あなたが好きなあの人のこと 後篇








土方とが、ふたりで話をしている。土方は煙草の煙をくゆらせながら、ぼんやりとあさっての方を向いている。はその横顔を眺めて、穏やかに微笑みながら他愛もないことをしゃべっている。その声は小さすぎて、副長室の前庭に忍んでいる沖田には、何を話しているかまでは分からなかった。の声は、リズミカルなこもりうたのようだ。心地よくて、眠気を誘われる。

木陰に隠れてまぶたを伏せた沖田の手には、卸たてのバズーカが握られている。土方を試し打ちの的にしてやろうと思って庭に忍んできたまではよかったのだが、タイミングよくがやってきてしまって、機を逸してしまった。

の笑い声に、土方が相槌を打つ。それは、普段隊士達を怒鳴りつける声とはまるで別物だった。いつの頃からか、土方はとふたりでよく話をするようになった。おそらく、山崎がの身辺調査に見切りをつけた頃からだ。に対する疑いは晴れたのだろう。けれどそれだけでは、土方のあの気の抜けた顔つきやふぬけた声に説明がつかない。

たぶん、土方はのことをとても気に入っているのだと思う。それが何故かまでは分からないが、おそらくのことをそばに置いておきたいのだと思う。

はミツバと似ているから、だろうか。だから、土方はに惚れたのだろうか。

そう考えて、沖田は嫌な気分になった。ミツバを忘れられなくて似た女に手を出すくらいなら、当の本人を幸せにしてやればよかったじゃないか。そう思って、ぎりと唇を噛んだ。

「沖田くんは、何が好き?」

割烹着姿のに問われて、沖田はきょとんと目を丸くした。

「食いもんの話ですかぃ?」

「そうよ。献立の参考にするから、よかったら教えてくれる?」

「しいて言えば、たこの酢の物ですかねぇ」

「まぁ。年の割に渋いのね」

「よく言われます」

夕飯の準備をしている最中の台所は夕餉のあたたかな香りに満ちていて、沖田は頭がくらくらした。ここは平和で幸せな空気に満ちている。武装警察真選組の屯所のど真ん中に、こんなに穏やかな場所がある。なんてちぐはぐな空気だろうと思う。

沖田があんまり居心地悪そうな顔をしているので、は困ったように笑って、首を傾げた。

「私、そんなに沖田くんのお姉さんに似てるかのな?」

沖田は驚いた。からそんなことを言われるとは、思いもよらなかったのだ。

「なんですか? 急にそんな……」

「なんだか、懐かしそうな顔してるから」

沖田は何も考えられない頭の片隅で、懐かしい姉の笑顔を思った。とミツバと、どこがこんなに似ているのだろう。あれからずっと考えているけれど、まだよく分からない。

「……姉上のこと、誰から聞いたんで?」

割烹着から伸びたの腕は細い。その細腕で、大きな鍋を軽々と持ち上げた。ミツバは力が弱くて、そんな重たいものは一人では持ち上げられなかった。

「土方さんよ。武州にいた頃、よくお世話になってたって」

「……そうですか」

は鍋を流しに下ろすと、食器棚から人数分の皿を出してテーブルの上に並べていく。くるくると忙しなく働く姿は機敏な警察犬のようにも見えて、沖田はぐっと眉根を寄せた。ミツバは病持ちで体力もなかったから、てきぱきと働くというよりももっと、静かで穏やかに家事をしていた。

「お姉さんと私、どこが似てるの?」

「土方さんは、なんて言ってました?」

「土方さんは全然似てないって言ってたわ」

弾かれたように顔を上げて、沖田は目を丸くする。は皿に豚の角煮を盛り付けながら言った。

「印象なんて人によって違うものだと思うけど。似てるだの似てないだの言われたら、当人としてはちょっと気になるのよ?」

「土方さんは、似てないって、言ったんですか?」

「そうよ。見た目も性格も、全然だって」

台所用の丸椅子にどさりと腰を下ろして、沖田はぼんやりと床を見下ろした。土方は、ミツバと似ているからに惚れたのだと思っていたけれど、そうじゃなかったのだ。だったら、に感じるこの既視感の正体は、何なのだろう。

