八
黒縄島から江戸に戻った真選組は、とある寺に居候していた。
江戸の中心部からは離れたその寺は敷地面積が広く、それに合わせて作られた広い本堂は、黒縄島の戦いで負傷した隊士達の療養所になっている。負傷もなくひとりで動き回れる隊士もこの寺を拠点に活動していて、さながら臨時の真選組屯所とでも呼べそうな様子だ。
その日、朝早くから寺の門をくぐったのは桂小太郎だった。
「おはよう、桂くん。今日は随分早いのね」
は、晴れやかに笑って桂を迎えた。
袖の下で腕を組み、背筋を伸ばしたまま、桂は微笑んで会釈した。
「あぁ。近藤殿と土方殿はいるか?」
近くにいた隊士に先ぶれを頼んで、
は桂を先導した。
「ちょうどいいところに来てくれたわ。これ、持ってくれない?」
「電気ポット? 何に使うんだ?」
「お湯を沸かすために決まってるでしょ」
桂は重い電気ポットを持たされて、ぱちくりと瞬きをした。
は大きな盆に湯呑と急須と茶筒を乗せて廊下を歩いていく。桂は電気ポットをぶら下げてその後をついて行きながらぼやいた。
「俺は茶を飲みに来たわけではないんだがな」
「桂くんがちょうどお茶の時間に来るからでしょう」
「それならかまわんが、」
「何?」
「いや、もう少し緊張感を持った方がいいのではないかと思ったんだがな」
は桂を振り返って、からりと笑った。
「ただお茶を淹れるだけなのにどうして緊張しなくちゃいけないの?」
「それはそうだが、真選組は今、逆賊として幕府に追われているんだぞ。分かっているのか?」
「分かってるわ。でも、私はお茶を淹れるのよ。他にできることないからね」
桂は
につられて、目元を柔らかくした。
の言うことは楽観的に過ぎるようにも思えたが、確かに一理ある。非日常的な生活を送らざるを得ない今、いつも通り、日々の暮らしを大切に過ごすことの大切さを、
は身に染みて分かっているのだろう。
「しばらく見ない間に変わったな」
桂がしみじみと言った。
「そう?」
「変わったさ。もちろん、いい意味でな」
は照れくさそうに笑った。
寺の奥まった場所にある離れに着くと、
は廊下に膝をついて、障子越しに声を掛けた。
「失礼します。桂さんがお見えです」
「おう。入ってくれ」
両手で障子を開くと、近藤と土方が机を挟んで額をつき合わせていた。机の上には地図や書類が雑多に散らばっていた。
「早朝から失礼する」
電気ポットを片手に部屋に入った桂を、近藤と土方は不思議そうな顔をして見返したが、
は何食わぬ顔をして部屋の片隅に盆を置くと、「持ってくれてありがとう」と、桂から電気ポットを受け取った。
真選組は、幕府を討伐するための革命軍を組織するために江戸を離れることになった。全国各地に散らばっている反乱勢力を扇動し、人材を集めるのだ。生き残った隊士達をどの地方に派遣してその任務にあたらせるか。その作戦を立てるため、三人は地図と書類と桂が持ってきたいくつかの情報を突き合わせた。
はお茶を淹れながら、三人が話すことに耳を傾けていた。話を聞いてはならないとは言われていないし、部屋を出て行けとも言われない。真選組が幕府お抱えだった頃、その任務には一切関わらせてもらえなかったことを思えば、
の立場は様変わりしていた。
「あれ、
ちゃん? 茶がひとつ足りないぞ」
近藤が盆の上の三つの湯呑を見下ろして言う。
「え?」
「お前の分がないじゃないか」
目線をやると、土方も小さく頷いてくれた。本当の仲間のひとりに加えてもらったようで、
は嬉しかった。何を手伝えるわけでもないが、話を聞かせてもらえるということは、信頼されていることだ。自分の分の茶を淹れて末席に座る。
「隊士達は順調に回復しているか?」
土方が言う。負傷した隊士達の看病をするのが、ここでの
の一番大きな仕事だった。
「えぇ。重傷者を除けば、もうひとりで立ち上がれるようになってる人もいます」
「なら、急いだほうがいい。喜々もそろそろ黙ってはいまい」
「そうだな。
ちゃんの方はどうだ?」
「こちらの準備はほとんど整ってます」
「そうか」
「では、こちらの準備も急ごう。整い次第出発だ」
「あの、近藤さん。出発が早まるのであれば、行きたい場所があるんですけれどいいでしょうか?」
「どこだ?」
答えたのは近藤ではなく、土方だった。
「かぶき町のお登勢さんのところです。いろいろとお世話になったのに、まだご挨拶ができていなくて」
土方は眉間に皺を刻んで面白くなさそうな顔をした。
「江戸の中心部に行くのは危険だ。お前だって面が割れてるかもしれねぇんだぞ」
