痛くも痒くもないのだろうか。
近藤とも土方とも長い付き合いになるが、沖田よりも早く大人になってしまった2人の考えることは、沖田には分からなかった。
「失礼します。ご飯のおかわりお持ちしました」
ふと、女の声がしたと思ったら静かに襖が開いた。
「あぁ、ちゃん。ご苦労さん」
近藤は溌剌とを迎え入れた。
「食事はいかがですか? お口に合いますか?」
「あぁ、今日もうまいよ。今みんなで褒めてたとこさ。なぁ、トシ」
「味はいいけどな。マヨネーズが足りねぇ」
「え? まだ足りないんですか?」
「あぁ、ちゃん! 気にしなくていいから! トシのこれは病気だから。本当、気にしないで!」
近藤は大きな声で笑いながら、におかわりをよそってもらっている。土方はマヨネーズが足りていないらしい焼き魚(8割がたマヨネーズに埋まっている)を悲しげに見下ろしてため息をついた。
沖田はふたりのそんな様子を眺めながら、はじめてまじまじと見るを観察した。地味な色の着物、とりたてて特徴のない顔立ち、首が細くて色が白い。ふたりの言うこともあながち外れてはいなかったらしい。特別なところは何もない、いたって普通のどこにでもいそうな女だった。
「そうだ、ちゃん。総悟がちゃんときちんと挨拶してないこと気にしててな。今いいか?」
「えぇ、もちろん」
近藤が急にそんなことを言うので、沖田は箸をくわえたまま瞬きをした。
「総悟。いい機会だから、きちんと挨拶しておけ」
「はぁ」
「一番隊隊長の、沖田さんですか?」
が言った。
「はじめまして、です。ひと月前からお世話になってます」
「いえ、こっちこそ。ちゃんと挨拶もしないで、失礼しやした」
は少し首を傾げ、たしなめるように笑った。
「箸を咥えたまましゃべるのは、お行儀が悪いですよ?」
沖田は少し迷ったあと、ゆっくりと箸を下ろして、無意識のうちに膝の上で両手を揃えた。自分でも驚いたが、そうしなければいけないような気がしたのだ。実の姉が優しく叱ってくれた時と同じように。
「はい。すいやせん」
「いいえ。顔を合わせることも少ないと思いますけれど、よろしくお願いしますね」
「はい。あ、飯、うまいです」
「ありがとう」
近藤と土方が、何か珍しいものを見るような顔で自分を見ていた気がした。けれどそれどころではなくて、嫌味のひとつも言えなかった。
それが、沖田との出会いだ。
沖田はゆっくりと考えて、ひとつの答えを絞り出した。は、姉のミツバに少し似ているのだ。近藤の実家の道場に世話になっていた頃、ミツバも弟子たちに食事を振舞ったり、汚れた着物を洗ってくれたりしたことがあって、が家事をしている姿を見るとミツバが重なって見えた。
江戸でを雇うなら、武州からミツバを連れてくればよかったではないかと、思ったこともある。けれどミツバは体が弱く病持ちだから、そんなことは初めから不可能だ。そもそも土方がそれを拒絶して許さなかったのだし、もしもはない。
沖田は、を見ると複雑な気持ちがするようになった。を見ると、ミツバを思い出して懐かしいような気持ちになった。けれど言葉を交わすと、やはりミツバとは違うことを思い知らされてがっかりすることもあった。だから、とどう接したらいいのか、よく分からなかった。
「あ、沖田隊長」
「おぉ、山崎」
監察方の山崎は、書類の束を片手に言った。
「副長を見かけませんでしたか? さっきから探してるんですけど、見つからなくて……」
「副長室じゃねぇのか? そこにいねぇなら、他に心当たりはねぇよ」
「そうですか。まぁ、後でいいか」
山崎は困ったように頭の後ろをかく。山崎が困っているところで、沖田は何をしてやろうという気にもならないのだけれど、ふと、思いついたことがあって、沖田は山崎を手招きした。
「山崎。ちょっと聞きてぇことあんだけど、いいかぃ?」
「何ですか?」
沖田は人気のない縁側まで山崎を連れて来てから、何気なく言った。
「お前、今、何の仕事してんでぃ?」
「副長から頼まれた案件を片付けてますけど、それが何か?」
監察方は土方が牛耳っていて、その情報は沖田の耳にはなかなか入ってこない。けれど、山崎は比較的口が軽いことを沖田は知っていたので、鎌をかけてみることにした。
「実は、その件で聞きてぇことがあんだけど」
「あ、沖田隊長も知ってたんですか?」
「おう。で、星と攘夷志士との繋がりは見えたのか?」
山崎は書類綴りをぱらぱらと捲りながら答えた。
「いいえ。今のところ特に怪しい情報はないですね。と言っても、まだ職歴の虚偽記載がないかどうか調べたくらいなんですけど。まぁ、勤めていた店も多いし、ましてや当時働いてた風俗店の従業員や客までたどり出すとキリがないので、適当なところで打ち切ろうかと思ってます」
「風俗店? さんってそんなとこで働いてたのか?」
「そうらしいですよ。まぁ、きちんと風営法に準拠した健全なお店ばかりみたいですし、副長が言うようないかがわしいことはないと思いますけどねぇ」
「土方さんはそんなにさんのこと疑ってんのかぃ?」
「そうなんですよ。どうしてあそこまで疑うんですかねぇ。あんなにいい人なのに、いっそ失礼なくらいですよ。そう思いません? 沖田隊長」
「あぁ、そうだな。お前の口が風船より軽いってことがよく分かったよ」
「え?」
表情を強ばらせた山崎を尻目に、沖田は何食わぬ顔で踵を返す。その背後で、山崎が「よくも嵌めましたね!!」と大声を上げていたけれど、無視した。聞いていないことまでぺらぺらと喋る方が悪いのだ。あいつ、絶対監察方に向いてない。