「角煮、味見する?」

は小皿にひと切れ、角煮を乗せて沖田に差し出した。

「はぁ。いただきます」

進められるままに口に含むと、豚肉の脂の甘みと醤油の風味が口いっぱいに広がった。美味かった。

「お姉さんは、どんなお顔立ちなの?」

に促されるまま、沖田は思いつくままに話した。

「丸顔ですねぇ。こう、目とか丸くてでかくて。病気がちだったから、色も白くて」

「髪は?」

「長いのをいつもまとめてましたね。栗色のきれいな髪で」

「沖田くんとお揃いね。好きな、着物は?」

「すみれ柄の着物をよく着てました。それから、桃色の小花柄とか」

「へぇ、桃色が似合うなんて羨ましい」

さんもきっと似合いますよ」

「着たことないわ。桃色なんて」

の今日の着物は、深い藍色に鈴蘭の模様だった。割烹着を着ているので柄は目立たなかったが、落ち着いた色合いだ。髪も簡単にひとつにまとめているだけで洒落っ気はない。腕には火傷の痕だろうか、しみのようなものがいくつも残っていた。

とミツバは、全然、似ていない。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

「沖田くんは、お姉さんのことが大好きなのね」

恥ずかしいくらいまっすぐなの言葉に、沖田は素直に頷いた。

「……はい」

たぶん、女と見ればその全てがミツバに見えるほど、ミツバが懐かしくて恋しかったのだ。武州から江戸へ出てきてもう何年も経つ。けれど、里帰りは一度もしていない。金が入るたびに仕送りをして、手紙で何度かやり取りをしたけれど、顔はずっと見ていない。

そして、土方に関わるもの全てが憎らしくて、土方を憎むための材料はいくらでも欲しかった。自分のことながら、あまりの子どもっぽさに嫌気が差した。

「お姉さんは優しかった?」

「はい。親が早くに死んでたんで、もう俺の親代わりっていうか、そんな感じで。すげぇ甘やかしてもらってましたねぇ」

「あぁ。確かに、沖田くんは大事に育てられたって感じするわよね」

「そんなこと、初めて言われました」

は最後の角煮を盛り付け終わって、空いた鍋に水を張る。副菜の漬物ともう一品のきんぴらごぼうは惣菜屋から調達したものを用意しているようで、大皿に山盛りになっている。具だくさんの味噌汁がコンロの上でぐつぐつと煮えていて、その火加減を見ながら、は淡々と言った。

「そうだと思うけど。お姉さんだけじゃなくて、沖田くんが気づかない内にいろんな人に守ってもらって、大事にされてきたんじゃないかなぁ」

「気づかないうちにってんなら、俺には知る由もないですねぇ」

「あははっ。そうね」

小鉢で味噌汁の味を見て、は満足げに頷いた。

「うん、美味しい」

こんなに家庭的な人が、どうして土方なんか選んだんだろう。純粋にそんな疑問が浮かんで、沖田は問うた。

さんは、土方さんのどこに惚れたんで?」

沖田がそう聞くと、はあんなにてきぱきと手際よく働いていた動きを止めて、目を丸くして沖田を見た。

「土方さんの、なにが、なんて?」

「どこに、惚れたのか、聞いたんです」

は何を驚いているのか、瞬きもしない。考え込んでいるでも、言葉を探しあぐねているでもなく、完全に一時停止してしまった。このまま返事を待つのは酷に思えたので、沖田はため息とともに言った。

「分かったら、教えてくださいね」

はぼんやりと、曖昧に頷いた。が一体何にあんなにも驚いたのか、沖田にはいくら考えても分からなかった。

が答えを出したのは、それから一週間ほど経ったある日、屯所の前庭で隊士達が一斉稽古をしているときのことだった。近藤が大きな声で隊士に喝を入れているその外れで、は縁側に正座して楽しそうに隊士達を眺めていた。

