九 此処に居ること どうして銀時にあんなことを言ってしまったのか、にもよく分からなかった。あんなのはただの弱音だし、銀時にそんなことを話したからといって何が変わるわけでもない。ましてや、過去の仲間達の元に戻ってまたあの頃のように仲良く幸せに暮らすなんて望みは、もう決して叶わないのだ。そんなのは、ただの夢物語だ。 は銀時を傷つけたような気がして、自分で自分を許せなくなった。感情に任せて、古傷をえぐって、それで誰が喜ぶというのだろう。自分の傷を持て余してどうしようもないからといって、銀時に八つ当たりしていい訳がない。 銀時は何も言わなかったけれど、きっと深く深く銀時を傷つけたに違いない。は居たたまれなかった。 銀時と神楽と三人で夕食を囲んだ後、は洗剤が切れてしまったからと言って万事屋を出た。銀時の顔を見ていられなかったからだ。一度万事屋を出てしまうと二度と戻ってこられる気がしなかったから、財布と通帳だけ巾着に入れて持って出た。ある程度の貯金はあるから、しばらくはそれを切り崩して生活していけるだろう。誰もを知っている人のいない街に行って、ひとりで静かに暮らそう。はもう二度と、大切な人を傷つけたくなかった。 夜の町は死んだように眠っている。野良猫がゴミを漁る音を聞きながら、は夜の闇の中を足早に歩いた。早く、銀時の手の届かない場所まで逃げてしまいたかった。 「あれ? さんじゃないですか」 その声と同時に、は肩を掴まれた。まさか銀時がもう追ってきたのかと驚いて振り返れば、見知った顔の真選組隊士だった。は少しだけ乱れた呼吸を、胸に手をついて抑えた。 「……あぁ、横田くん」 「お久しぶりです。こんなところで会うなんて、奇遇ですね」 横田はいつも屯所の食堂で見せる人好きのする笑顔でそう言った。 は、銀時に抱きしめられて泣いていた。 土方がを手放そうと決意したのは、この時だった。 真選組の内輪もめに巻き込んで、命を取るか取られるか九死に一生を得て、あんな怪我まで負わせてしまった。真選組の任務一切にを関わらせないと決めたのは他でもない自分なのに、事件に無理やり巻き込んだのは自分だと、土方は自分を責めた。 けれどそれと同時に、だからこそは銀時の元に逃げたのだとも思えて、納得もした。 銀時はの昔馴染みらしいし、気心も知れている。銀時は腕っ節も立つし、命を落としかねない危険な目にあったら頼りになる男の元に逃げるというのは、至極当然のことだ。 その当然のことに、土方はいたく傷ついた。だから、よく考えもせずにあんなことを口走ってしまった。 そもそもその時土方はまだ無期限謹慎中の身で、を解雇する権利なんか持っていなかった。後からそれを知った近藤は頭を抱えて絶望の叫び声を上げたし、沖田に至っては「土方さんのせいで食堂の飯がまずくなりやした」と嫌味たらしく土方をなじった。残った隊士達にも似たようなことを言われ続け、一部ではを呼び戻すための署名運動をしている隊士までいるというのだから、土方は肩身が狭くて仕方がなかった。 だからと言って、を屯所に呼び戻そうという気持ちはさらさら起こらなかった。もう二度と、をあんな目に合わせたくはなかったのだ。 もっと普通の女らしく、血なまぐさいことなんか何も知らずに笑っていて欲しかったし、銀時といるときのはくったくなく楽しげだ。あの銀時が相手では金に苦労もするだろうけれど、は働き者だからそれくらい自分で何とかするだろう。そもそも、はそんなことで人間の良し悪しを図るような女ではないし、が銀時を選ぶのなら、それに反対する理由はない。反対できる立場でもない。それがの幸せであるなら、土方に口を挟む余地はないのだ。 土方は、自分がどれだけ傷つこうが、それで惚れた女ひとり幸せにできるならそれで良かった。 あの事があったせいで、隊士が減った。半減とまではいかないけれど、それに近い数にはなった。伊東派と呼ばれた隊士はもういない。その中には古参の顔もあったし、生き残った隊士の中には1年前に入隊したばかりの新参者もいた。入隊時期ではっきり線が引けるわけではない。 屯所の中で刃傷沙汰があった。伊東派の残党が沖田の寝込みを襲ったのだ。もちろん、真選組一の天才剣士である沖田が返り討ちにしたが、こんなことは真選組始まって以来一度もなかったことだった。があの現場に居合わせなくて、本当に良かったと土方は思う。沖田が派手にやらかしたせいで部屋がとんでもないことになって、畳を全て取り替える羽目になった。あんな現場をが見たらどう思っただろう。 そして、これで全てが済んだわけではなさそうだった。死の淵から生還した山崎曰く、腹の底に一物を抱えていそうな隊士はまだいるらしい。 土方もひとりの隊士に目を光らせていた。裏切りの嫌疑のかかった部下を見張るなんて仕事は本来もっと下っ端の隊士のやることではあったけれど、人手不足だということもあって贅沢は言っていられなかった。 その隊士は横田といって、数年前に入隊した真面目な男だった。特に優れた能力があるわけでないけれど、幾度も死線をくぐり抜け生き残ってきた男だ。運が良かったのかもしれないし、逃げ足が早かっただけかもしれない。 この日、横田は夜勤だった。土方はそのシフトを確認して、ルートが交わるように山崎にパトカーを運転させていた。