土方は、きっと近藤にも秘密でのことを調べさせているのだろう。あの人ならやりそうなことだ。
けれどまさか、あの穏やかなが風俗で働いていたとは思わなかった。ミツバと似ていないところがひとつ見つかって、沖田はほっとした。
があまりにも姉に似すぎていると、どんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまう。沖田は、姉が恋しかった。だから、の顔を見ると嬉しかった。ミツバと重ねることができるからだ。けれど、とミツバは違う。よく考えれば当然のことだ。ふたりは別の人間なのだから。それが分かって、沖田はほっとした。
ふと、通りがかった部屋で、の姿を見つけた。洗濯物をたたんでいる最中らしく、隊士30人分のシャツや下着が山積みになっている。声をかけようかと口を開いた瞬間、全く別の方から声がした。
「おぉ。邪魔するぜ」
「あら、土方さん」
奥の襖を開けて現れた土方は、洗濯物の山を見やってから、に向かって「ご苦労さん」と言った。
「何か御用ですか?」
「あぁ。松平のとっつぁんに急に呼び出されてな。夕飯、俺と近藤さんの分はいらねぇから」
「分かりました。お戻りは?」
「さぁな。酒に付き合わされて朝になるかもしんねぇから、先に休んでていいぞ」
沖田は2人の会話に聞き耳を立てながら、縁側に身を隠した。なんとく、入りづらかった。
土方は姉のミツバと懇意にしていたことがある。お互いに気持ちを伝えることはなかったはずだけれど、江戸に旅立つ前、2人の会話を立ち聞きしてしまった沖田はその時の姉の言葉をよく覚えている。土方のそばにいたいと、ミツバは言った。土方はそれを拒絶した。
自分から姉を奪っていく土方が許せなかったし、姉をひどく傷つけた土方を許せなかった。それは今も変わっていなくて、あんな奴死んでしまえばいいと本気で思っている。いくら小細工をして命を狙ってみても、運がいいのか悪いのか、土方を怒らせるだけの結果に終わっていて、けれど、本当に土方を殺してしまったら近藤や門弟がひどく悲しむのが分かっているから、命を狙うふりをして土方をからかい倒すことにしたのだけれど、土方のやることなすことが気に食わないのは、もう癖のようなものだ。
だからだろうか、とふたりで他愛のない話をする土方すら、気に食わなかった。ミツバを幸せにできないような奴が、他の女に手を出して満足したりするんじゃねぇと、思う。はミツバに似ているところがあるから、なおさら腹が立った。そんなことするくらいなら、ミツバの思いに応えてやる事だってできたはずだろうに。
腹の虫が収まらないのを感じて、沖田はその場を離れようとした。できることなら今すぐ土方に手榴弾を投げつけてやりたかったけれど、がそばにいる手前、そんなことはできない。
こっそり踵を返そうとした時、沖田の耳にの言葉が突き刺さった。
「へぇ。沖田くんには、お姉さんがいるんですね」
足を止めた沖田は、息を詰めた。耳障りな土方の声が、その後に続く。
「あぁ。お前と同じくらいの歳だったかな」
「そうなんですか。一度会って、お話してみたいです」
「気ぃ合うんじゃねぇか。お前ら、どっか似てるような気がする」
「沖田くんのお姉さんに?」
腹の底がぐらりと煮えて、沖田は片手で顔を覆った。怒りで呼吸が荒くなる。今すぐ、刀を抜いて土方に斬りかかりたかった。どの口で、そんなことを言うのだろう。姉の気持ちを知っていながらひどい言葉で拒絶したくせに。
沖田は耐え切れなくなって、走ってその場を離れた。
沖田の存在には気付かなかった土方は、沖田が今までそこにいた縁側に出て、煙草の煙を吐き出した。
「顔が似てるんですか?」
「いや、見た目は似てねぇけど」
「じゃぁ、性格?」
「いや、それも全然似てねぇよ」
「それじゃどこが似てるって言うんですか?」
「そうだな、雰囲気っつーか、なんつーか……。総悟がお前に懐いてるから。そうなのかと思ったんだ」
「懐いて、くれてますか? そんなにたくさんお話もしてないですけど」
「はじめて、夕飯の席で挨拶した時、あんな大人しくて愛想のいい総悟は初めて見たんだ」
土方は煙を長く吐き出しながらあさっての方を眺めている。はその横顔を見上げながら、手を休めずゆっくり洗濯物をたたみつづけている。
「やる気はねぇし、いつもふざけてやがるし、人好きもしねぇ奴なんだけどな。餓鬼の頃から甘ったれなんだ。特に姉貴には」
「そうなんですか」
「だから、生意気なこという事もあるかもしんねぇけど、大目に見てやってくれ」
「はい。分かりました」
膝の上に洗濯物をおいて、土方を見上げながら、は静かに微笑んでいる。その笑顔は、確かにミツバとは全く似ていなかった。髪の色も、顔立ちも、服も、仕草も、どこをとってもミツバを思い起こす要素はひとつもない。沖田がなぜ、のことを懐かしそうな目で見るのか、土方には分からなかった。姉に会えない寂しさがそうさせるのだろうか。
「土方さんは、優しいんですね」
思いがけないことを言われて、土方は煙草の煙に咽せた。
「はぁ? 急に何を言ってんだお前は?」
「沖田くんのこと、心配なんでしょう?」
「ばっ……! 誰があんなクソガキの心配なんかするかよ!」
照れた土方は頬を染めて大声を上げたけれど、はそれを見て、またにこにこと笑った。
20141208
よく似た女同士は仲良くなんかならないんだぜって、土方に耳打ちしたい。
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