十番隊隊長の原田から一本取って昏倒させた沖田は、涼しい顔をしてのそばまでやってきた。は濡れた手ぬぐいを差し出しながら微笑んだ。

「お疲れさま」

「どうも。さん、こんなの見てて楽しいんですかぃ?」

の隣に腰を下ろして、手ぬぐいで汗を拭いながら沖田は聞いた。

「うん、面白いわよ。子どもの頃、こうやって寺子屋の友達の稽古を眺めてたことがあってね、懐かしくなるわ」

さんはやらなかったんで?」

「ちょっとだけ習ったことはあるけどね、向いてないみたいですぐにやめちゃった」

「へぇ」

はずいと膝を沖田の方へ寄せると、口元に片手を添えてこっそり言った。

「この間は、すぐに答えられなくてごめんね」

沖田は秘密めいたの瞳に意識を向けながら、土方の方を見やる。相変わらずミントンの素振りをしている山崎に怒鳴っていて、のことは気にも留めていなさそうだった。

「答え、出ましたか?」

のまねをして、沖田は声をひそめた。はふふふといたずらっぽく笑って言った。

「答え、らしいものは出たけど、それは、沖田くんには教えないことにしたわ」

「何でですか? 教えてくださいよ」

「それじゃ、沖田くんが土方さんを嫌いな理由を教えてくれる?」

沖田は竹刀の柄を握り直して考える。土方とミツバの話をに聞かせることに、何の意味があるだろう。沖田の大切なものを横からかっさらっていく土方。ミツバだけでなく、土方に奪われたものは他にもたくさんある。それを全てに話すのは、なんだか気が引けた。だってなんだか、みっともない。

沖田は苦笑して、肩を落とした。

「それは、勘弁して欲しいですねぇ」

「それじゃ、おあいこってことで、この話はおしまい」

は頬に手をついて可愛らしく笑った。何がそんなに楽しいのか、沖田には分からなかったけれど、この掴みどころのなさがの魅力なのだろうと思えて、沖田も微笑み返した。

「おい、総悟! なにさぼってんだオラァ!?」

土方の怒声が飛んでくる。土方は片手で山崎の胸ぐらを掴んでいて、山崎はすでにぐったりしていた。

「すいやせん、土方さん。ちょっとさんと積もる話があったもんで」

ね? とを見やって首を傾げると、もそれに合わせて「ね?」と首をかしげてみせた。

「あぁ? 一体何の話だ?」

土方は沖田とが座り込んでいる縁側までやってくると、ふたりの顔を交互に見やって不思議そうな顔をした。

「土方さんには関係ない話ですよ。ね? さん」

「えぇ。すいません、土方さん」

土方は面白くなさそうに眉根を寄せる

「お前ら、いつの間にそんな打ち解けたんだよ?」

「やだなぁ、土方さん。俺に妬かないでくださいよぉ」

「だっ! 誰がだ!? 妬いてねぇよ!」

「妬いてくれないそうですよ、さん」

「あら、寂しい。私も、もうちょっと頑張らなくっちゃね」

「だから何でそうなるんだ!! いい加減にしろよてめぇら!!」

顔を真っ赤にして怒鳴る土方を指差して、沖田はにやにやと笑い、は沖田に付き合ってくすくすと笑う。土方をあそこまで怒らせて平気で笑っていられるのは、これまで沖田くらいしかいなかったので、隊士たちは呆気にとられた。は土方に怒鳴られながら平気な顔で笑っていた。

土方がを気に入っているらしいという噂は既に隊内中に広まっていたけれど、この一件で隊士たちは確信した。土方は、どうやらに本気らしい。

そして、いつの間にか沖田と仲良くなったは、この後何度か沖田が土方をからかうために仕掛けたいたずらを少し手助けしたりしたのだけれど、そのたびにまんまと罠に引っかかってしまう土方がだんだん哀れになってきたので、それはやめてしまった。

土方が不器用なやり方で沖田を見守っていること、そしてそれはきっと、沖田の姉の代わりにそうしてやっているつもりなのだろうし、沖田がその気持ちを素直に受け取れずに、あんなに性格がねじ曲がってしまったのだとしても、それが二人の信頼の形なのだろう。

そんなふたりと友人でいられることが、はとても嬉しくて、楽しかった。




20141208




沖田やミツバについてちょっと考えてみたんだよって話。