朝のかぶき町はうら寂しい風に吹かれていた。元々、日の出ている間は人通りの少ない町だけれど、それでも日々の暮らしを営む人々の姿は少なからずあった。ほんの数週間で、町は様変わりしてしまっていた。

 看板の火が消えた「スナックお登勢」を訪れたは、お登勢とたまに温かく迎えられた。カウンター席をすすめられ、温かなお茶を淹れてもらう。たまは何か仕事があるのか、すぐに店の奥に引っ込んでしまったが、お登勢はカウンターの中に残った。

「本当にすいませんでした。せっかくお登勢さんに紹介していただいたお店だったのに、あんなことになってしまって」

 静かに頭を下げるに、お登勢は煙草を吹かしながら言った。

「あんたが謝ることじゃないだろう」
「でも、おばあさんがずっと大切にしてきたお店だったのに。きちんとご挨拶もできませんでした」
「あのばばあは、これを機に田舎の娘夫婦と一緒に住むことになったそうだよ。あんたには、怖い思いをさせて悪かったって言ってた。まぁ、こんなご時世だ、その方がきっと幸せだろうね」

 あんたが気に病むことじゃないと、重ねて言われ、はほっと笑った。ここへきて初めて笑顔を見せたに、お登勢は労りを込めて言った。

「それにしても、あんたはよくやったよ」

 は慌てて頭を振った。

「私は何もしていません。ひとりで右往左往して、みんなに心配ばかりかけてしまいました」
「人の役に立つことだけが全てじゃないさ。あんたがそこで笑っているというだけで、心が救われた人間もきっといるよ」
「そうでしょうか?」
「あぁ。誰にでもできることじゃない。あんたはよくやった。よく、耐えたね」 

 お登勢は小皿に饅頭をひとつ乗せて差し出した。は一言礼を言ってから、饅頭を齧る。こしあんがぎっしり詰まったそれは舌先がしびれるほど甘くて、うっかりすると涙が出そうだった。

 は必死にそれを堪えて、じっくりと味わって食べた。

「よく決断したね」
「知ってるんですか?」
「頼んでもいないのにいろいろと知らせてくれる奴がいてね」
「……私はただ、私にできることを、と思って」
「ほう?」
「今回のことで、私は何もできませんでした。これからもきっとそうです。私は、戦う術のない一市民です。そんな私でも、必要だと言ってくれる人がいるのは、幸せなことだと思います」
「危険がないわけじゃないだろう?」
「それでも、もう決めたことなので」

 は力強く微笑んだ。その瞳に、もう迷いはなかった。

「あの、お登勢さん。もしご存知だったら教えて欲しいんですけれど。銀さんが今どこにいるか分かりませんか?」
「あいつに何か用かい?」
「しばらく会えなくなるので、話だけでもしたかったんです。実を言うと、今日ここへ来たのも、お登勢さんなら銀さんの行先を知ってるんじゃないかと思ったからで……」

 を横目で見ながら、お登勢は大きな声で言った。

「いつまでも立ち聞きしてないで、いい加減出てきたらどうなんだい?」

 店の奥からうっそりと顔を出したのは、銀時だった。





 は銀時とテーブル席で向かい合った。お登勢がお茶を淹れ直してくれ、お茶請けの煎餅まで出してくれた。カウンターの中でグラスを磨いているお登勢は、声が届く距離にいるが、何も聞こえないふりをしてくれていた。

「隠れていなくて平気なの? 指名手配されてるって聞いたんだけど」

 銀時は背中を丸めて足に肘をつき、視線を落としたまま言った。俯いているせいで、表情はよく分からない。

「まぁ、気を付けてりゃな。真選組も見廻組もいねぇ江戸なんか怖くねぇよ」
「そう。どうして私がここに来るって分かったの?」
「なんとなくな」
「私がこれからどうするか、知ってるんでしょ」
「まぁな」
「しばらく会えなくなるわ」

 銀時は息を漏らすように笑った。

「お前がそう決めたんなら、それが正しい道なんだろうさ」

 は懐かしい気持ちがして、目を細めた。

「同じこと言うのね」
「は? 何と?」
「昔、私がみんなと別れると決めた時よ。あの時も銀さんは、私のすることは正しいって言ってくれたわ」
「そうだっけ?」
「そうよ。ずいぶん迷ったりもしたけれど、銀さんがそう言ってくれたおかげで、私は何とかここまでやってこられたわ。ありがとう」

 銀時は照れくさそうに頬を掻いた。

「礼を言われるようなことじゃねぇよ」
「いいじゃない。どうせ、誰かにお礼を言われることなんて滅多にないでしょ」
「言ってくれるな」

 ふたりで、ひとしきり笑った。

 お登勢が静かにグラスを磨いている。ガラスと布巾がこすれる、きゅっきゅっという音だけがしている。温かなお茶を飲み、煎餅を齧る。

しばらく、他愛もない話をする時間が続いた。神楽や新八の近況、お妙とスナックすまいるのこと。行きつけだった定食屋やラーメン屋の今。

 会話が途切れた時、銀時はようやく口火を切った。

「お前に、言っておきたいことがある」
「何?」
「松陽のことだ」

 その改まった口調に、は湯呑をテーブルに戻して背筋を伸ばした。
 銀時は、自分の手のひらを見つめ、ぎゅっと握り直す。そして、噛みしめるように言った。

「松陽を斬ったのは俺なんだ」
「……え?」
「高杉や桂を人質に取られて、俺が松陽を斬らねぇと仲間を殺すと言われた。俺なりに、どちらも救う手立てを考えたつもりだった。けれど、結果はお前も知っての通りだ」

 銀時の握りしめたこぶしが、ぶるりと震えるのをは見た。その手を取って握りしめたいと思ったけれど、体が動かなかった。それがどうしてかも、分からなかった。

「先生を斬ったって、首をはねたってこと?」
「なんでそこまで分かる?」
「だって、あの時、先生は罪人として牢に入っていたんでしょう? あの時代、罪人は斬首と決まってるもの」

 銀時は沈黙でそれを肯定した。

 は、言葉を失った。自分は本当に何も知らなかったのだ、そのことをようやく理解して、呆然とした。桂や高杉が銀時が胸の奥に抱える闇を、その片鱗くらいは理解しているつもりだったけれど、それはただの自己満足だったのだ。

ぽかんと口を開けて黙り込んでしまったの目を、銀時はようやく直視した。

「お前にとっても、大切だった先生の死に様を、今まできちんと伝えてやれなくて、悪かった。本当にごめんな」

 の目の前に白いハンカチを差し出したのは、いつの間にかそこにいたお登勢だった。お登勢は「だからあんたはマダオなんだよ」と銀時に言って、の手にハンカチを握らせる。

 頬に押し当てたハンカチが涙で濡れたのを見て、はようやく自分が滝のように涙を流していることに気づいて嗚咽した。止まらなかった。喉が引くついて声が出ない。銀時は何も言わず、涙を流すを見ていた。

 何か言わなければと思ったが、言葉が見つからなかった。







20171211