「私は一介の家政婦ですよ。私になんかかまっていられるほど、警察も暇じゃないんじゃないでしょうか?」
「確かにな、黒縄島の一件以来、江戸の警察組織は穴だらけだ」
「だからこそだ。取り締まる奴がいねぇんじゃ治安も悪くなってるはずだし、余計に危ねぇ」
「トシも一緒に行ってやったらいいじゃないか」
「いや、鬼の副長が一緒ではかえって目立つだろう」
「それじゃやっぱり、ひとりで行ってきます。明るいうちには帰ってきます。ついでに必要なものがあれば買い物をしてきますけれど何かありますか?」
「勝手に話を進めるな!」
はにっこり笑って土方をいなすと、では私はこれで、とお辞儀をしてそそくさと部屋から出て行った。まったく、取りつく島もなかった。
「そんなに心配せんでも、
ちゃんは大丈夫さ。あまり考えすぎるなよ、トシ」
近藤は努めて明るく言う。桂はその隣でうんうんと頷いた。
「
は悪運だけは強いからな。なに、何かあってもあのかぶき町でそうそう悪さをする奴もいるまい、お登勢殿はかぶき町四天王の一角を治める女傑だ」
「だったらいいんだけどな。俺の見てねぇところでまた何かあったらと思うと気が気じゃねぇんだよ」
頭を抱えた土方を横目に、近藤と桂は目配せをした。土方が恥ずかしげもなくこんなこと言うのは珍しい。付き合いの長い近藤でも、土方が臆面もなく女性関係の悩みを口にするのを見るのは初めてだった。
「確か、見廻組の手入れに鉢合わせたんだったか?」
「あぁ」
「結果的に無事に済んだんだろ」
「同じことが二度起こらないとは限らねぇし、今度も無事に済むとも限らねぇだろ」
「土方殿は心配しすぎじゃないか?
はあぁ見えて危険を察知する嗅覚は持っている。確かに戦う術はないが、身を守る術には長けていると思うがな」
桂の言うことに、土方はむっと口を尖らせた。
とは、子どもの頃からの長い付き合いだという桂の言には説得力があって、自分の言っていることがやけに子どもっぽく聞こえるのが悔しかった。
「まぁ、トシの言うことも分からなくはないよ」
気遣うように、近藤が言った。
「何せ、ずいぶん長い間離れていたんだもんな。今だけは、できるだけそばにいたいと思う気持ちもわかるよ」
土方はいつになく素直にうなずいて、ため息を吐いた。
「ちゃんと守ってやりたいと思ってるのに、あいつは人の気も知らねぇで勝手なことばかり言いやがる」
「
は昔からそうだ。こうと言ったら決して曲げない。攘夷戦争の頃、ひとりで江戸に上ると決めた時もそうだった」
桂は
の淹れたお茶をしみじみと飲み干した。
「だが、そこが
のいいところだ。あの時、俺達と離れたからこそ、今またこうして生きて出会えたのだ。
は肝心なところでは決して間違った選択はしないさ」
土方は頬杖をついて大きなため息を吐いた。それは
の心配をしているというよりは、むしろ、構ってもらえずにへそを曲げた子どものようで、近藤は内心微笑ましかった。
土方と
、ふたりの間に何があったのか、近藤には詳しくは分からなかったが、ここ数日の様子を見ている限りは、以前よりもずっと信頼し合って打ち解けているように見えた。真選組を失うというこの大きな危機を乗り越えて、絆をさらに深めたのだろう。
近藤にとってそれは何より喜ばしいことだった。これから何があっても、土方と
が強く手を取り合って生きていけるのなら、真選組の、そして江戸の未来のためにも、これ以上頼もしいものはない。
「そういえば、松平のとっつぁんからは連絡はあったか?」
土方は淡々と答えた。
「あぁ、すでに北の反乱勢力の交渉に向かっている。それから、江戸城に内偵を残したらしいぞ。黒縄島の一件で喜々に見切りをつけた幕閣らしいが、こいつは相当な狸らしい。俺達にも定期的に幕府の内情を知らせてくれるそうだ」
「おそらく、そよ姫の護衛も兼ねているんだろうな。今の城内には喜々の取り巻きしか残っておらんだろうし……」
「姫様はまだ幼い。さすがの喜々もなんの力もない姫にまで手を掛けるほど愚かではなかろう。ただ、城内は烏の巣のようなものだ。城内にひとりでも多く味方を残しておけるならそれに越したことはないな。城の下働きもだいぶ減ってしまったと聞く」
「
ちゃんには大変な思いをさせることになるが、頑張ってもらうしかないな」
「……は?」
素っ頓狂な声を上げて、土方は目を丸くした。
20171211
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