10 : 惨劇の中で、ひとつ。





「お帰りなさい」

路上の片隅、暗闇の中。ラストがさらに濃い闇の中から現れたエンヴィーにそう言葉をかける。
ラストを肩に乗せて親指をくわえたままぼーっとしていたグラトニーも、それに気づいて視線を向けた。

「おかえりー」

「おぅ。そっちもお疲れさん」

「ちゃんと送り届けてきたの? ずいぶん早いじゃない」

「美人の軍人さんが迎えに来てくれててね。任せてきたよ」

「そう。死んでしまわなければいいけれど」

彼らはつい先ほど、セントラル市内にある第五研究所を崩壊させた。
そうせざるを得なくなったのは、鋼の錬金術師、エドワード・エルリックが進入してきたためだ。
大切な人柱にまだ情報を漏らすわけにはいかないけれど、殺してしまうわけにもいかない。

「死にゃしないだろ? あのやんちゃ坊主が」

「……それもそうね。あぁ、そういえばエンヴィー、ちょっと聞きたいんだけれど」

ふと、ラストはさらりと髪を肩口で滑らせてエンヴィーに視線を向ける。
豊和な胸を持ち上げるように腕組みをして、エンヴィーは腰に手を当てて面倒くさそうに振り返った。

「なに?」

「イシュヴァールで会った女の子、覚えてる?」

「さぁ? 人間のことはさっぱり」

考えもせずエンヴィーはそう言って、けれどラストは呆れも怒りもせず、淡々と言葉を続ける。

「グラトニーが目の前で親を食べちゃった子よ」

「んー……。あぁ、あれか。その子は食べそこねたんだっけ」

「そう。あの子、今イーストシティにいるわ」

エンヴィーは軽く目を見開いた。
けれどそれは驚きのためではなく、意外さのためだ。

「へぇ。なんでまた? ていうかあの状況でよく生きてたね」

「さぁ。分からないわ。消しておいた方がいいかと思ったんだけど……」

「消してないの? 何やってんのさ、人間ひとりくらいちゃっちゃっと殺っちゃいなよ!」

エンヴィーは思わず声を大きくしてオーバーに両腕を振った。
けれどラストはちらりとグラトニーを一瞥して、やり切れないように前髪を掻き上げる。

「邪魔が入ったのよ。軍人みたいだったから下手に手が出せなかったの」

「それじゃぁ、今からオレが消してきてやるよ」

「その必要はないわ。彼女、記憶喪失みたいだから」

「はぁ!? なにそれ!?」

落ち着き払っているラストと、意外な話題ばかりで過剰反応するエンヴィー。普段はあまり見られない光景だ。

「とにかく、そういう子がイーストシティにいた。それだけ言っておきたかったの」

「お父様に直接報告すればいいだろ」

「そんなに大げさなことでもないと思うけれど?」

「……あぁ、まぁ、それもそうか」

ホムンクルスの三人は、その後少し会話した後(実際に会話をしたのは二人だが)二手に分かれて夜闇に紛れた。



ロイとホークアイがの家へ着いたのは太陽が地平線の向こうに落ちた後だった。

部屋の扉を開けたは予想外に明るい様子で、ロイは内心拍子抜ける。
パジャマの上にカーディガンを羽織っただけの軽装ではあったが顔色もよく、
紅茶を入れながら、は笑顔で言った。

「わざわざ来てくださらなくてもよかったんですよ? 明日はちゃんと行こうと思ってたし……」

「けれど一週間近くも休んでいるんだもの。みんな心配していたわよ」

ホークアイも、とはあまり面識はないはずなのに穏やかな笑顔でそう言った。
同姓だから気の遣い方もよく分かっていたのだと思う。
それに何よりが元気だったことで、心底安心しているようだ。

けれどロイはどこか腑に落ちていなかった。
そしてタッカー事件の時、医務室のベッドにいたを思い出す。
覚えていない夢のことを話したの真剣なまなざし。
今こうして明るく振る舞うとは結びつかない表情だ。
どうみても無理をしているとしか思えなかった。



