十 ただいま








遅れて駆けつけた山崎に「……あの、副長ぉ?」と遠慮がちに声をかけられてやっと我に返った土方は、顔を真っ赤にして立ち上がり、どうにかこうにか状況を整理した。

の証言で、横田は完全に潔白であり、協力を要請していた片岡の方が伊東の弔い合戦を企てていたことが明らかになった。連絡を受けて隊士が集まり、辺りは一時騒然となった。2人の遺体は周囲を白いチョークでなぞられ、散々写真を撮られたあとビニールシートにくるまれてどこかへ運ばれていった。

パトカーに乗せられていたは、窓越しにその様子をずっと見ていた。ハンカチを使って頭から浴びた血をなんとかこそぎ取ろうと奮闘したけれどなかなかうまくいかなかった。

ふと、窓ガラスをノックする音がして、見ると山崎が立っていた。

さん。大丈夫ですか? 落ち着きました?」

「えぇ、大丈夫よ。ありがとう」

「もう少しで屯所に戻れますから。それまで待っていてくださいね」

「……私も屯所に?」

が不安げに質問すると、山崎は困ったように笑った。

「戻ってきてください。伊東派の残党はまだいます。今日はたまたま俺達が近くを巡回していたから良かった。でも、次にこんなことがあったら、絶対にさんを守れる保証はないんです。屯所に戻ってきてもらった方がずっと安全です」

「でも、私は……」

次の瞬間、山崎が横っ面を引っぱたかれて吹き飛んだ。驚いたは、次に窓を覗き込んできた顔を見て心臓が止まるかと思うほど驚いた。

「ったく。どこまで洗剤買いに行ったのかと思ったら、お前はどこで油売ってんだ?」

「……銀さん」

銀時はスーパーのビニール袋を持ち上げて、その手で鼻くそをほじってみせた。

「待ちくたびれたから自分で買ってきちまったぜ」

「……ごめん」

「いいけど、別に」

は銀時の顔を見ることができず、目を逸らした。銀時を傷つけたことを悔やんで万事屋を飛び出してきたのだ。合わせる顔がなかった。

「お前が今、何考えてんのかとか、分かんねぇけどさ」

銀時が、ふいに言った。

「いつまでも後ろばっか振り返ってねぇで、前を見ろよ。俺のことがどうとか、ヅラや高杉のこととか、考えちまう気持ちも分かるけどよ。それはもう、終わったことだ。今更どうにもならねぇ」

銀時はの頬をつついて顎を上げさせると、痛むような目でを睨みつけた。

「俺たちは、終わったんだ。そこにお前の幸せはないよ。分かるだろ?」

は銀時を見つめ返して、小さく頷いた。喉がひりついて泣きそうだったけれど、我慢した。

「……終わったことを、また望んで、夢みたいなこと言って、銀さんに嫌な思いさせてごめんね」

銀時はぴくりと頬を痙攣させて、指先を震わせた。はその手を取って、力が入らないながらも精一杯の力で握り締めた。銀時はその手を握り返さず、じっとの目を見ていた。

銀時が何を考えているのか、には分からなかった。銀時は昔から独りよがりで頑固で、大事なことほど言葉にしない。冗談でごまかすか、何も言わずにひとりで背負い込もうとする。だから今回もきっと、肝心なことは胸の深い場所にしまいこんで、決して口にはしないだろう。

銀時がそうしたいなら、は望みどおりにしてやることにした。銀時を傷つけてしまったから、これはほんのお詫びだった。

「何やってんだ? 一般人」

そこへ、土方が戻ってきた。

土方は運転席側の扉に手をかけ、銀時を睨みつける。銀時は静かにの手を離して、急に気の抜けた声で土方に嫌味を言った。

「おぉ、税金泥棒。まだ仲間内で喧嘩してんのか? いいかげん仲良くしなさいよぉ、いい大人なんだからぁ」

「うるせぇ! どこのお母さんだてめぇは!」

土方は一言怒鳴って車に乗り込むと、後部座席の窓を占めてと銀時の間に透明な壁を作った。は視線だけで銀時を見送ろうとしたけれど、パトカーは有無を言わさず発進してしまいそれも叶わなかった。

「屯所に戻るぞ」

土方はそれだけ言って、後は一切口をきかなかった。





屯所に着くなり、は無理矢理手を引かれて土方の部屋に連れてこられた。血に汚れたを見た近藤が「せめて着替えを先に……」と言ったけれど、土方は聞く耳を持たず、途中ですれ違った沖田が何か言いたそうに視線を寄越したけれど、声をかける暇も与えなかった。

いつも縁側でばかり話をしていて、部屋の敷居をまたぐことはほとんどなかった。一度だけ、ほとんど事故のようにして同じ部屋で眠ったことがあったけれど、それきりだ。むしろそんなことがあったからこそ、余計にお互いに気を遣い合ってきたのかもしれない。

だからは、こんなに簡単に一線を超えてしまったことに当惑したし、土方が何を考えているのかさっぱり分からなかった。

土方は刀を床の間におさめて、汚れた上着を部屋の隅に放り投げた。

「……土方さん。あの……」

言いかけたは、突然土方に抱きすくめられて言葉を失った。それはほとんど力任せで、獣が手負いの獲物を逃がすまいと必死に喉元に食らいつく様にも似ていた。は身動きを封じられたまま、土方の襟元についた赤い返り血をじっと見つめていた。

