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09 : あの言葉 イシュヴァール殲滅戦でのことだった。 その日は雨が降っていて道はぬかるみ、焦げた瓦礫が一面に広がる村の焼け跡。 所々に見える人間の死体。雨に洗い流されて血は地面に染みこみ、腐臭もない。 イシュヴァール人が一般人の集落を襲撃したと連絡を受けてやって来たはいいが、 すべてはもう終わった後だった。生きた人間の姿は見あたらず、雨の音以外に音はない。 「……君は……?」 その中でひとり、泥の中に座り込んで震えていた少女を見つけた。 この状況にもかかわらず生き残りがいたことに正直驚きながら、 少女の恐怖に見開かれた瞳を見て戦慄を覚える。 この少女は、戦争に巻き込まれて傷を負い、ただ弱っただけの少女ではない。 直感的にそう感じた。 一歩少女に近づくと、頭をかばうように両腕を持ち上げてその隙間からじっとこっちを見上げていた。 まるで取って喰われてしまうとでも思っているかのように怯えていた。 生まれたての獣の子供のようだと、その時思った。 「誰」 少女は予想外に鋭い言葉を吐く。 それは獣が敵を威嚇する様にそっくりで、まるで人間離れした行動だった。 なぜだろうか、ふいに笑いがこみ上げる。 この少女を、心の底から、助けたいと思う自分がそこにいた。 まるで獣のような、人間離れした少女を。 放置しておけば明日にでも勝手に死んでしまいそうな少女を。 助けたところで自分利益など何ひとつないであろう少女を。 無意識のうちに少女の前に片膝をついた。 視線の高さを合わせると、少女はさらに深く頭を抱え込んで身を小さくする。 足を怪我していて、動くことはできないようだった。 泥だらけの手を取って強く握りしめる。 最初はその手を振りほどこうともがいていたが、無理だと分かると涙で揺れる瞳を静かに持ち上げた。 もう体力も限界だったのだろう。握りしめた手のひらは力なく垂れ下がってその上冷たく、まるで死人のようだった。 「それは、また次に会ったときにでも答えよう。今は休め」 落ちくぼんだ瞼に触れてゆっくりと目を閉じてやる。そうしてそのまま少女は気を失った。 泥の中に倒れる前に抱き留めて、骨が浮くほど細い肩を抱いた。 「……ロイ?」 背後の誰か立った気配がして、それが友人であるマース・ヒューズだとは声ですぐに知れた。 首を回して振り返ると、ヒューズは雨の中、あまり見せることのない真剣な、 けれどどこか憤ったような顔で自分を見下ろしていた。 「……どうするつもりだ? その子」 「保護したら何かまずいことでもあるのか?」 「お前の仕事じゃないだろう。部下の誰かに命じて……」 「オレが本部に連れて行く。一般人なんだ、死なせるわけにはいかない」 「お前自身がそうすることに何の理由があるんだ? それに、ここからじゃ距離がありすぎる。 明日の作戦のこと、お前だって分かってるだろ?」 「もうしばらく行けばアームストロング少佐の隊の野営地がある。そこまで行けば 応急処置ぐらいできるだろう。そこから先は少佐の隊に任せる」 「それでも遅れは出る! お前……!」 ヒューズが自分の肩を掴んで、その手が軍服を通して肩の関節に食い込んだ。 それでも少女を抱き抱えた手を離す気にはならなくて、余計に強く少女を抱きしめた。 とにかくその時は、この少女を守り抜きたかった。 「少佐の隊までこの子を送り届ける」 「……ロイ」 「手伝ってくれ。もういつ死んでもおかしくない状態だ。栄養剤を」 どうして、その少女を助けようとしたのか。 どうして、部下に任せようとしなかったのか。 どうして、自分で守りたいと思ったのか。 その時に考えたことはもうはっきりと覚えていない。 覚えているのは、側にいた友人の言葉と、頬に感じた少女の息づかいだけだ。 「……お前自身がその子を助けることにメリットはないぞ」 ヒューズはそう言った。 だから、こう答えた。 「オレがそうしたいんだからいいんだ」 「……その後は、どうなさったんですか?」 隣を歩いているホークアイが自分を見上げながらそう問うた。 黒いコートが夜の冷たい風にひるがえる。ホークアイの分けた前髪がそれと同じリズムで揺れていた。 仕事を早く切り上げての家へ行くかわりにホークアイが出した条件とは、 ホークアイ自身もの家へ着いてくることだった。 「言ったとおりだ。少佐の隊にを届けて、それから目的地に向かった。 上官には死ぬほど怒鳴られたがな。それはその後の戦績でチャラになった」 「そして少佐がちゃんを本部に送り届けた、と……」 ホークアイは視線を落として、規則正しく前髪を揺らしている。 暗闇の中でその赤茶の瞳は真っ直ぐだった。 あの時の、ヒューズに瞳の真剣さにすこし似ていた。 「……どうして大佐は、そこまでしてちゃんを? ヒューズ中……准将のおっしゃったとおり、部下に任せるのが一番だったのでは?」 「その時、何を考えていたのかはっきりとは覚えていない」 そう、なぜかと言えば、きっとそれが自分にとっての精一杯の「逃げ」だからだ。 アームストロング少佐が、爆炎と砲弾の嵐にさらされ続け精神を病み戦場を去ったことと、本質的には同じことだからだ。 「私は戦場で多くの人間の命を奪った」 「……軍人であるなら、それが当然のことです」 「軍が動くのは、広い意味で言えば”国を守るため”だろう? けれど私はきっと、 ……誰か、ひとりでもいいから命を救えたという実感が欲しかったんだと、今では思う」 イシュヴァール人とはいえど、たくさんの人の命を奪ってしまったから。 そのためにと学んだわけではない錬金術で、人をたくさん殺めてしまったから。 「ただ、それだけのことだ」 「……決して悪いことではないと思います」 「そうか? 終わってしまったこととはいえ、あまり頭のいい行動とは言えないだろう」 「えぇ。上の人間ならきっとそんな子供は捨て置けと、そう言うのが目に見えています」 「それに従わないことがいいことか?」 「えぇ」 そうきっぱりと言い切るホークアイは少し珍しい。 迷うことは少ない彼女だけれど、こうもはっきりと意見することもあまりない。 視線を落としてホークアイの横顔を見やる。 彼女は視線を真っ直ぐ正面に向けて、毅然と言い放った。 「そんな人道的な人が大総統になったら、本当に国は変わるかもしれません」 「……そうかな」 「えぇ。きっと」 おそらく自分は、この言葉をずっと忘れないでいると思う。 ヒューズのあの言葉と同じように、ずっと。 20050612 |