「はい、なんですか?」

「座りたまえ」

「でも、夕飯まだなんですよね? 何か出しますよ」

「かまわなくていい。座れ」

は困惑して、ホークアイに助言を求めるような視線を送ったけれど、ホークアイは促すように頷いた。
は戸惑いながらも静かに腰を下ろして、不安げにロイを見やる。

ロイはを真っ直ぐに見つめて、じっくりと言葉を選んだ。
言いたいことは決まっていた。ただ、を傷つけるような言い方はしたくなかった。

「……過労で倒れたということだったが、本当にもういいのか?」

「はい。大丈夫です」

「そうなった原因に心当たりはあるのか?」

ふと、は視線を落として表情に影を落とした。
ロイはじっと、それを見守って答えを待った。

「……はい」

「言ってみろ」

「……」

は黙り込んで、膝の上に置いた手のひらをぎゅっと握りしめている。
うつむき加減の視線は床に落ちたまま動かない。

「私には言えないことか?」

「いいえ、そういうわけじゃ……」

「ならなぜ黙り込む?」

少し語調を強めるとは恐縮したのか小さく肩をすくめる。
それを見てホークアイが非難難の視線を寄こすがロイは気に留めなかった。

「夢を見るせいだろう?」

「……」

「その夢が、君の過去と繋がる点があるような気がしているから、そんなにも気に病んでいるんだろう?」

「……どうして分かったんですか?」

は顔を上げて、不思議そうにロイを見た。
ロイは当然のことだといわんばかりに腕組みをして、ソファの背もたれに寄りかかった。

「君に話を聞いてから、ずっと考えていた」

「何を……?」

「君に、私の知る君の過去を話すべきかどうかをだ」

そうロイが口にしたとき、の表情が一変する。
調べても何の情報も出てこない、住んでいた場所も、名前すら分からない孤児だとずっと聞かされてきたのに。
そう言いたげな表情だった。

「話してくださるんですか?」

「私が知っているのは君を保護したときの状況だけだ。話しても何が変わるわけでもない」

「けれど、話すべきか考えたって……」

「それが君が夢に見ていることだと教えようか考えたと言うことだ。
それで君の悩みは解消するのかと考えて、話さないことにした」

「……どうしてですか?」

「そんな夢を見るのは一時的なものだと思ったからだ。しばらくすれば見なくなるだろうと、そうも思った」

「……」

「だがそうはならず、結果君は過労で倒れるほど追いつめられてしまった。……私の責任だ。すまなかった」

「……大佐が、謝ることありません」

はもう一度視線を落とすと、意識的に呼吸を繰り返して決然とロイを見つめた。
握った拳の下で、パジャマのしわが濃くなる。
わずかに肩が震えていて、それを見逃さなかったホークアイは立ち上がっての隣にしゃがみ込むと
小さい子供をあやすような手つきでの肩を撫でた。

「私、……たぶん、昔会ったことがある人に会いました」

「それは、君が記憶を失う前に過去に出会った人物、ということか?」

「はい。でも、顔を見た途端、怖くて動けなくなってっちゃって。そこにちょうどフュリー曹長が居合わせて……」

「”過労”は建前か?」

「曹長が、そう言っておけばしばらく休みが取れるからって、気を遣ってくださったんです。
曹長は悪くありません。私がいけないんです」

は「すいませんでした」と言って静かに頭を下げる。
そうしてしばらく顔を上げなかった。どうしたのかと不安になったが、
ホークアイがハンドバッグの中からハンカチを取りだしたのを見てロイは理解する。

の手の甲に、涙のしずくがぽたりと落ちた。

「……タッカーさんの事件もきっと昔に会ったことのある人も、どちらもとても、怖かったんです。
そんな記憶なら、いりません。」

ホークアイはの手にハンカチを握らせて、はそれを両手で顔に押しつけた。
けれど湿った声はどこまでも真っ直ぐで、の気持ちはしっかり固まっているのだとはっきり分かった。

「君がそう思っているのなら、私からは決して言わない」

「……ありがとうございます」

はその言葉を最後に、膝の上に泣き崩れて顔を上げなかった。
ホークアイがずっとその背中を撫で続けていて、ロイはただそれをじっと見守った。
の涙の意味を想いながら、ロイはただ口を閉じて目を伏せていた。



20050619