六
雨は上がった。
どんよりと曇った空は灰色の雲が重々しいが、とにかく、雨だけは上がった。
着慣れた隊服に着替えた土方は、蔵の前に群がっている隊士達を一瞥する。真選組が解散となってから、屯所は誰にも手を付けられずに放置されていたらしく、蔵の中にしまわれていた武器も手つかずに残っていた。取り潰された組織の後始末も満足にできないようでは、警察内部はよほど混乱しているらしい。
武器の調達は隊士達に任せて、土方は屯所の中を確認した。あちこち埃が積もって薄汚れていたが、以前とどこも変わっていなくて、ほんの数週間離れていただけなのに、懐かしさがこみ上げてくるのが不思議だった。
一通り確認を終えた後、
の私室だった離れに足を向ける。その縁側で、銀時がくつろいでいた。
「何だよ、ここにも忘れもんか?」
銀時はへらりと笑って片手を上げた。
「お前こそ、まだ何か用か?」
「ここ、
の部屋だったんだろ。あいつの持ち物でも届けてやろうかと思ってさ。知ってるか? あいつ今、かぶき町の外れで小さい居酒屋やってんだよ」
「あぁ、知ってる」
「あっそう」
鼻くそを弾き飛ばす銀時を尻目に、土方は縁側から部屋に上がって、その小さな空間をぐるりと見回した。机の上にあるどんぶりの中で、金魚が二匹、白い腹を上にして浮いていた。水が濁り、餌を与えられずに飢えて死んだのだろう。そのそばに縫いさしの布巾が軽くたたんで置いてあって、糸を通した針が針山に刺さったままだった。
土方は布巾を手に取って、縁側に座っている銀時に向かって言った。
「どうして、お前は
と別れたんだ? あいつが江戸に出てきたとき、お前は攘夷戦争に参戦してたんだろ?」
銀時は曇り空を仰いで、少しだけ考え込んでから答えた。
「どうしてって、聞かれてもな。あいつがそう決めたんだよ。そりゃぁ、寂しいから行くなって言う奴もいたけどな、俺は、俺達は離れて正解だったと思ってる」
「なんで?」
「あいつにまで死なれたらたまんねぇからな」
銀時は吐き捨てるように言う。
「言いてぇことは分かるけど、だからって、女ひとりで江戸に出てくることだって危ねぇことには変わりねぇだろ。そばに置いた方が守ってやれると思わなかったのか?」
「それでも、ひとりで生きていくと言ったあいつの背中は、俺にとっては希望だったよ。俺達に何があっても、あいつだけはきっとどこかで達者に暮らしてくれてるって思えたからな」
「そいうもんか?」
「少なくとも、俺はそう思ってた。
はあの時、俺たちと別れたから、今、生きてるんだ。まぁ結果論だけど」
銀時の言葉に、どうやら嘘はないようだった。
土方は縦に横に赤い糸の走る布巾を指の腹で撫で、
のことを思った。最後に会ったのは一週間ほど前で、居酒屋のカウンター越しに顔を合わせただけだ。大したことは何も話せなかった。あの時は、まさか桂一派と手を組むことになるとは想像もしていなかったし、近藤を救い出すためとはいえ、こんな覚悟を決めることになるとは思ってもみなかった。
近藤を、真選組を、守り切れるかどうかはまだ分からない。無茶な計画だ。必ず成功させる覚悟はあるが、果たしてうまくいくだろうか。うまくいったとして、その後はどうするのか、展望は何もない。
近藤を救い出すことに、迷いはない。今、やらなければならないことだ。
けれど、
は、
「今、俺と離れたとしたら、あいつは幸せになると思うか?」
「そんなこと俺が知るかよっ」
銀時にいとも簡単に一蹴されて、土方は肩を落として途方に暮れた。銀時の前でみっともない姿をさらすのは屈辱だ。
けれど、土方は藁にもすがるような思いで言った。
「経験者なんだろ。教えろよ」
銀時は困惑したようだったが、土方には目もくれずに同じことをもう一度言った。
「だから、知らねぇって。俺はお前じゃねぇんだ」
きっぱりと突き放されて、土方はもう何を頼りにものを考えれば分からなくなってしまった。
今、
を迎えに行けば、真選組がこの屯所に戻るすべを失うのと同じように、
もこの町で暮らしていくすべを失うことになるだろう。果たして、それは
が望むことなのだろうか。
には幸せになってほしかった。自分にできることがあるならなんだってしてやりたいし、そのためなら
