08 : 忘れられない





「大佐」

書類にサインする手を止めて、ロイはホークアイの呼びかけに視線を上げる。
他の連中は外に出払っていて、部屋には今二人きりだった。

「なんだ」

「お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

ロイは、ホークアイの真剣な表情が逆におかしくて、ふっと口元を緩ませる。
ペン立てにペンをたて、椅子の背もたれにもたれると腕を組んで傲然と言った。

「君から休憩を申し出るとは、珍しいこともあるものだな」

「誰も休憩とは言っていませんが」

「結果的にはそうなるだろう。で、なんだ? 今夜の予定か?」

「違います」

軽い冗談もぴしゃりと制されて、ロイは潔く口を閉じる。
ホークアイがロイに話を振る場合は、100%と言っていいほど仕事の話題だ。
おそらく、一週間前に起きた市街崩壊の事件のことだと予測はつくが、
こういう忙しい時期だからこそ(というと撃たれそうだが)多少悪ふざけはしてみたくなるものだ。

さんのことなんですが、……ご存じですか?」

ホークアイの口から出たのは全く予想外の話題だった。

とは、あの事件があった日以来顔を合わせていない。
「ご存じですか?」と問われても何のことかさっぱりだった。

「何かあったのか?」

「えぇ。……一週間前、帰宅途中に過労で倒れて、ちょうどフュリー曹長が居合わせて病院に運んだそうなんですが、
ここ一週間通勤していないらしくて……」

「なに? 自宅療養かなにかか?」

「毎日必ず、司令部に電話連絡があるそうです。けれど一週間も休んでいるとなると業務に差し支えますし、
大佐なら何かご存じかと思ったんですが……」

ロイは顎の下に手を添えて思案する。
の業務は過労で倒れるほど辛いものではないはずだ。
ではなぜそうなってしまったのか。
心当たりといえば、の「夢」のことだろうか。

その話を聞いてからその話題には極力触れないようにしてきたし、けれどはとても気にしているようだった。
仮に、毎晩記憶の底にあるの過去を、夢として見続けていたとする。
イシュヴァールでの戦争だ。気持ちのいいものであるはずはないし、過労で倒れたというのならそのストレスからだろう。

それほどに、にとってその「夢」、つまり「過去の記憶」は苦痛だったのだ。
それについて考えすぎて溜まったストレス。発散する場所があったとはとても思えない。それを、知るべきではないとして話そうとしなかったのは、他でもない自分自身だ。
ならばの過労は自分にも責任がある。

「分かった。今夜の家へ行って、様子を見てこよう」

「私もご一緒しましょうか?」

「やけに気にするな。私ひとりでは何か問題があるか?」

原因を知るものとして、ここはひとりで会いに行くのが筋だと思う。
それにのことを思えば、同伴は望めない。

「同姓である私の方が話しやすいのでは、と思っただけです。」

「性別を気にするような話題なら、最初から私が行くとは言わない」

の過去の事情を知る人間は、今のところ自分ひとりしかいないはずだ。
誰かにこれから知られてしまうことがあるかもしれない。けれど当事者はこれから先も自分ひとりだけだ。

「ひとりで行かせてくれ。責任があるんだ。私には」

「……分かりました」

「ということで、異論はあるか? ハボック」

さっきから、開いたドアの向こうに見えていた煙草の煙が揺れた。
程なくして気まずそうに視線を落としながらハボックが現れる。
ホークアイは気づいていなかったようで軽く目を見開いていたが、それは見て見ぬふりをした。

「……なんで俺がいるって分かったんですか?」

「煙草の煙が見えた。立ち聞きをするならもっとうまくやるんだな」

ハボックは加えたままの煙草の先を睨むように視線を落とし、観念して頭を掻いて灰皿で煙草の火を消した。
その様子を見て耐えかねたように、ホークアイが問う。

「少尉。がれきの撤去作業はどうしたの? あなたの隊がしてるんじゃ……」

「休憩っすよ。それにデスクワークもあるんで、任せてきました」

「昼も夜も休み無しといったはずだが?」

「オレらを過労死させたいんすか? 時間決めてローテーションしてるんすから勘弁してくださいよ」

ハボックはずかずかとロイの前までやってきて、上官に向けるものではない、厳しい視線を寄こす。
何を言いたいかは、その目を見れば容易に想像ができた。

に何かあったんすか?」

ホークアイが肩を揺らして反応するが、ロイはぴくりともしない。
ただハボックの視線を受け止めてそらさなかった。そらすわけにはいかなかった。

「なんで過労なんか……。あいつそんな様子なんて全然なかったっすよ?」

「お前が仮にの事情を知っていたとすれば、理由などすぐに見当のつくことだと思うが?」

「”事情”?」

ハボックは疑問符を浮かべて眉を八の字に曲げた。
どうやら本当に心当たりはないらしい。こいつはすぐに顔に感情が出るから分かる。
ロイは目を閉じて、諭すようにゆっくりと言った。

「……のところへは私ひとりで行く」

「大佐! なんなんすかそれ!?」

「事情を知らないお前は所詮部外者にすぎん。でしゃばるな」

「でしゃばるって、オレは別に……!」

「とにかく、お前は作業に戻れ! このことは後でに聞けばいいだろう!」

「……!」

ハボックはまだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、ホークアイがハボックの肩に手を置いてそれを諫めた。
ロイはそれ以上何も言わず、ハボックもロイをぎっと睨みつけた後、足音高く部屋を出て行った。

一時沈黙が流れてから、静かに口を開いたのはホークアイだった。

「……お言葉ですが、少し言い過ぎたのでは?」

「あいつはこれぐらい言わなければ聞かないだろう。時が来たら説明もするさ」

ロイはそう言うと椅子から立ち上がり、窓の外に視線をやる。
今は午後の遅い時間だ。空はこんなに穏やかに晴れ渡っているというのに、地上はこんなにも忙しない。

「少しお休みになりますか? 大佐」

「……いや。立て込んでいるからな。今はいい」

ただ、今日だけは早めに帰らせてくれ。

ロイはホークアイに背を向けたままそう言った。
ホークアイも今日ばかりは、何も言わずに承諾の返事をする。
ただし条件があると、最後の最後に付け加えて。



20050608