「……巻き込んですまねぇ」

土方は蚊の鳴くような声で言った。

「……それ、前にも聞きました」

「足りねぇんだよ。謝らせろ」

「足りないって……、それいつになったら足りるんです?」

「知るかそんなもん」

土方があんまりやけになってそんなことを言うので、は子どもにするように土方の背中を撫でてやった。もしかしたら、土方は泣いているのかもしれない。も泣きそうだった。また、土方と話をすることができてはとても嬉しかった。

「助けてくださって、ありがとうございました。土方さんが来てくれなかったら、私死んでましたね、きっと」

「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ」

土方の腕がさらにを締め付けた。苦しくて、息が止まる。喉が涙でぴったりと張り付いてしまって、息を吸うことも吐くこともできなくなった。肩に土方の指が食い込んで痛くて、けれどそれが心地良かった。できることなら、着物の帯をほどいて生身の体で抱いて欲しかった。

けれど、土方がそうしてくれるかどうか、には自信がなかった。電球が切れたあの夜に、口付けをせがんで拒まれた記憶が脳裏に蘇る。それが不安になって、は土方の背から手を離した。

土方の腕の力が緩む。息を整えるような間があって、土方はほんの少しだけから体を離した。の両腕をしっかりと掴んだままで。

「頼むから、当分はここにいろ。そうすりゃお前を守ってやれる」

「……まだ、残党がいるからですか?」

「あぁ」

「それじゃ、それが済んだら?」

は思い切って、土方の目をじっと見つめて問うた。土方は苦しそうに眉根を寄せていて、怒っているようにも見えたし、何かを堪えているようにも見えた。

「……俺は、お前には幸せになって欲しいんだ」

土方は一言ひとことを絞り出すようにそう言った。の両腕を握り締めた手にぎゅっと力が篭ったのを感じながら、は土方の言葉をじっと待った。

「お前が好きに選べばいい。ここに残るんでもいいし、万事屋のところに行くんでも……」

「? なんですかそれ?」

突然銀時の名前が出たことに拍子抜けて、は首を傾げて土方の顔を覗き込んだ。土方はバツが悪そうに顔をそらしたけれど、は土方に掴まれたままの腕を引っ張ってそうさせなかった。

「なんで、銀さんなんですか?」

「だって、お前、あいつと……」

土方は喉の奥から絞り出すようにして苦しそうに答えた。

「……昔から、いい仲、なんだろ?」

「私、いつも言ってましたよね? ただの友達だって」

「だけど、あの時……」

「どの時ですか?」

「いや、だから……」

その歯切れの悪い物言いに、はしびれを切らして土方の手を渾身の力を込めて振り払い、その勢いに弾かれて目を丸くした土方の頬を両手で掴んだ。そして、ありったけの力で引き寄せてその唇に噛み付いた。土方は初めて唇を奪われた少年のように首まで真っ赤になってひと時抵抗したけれど、を引き離すこともできず、散々迷った挙句にやっとを抱きしめてその唇を受け入れた。

お互いの息が切れるまでそうした後、は心底嬉しそうに微笑んだ。

「これで、分かりましたか?」

「……分かったよ。疑って悪かった」

土方は気まずそうにそう言って、長い長いため息をついた。はくすくすと笑いながら土方の胸に飛び込むように抱きついた。

「ずっと、土方さんと一緒にいます。土方さんがなんて言ったって、いますから」

土方はそれには何も言葉を返さなかったけれど、その代わりにしっかりとの体を抱きしめた。





ところで、部屋の外では一悶着起きていた。

「……2人で何やってるんだと思う?」

「そりゃぁ、男と女がふたりっきりで部屋に篭ってたらやることはひとつでしょう」

「えぇ? でもあのうぶな副長ですよ? 部屋にさん連れ込むの俺たち全員見てるのにそんなことしますかね?」

「いや、トシも男だからな。いざという時は……」

「ちょっと近藤さん。確かめてきてくださいよ」

「部屋覗いて来いっていうのか!? そんなこと出来るわけないだろうが!?」

「真選組一デリカシーのない近藤さんならやってできないことないでしょう」

「ふざけるなぁ! 俺はあの一件でトシと和解したばっかりなんだよ! こんなことでまた揉めたらお前どう責任とってくれるつもりだぁ!?」

「じゃぁ、山崎。お前行ってこい」

「えぇ!? 嫌ですよ! ばれたら副長に斬り殺されます! 沖田隊長こそ、こんなの副長いじるかっこうのネタじゃないですか!? 自分で行ったらどうなんですか!?」

「土方さんはともかく、さんに叱られるのが俺は嫌ですね」

「それは俺だって嫌だ!」

「俺だって嫌です!」

と、その時、土方の部屋の襖が開いて、近藤沖田山崎の3人はびくりと肩を震わせた。

襖を引いたのは土方で、その後ろからがついて出てきた。2人の衣服に乱れたところはなく、服の袖や肩についた返り血が赤々としていること以外、変わったところはまるでなかった。

ほっと安心して顔を見合わせた3人を見つけると、土方は気まずそうに口を尖らせた後、の肩を叩いて3人を指差した。は乾いた血で汚れた髪を撫で付けながら、照れたように笑った。

「ただいま戻りました。遅くなってしまって、すみません」





20150928