の前から永遠に姿を消してやってもいい。本心からそう思う。けれど、自分以外の誰かの隣で笑う
の姿を想像すると、きりきりと胸が痛む。
「俺なら、置いていく」
銀時が呟いた。土方は情けない目をして、その声に耳を傾けた。
「あいつは神楽やお妙とは違って武器がない。戦えねぇし、巻き込まれた時に守ってやれる自信が俺にはねぇ。けど、近頃思うんだ。守るって一体何なんだろうな」
銀時は静かに続ける。その口元は、かすかに笑っていた。
「
が危ねぇ目にあったら、身を呈して助けてやりゃいいのか? けど、いつだってそばにいてやれるとは限らねぇ」
「それはそうだけど、肝心な時に助けてやれねぇなら、そばに置いておく意味がねぇじゃねぇか」
銀時は立ち上がると、腰に差した木刀を抜いた。地面と水平になるように構えて、その切っ先をじっと睨む。
「俺が守れるのは、この剣の届く範囲だけだと思ってる。それは自分で思うよりもずっと小さいんだ」
銀時は腕をめいっぱい伸ばして木刀を地面に突き立てると、木刀を引っ張って線を引いた。がりがりと耳障りな音に、銀時の声が乗る。
「まぁ、せいぜいこんなもんだな。さすがの銀さんでもこれ以上は無理だわ」
ちょうど体が一回転したところで、銀時は刀を腰に戻した。銀時を中心に描かれた円は、銀時が両腕を広げたくらいの大きさしかなかった。
「それじゃぁ、江戸の町はおさまりきらねぇな」
土方はぼやいたが、銀時は不敵に笑った。
「けど、江戸の町を守ろうという人間は俺だけじゃない。今、目の前にもひとりいる」
土方は皮肉を言われたような気がして、むっと唇を尖らせた。
「たったひとりの女を守る自信もねぇ俺に、そんなことできると思うのか?」
「自信なんかなくてもお前はやるんだろう。何せ、これから幕府に楯突いてお前らの大将取り返しに行こうとしてんだからな」
「それは俺の信念だからだ。江戸を守りたいとも思う。けど、」
「なんだよ」
「江戸を守ることは、あいつを守ることと等しいことなんじゃねぇのか。わざわざ俺のそばに置いておかなくてもあいつなら、江戸という町さえ守れれば、ひとりでもきっと生きていける……」
と、口では綺麗事を言ったが、胸の中でもやもやしたものが渦巻いた。
違う、本当はそんなことを思ってなんかいない。
を手放したくはない。ずっとそばに置いて、隣で笑っていてほしい。けれど、いざという時に守ってやると言い切れる自信がない。
土方は自分の身勝手さにほとほと嫌気が差してきたが、もうごまかせなかった。
これはエゴだ。
ただ、
が欲しい。
たとええそのために、
を危険な目に合わせるのだとしても、自分のものにしたい。
「本当にそう思うなら、それを信じてやれよ」
「はぁ?」
「守ることは、信じることだと、俺は思う」
銀時は、静かに言った。
「人ひとりを守るっていうことのは、すげぇことだ。難しいことだ。そんなことを自信を持ってできるっていうやつの方が胡散くせぇ。お前はお前の助けたい大将を助けて、守りたい町を守る。それが、結果的に
を守る最善の方法だとお前が本気で信じているなら、それでいいんじゃねぇの。あいつは見た目より強いよ。ちょっとやそっとのことで命を危うくしたりはしねぇさ」
「それじゃ、丸投げしてんのと同じじゃねぇか」
その時、銀時口端をいやらしく吊り上げて笑った。
「お前、ぐだぐだ理屈っぽいこと言って、結局は
に嫌われるのが怖いだけなんじゃねぇの?」
「だっ! んなわけあるか!? 誰がそんなこと言った!?」
銀時がにやにやと笑う。
たぶん、土方が何を考えているか、本当のところを銀時は分かっている。それが悔しくて悔しくて、土方は歯噛みをした。
銀時は性格が悪い。人をおちょくって馬鹿にして、おかげで何度もひどい目に合わされてきた。腹が立つったらない。
けれど、言っていることは全て、的を射ているような気がした。
「守りたいと思ってるなら、それをちゃんと言ってやればいい。あいつはちゃんと受け止めてくれるさ」
「……そんなことは分かってる」
「決めるのはお前じゃなくてあいつだよ」
「あぁ」
土方は、
が縫った布巾をぎゅっとこぶしで握りしめた。
20171127
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