横田と組ませている片岡は観察方の山崎の息がかかった男で、何か不審な動きがあればすぐに連絡するよう命令してあった。 山崎の無線に連絡が入ったのは、かぶき町が酔客で一番賑わう真夜中だった。 『本当に、久しぶりね。元気そうでよかったわ』 横田と片岡は徒歩でのパトロールをしていた。その最中に、どうやらと鉢合わせたらしい。横田は気さくにに話しかけ、世間話に花を咲かせている。土方はいやな胸騒ぎを感じて、山崎に命じてパトカーを走らせた。 無線から聞こえるの声は、いつもどおりの穏やかな笑顔を想像させた。真選組を離れても元気でやっているらしいことに少し安堵して、それと同時に横田への嫌疑が土方の不安の芽をじわりと育てた。 『さんもお元気そうですね。怪我の具合はいかがですか?』 『もうほとんどいいのよ。横田くんは、パトロール中? 忙しそうね』 『そうですね。あれからいろいろあって、隊もまだ落ち着いていないんですよ』 『そう……』 電波が悪いのが、無線に雑音が混ざる。それに加えて、道が渋滞し始めた。どうやら、先の道で酔客同士が喧嘩を始めたらしい。土方は苛立って、悪態を付きながらダッシュボードを思い切り蹴りつけた。山崎はびくりと肩を震わせ、慌ててパトカーのサイレンを鳴らした。 「さんは、真選組に戻ってこないんですか?」 横田にそう問われて、は息を詰まらせた。 「……私は解雇された身だから」 「皆、さんに戻ってきて欲しいと思ってるんですよ」 「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、でも……」 「どうせ、もう伊東さんはいないんです。副長が戻った以上、あんなことはもう二度と起こりませんよ」 その声色にほんの少し雑味が混ざったような気がして、は違和感を覚えた。もう伊東はいないのだと言った横田はどこか投げやりで、いつもの横田らしくなかった。そういえば、横田は伊東の部下だった篠崎と仲が良かったはずだ。篠崎はあの事件で命を落としてしまっている。 「伊東さんはちょっとやり方を間違っただけなんですよ。真選組は、これからきっとうまくやっていけます。伊東さんという犠牲があったからこそ、副長が戻ってきて隊を再びまとめあげてくれた! さんもきっとまたうまくやっていけますよ!」 「……横田くん……、でも、私……」 「横田。そんなに詰め寄ったらさんが困るだろう」 ふいに声をかけてきたのは、真選組隊士、片岡だった。一体今までどこにいたのだろうか、横田の背後から突然現れて、も横田も驚きに目を丸くした。 「片岡、お前何を……」 横田の肩を叩きながら、片岡はにこりとに微笑みかけた。 「さん、引き止めてしまってすいません。もう夜も遅いですし、家まで送ります」 「いいえ、いいの。ふたりとも仕事中でしょう? 悪いわ」 「そんな、遠慮しないでください。近頃、この辺りは特に物騒なんですから」 片岡はそう言いながら、横田の肩から背中へ手を滑らせた。その、仕草。まるで奇術師がトランプを操るような、流れるような仕草だった。はそれから目を離せなくなる。片岡の手が弄ぶ操り人形のように、横田は目を回して昏倒した。 「……横田くん?」 横田のそばに膝をつくと、横田は口から血を吐いて体を痙攣させている。一体何事かとよく見れば、横田の背の中心に、脇差が垂直に突き刺さっていた。 「……横田く……」 「さ……、げ……」 横田の口元がかすかに動いたけれど、はそれを聞き取ることができなかった。横田の瞳が光を移さなくなるのを見て、はやっとことの重大さに気づく。横田は殺されたのだ。たった今、片岡に背を刺されて。 「心配しなくても、さんは僕がちゃんと送っていくよ」 鞘から刀が抜かれる時の、刀のささやき声を聞いた気がして、は泣きながら顔を上げた。片岡は、人を殺した興奮に目を爛々と輝かせ、うっすらと微笑んでいた。 「近藤、土方を暗殺するという伊東先生の望みは果たせなかった。だったらせめて、さんひとりくらい道連れにしてやらないと、伊東先生も浮かばれないでしょう」 抜き身の刀を上段に構え、片岡は獰猛に言った。 「あの世で、先生によろしく伝えてください。さん」 には何が起きているのか分からなかった。眼前に片岡が振り下ろした刃が振り下ろされる。その刃に自分の情けない泣き顔が映る。そこに、火花が散った。耳をつんざく激しい剣戟に眩暈がした。見上げた片岡の胸に、刀が深く突き立っていて、それは片岡の胸を抉りながら引き抜かれ、鮮血のにわか雨がの頭上に降った。 「……くしょう」 片岡は血が混じった泡を吹いて悪態をつき、ひざから崩れ落ちて絶命した。 が肩を掴まれて振り返ると、そこにいたのは土方だった。 「……ひじかたさ」 が言い終わる前に、土方はその場に膝をついて刀を取り落とし、倒れこむようにの肩にもたれかかった。驚いたが身動きを取れずにいると、土方の手がの後ろ頭を抱き込む。土方の首筋に頬を押し付けられて、はやっと理解した。 土方の脈は早鐘を打っていて、体は汗だくだった。のために全力疾走してここまで来てくれたのだ。 「」 土方の声が、名前を呼ぶ。たったそれだけのことに心が動いて、は土方の隊服の裾を握り締めた。 「……間に合って、良かった」 そう囁いた土方の声は、らしくもなくかすかに震えていた。 20150921 |