八 やさしさの使い方








あれから、は銀時の元に身を寄せている。

銀時の怪我を世話するというのが名目だったけれど、自身も右足を怪我していたので、実際は神楽や新八が銀時との怪我の世話をしているというのが実態だった。病院に通ったり、お登勢やキャサリンとたわいない話をしたり、神楽がよっちゃんと相撲勝負をしたときの武勇伝を語って聞かせられたり、新八にお妙の料理音痴をどうにかする方法を真剣に相談されたり、怪我人とは言え、は何かと忙しく過ごしている。毎日の食事を用意するのもだし、神楽や新八に手伝ってもらいながら掃除や洗濯をするのもだった。

実質、銀時はそうとう楽をしていた。そのせいで白い目を向けられることもないわけではなかったけれど、それを受け流すのにも銀時は慣れた。ただ、が能面のような薄っぺらい笑顔で毎日をなんとなくやり過ごしていることだけが、面白くなかった。

「今日のお夕飯、肉じゃがでいい?」

「おぉ」

買い物から戻ってきてそう言うに、銀時は肯定とも否定とも取れない生返事をした。

神楽は定春の散歩に行っていて、新八は今日はお妙と外食するのだと言って早々に万事屋を出て行ってしまっていた。

「じゃがいもがタイムセールだったの。ひとりふた袋までだったから、銀さんにも一緒に来てもらえばよかったな」

「怪我人を荷物持ちにするんじゃねぇよ」

「少しは体動かしたら? なまらない?」

「怪我人は安静にしてんだよ」

「あら、そう」

は仕方がなさそうに笑いながら、重そうな袋を台所に運び入れた。だってまだ怪我は治りきっていないはずだけれど、そんなことはお首にも出さない。

銀時はブーツを履いたままの足を机に乗せて、大あくびをしながら台所の暖簾が揺れる様子を眺めていた。

はあれから一度も、真選組のことを口にしていなかった。あの動乱は大きなニュースになったし、隊士の多くが死亡したために隊の再編が急務だとか、警察庁長官の松平が責任問題に問われていたりだとか、そんな話は耳に入っているはずなのだが、真選組の「し」の字も話題に登らなかった。話すことといえば、料理の献立、天気の話、小耳に挟んだ噂話とか、明日になれば忘れてしまうようなことばかりだった。

銀時にとって、それはあまり愉快なことではなかった。

銀時がのれんをめくって台所をのぞき見ると、は前掛けをつけて着物の袖をたすき掛けにしているところだった。じゃがいもとにんじん、糸こんにゃくと絹さや、牛肉が並んでいて、流しに置かれたたらいに水が張っている。そこでじゃがいもの泥をこそぎ落としながら、は視線を起こした。

「どうしたの?」

「いや、どんだけじゃがいも買ってきたのかと思って」

「10個入りふた袋。そこにあるでしょ」

「食いきれんのかよ、こんなに」

「日持ちするから大丈夫よ」

流水に両手を浸して、は肩を揺らした。銀時は壁に背をついて怪我をかばうフリをしながら、の小さな背中を眺めた。

銀時の懐事情も手伝ってなかなか本来の目的のためには使われてこなかった台所には、銀時と神楽の歯ブラシと歯磨き粉、石鹸や整髪料が並べてある。洗面用の小さな鏡がちょうどコンロのそばにかけてあるせいで、鏡には油汚れがこびり付いて汚れている。ついでに言えば、炊飯器はリサイクルショップでただ同然まで値切って買った旧型で、冷蔵庫の中には神楽の好物・卵かけご飯を作るために大量の卵が詰まっている。使用料を延滞しているせいでガスがたまに止まるし、水道もそうだ。

こんなところで銀時のためだけに食事を振舞っていればいいだなんて、に限ってそんなことがあっていいのだろうか。

「お前さ、怪我が治ったらどうすんの?」

銀時が思い切って聞いてみると、は振り返らず、平然と答えた。

「そうねぇ、ひとまずは住むところと仕事を探さなくちゃね。お登勢さんが不動産屋さんに口きいてくれるって言ってくれてるの。まずはそれからかな」

「真選組に戻る気、もうねぇの?」

「クビになったんだもの。しょうがないわ」

「誰にも何も言われねぇのか?」

「実は、近藤さんには戻ってきて欲しいって言われてるんだけど……」

は引き出しから包丁を取り出して、じゃがいもの皮をむき始めた。銀時はほんの少しだけひやりとしながら、の言葉に耳を傾けた。

「それで?」

「考えてみますって言ってある。でも……」

「でも?」

は答えず、その代わりにまな板の上でじゃがいもを真っ二つにした。銀時は薄ら寒いものを感じて、顔色を悪くする。どうやらの怒りはあの日からまだ冷め切っていないらしい。

「私の代わりくらい、誰にでも務まるんじゃないかしら。パートの家政婦さんもいるしね」

「……そうか」

「こんなに長々と居候して、銀さんには迷惑かけちゃってごめんなさい」

「いや、別に迷惑ってことねぇけど。お前がいると飯にも苦労ねぇしな。むしろいつもよりいいもん食えてるし」

「それなら、よかったわ。こういうのも怪我の功名っていうのかしらね」

はそう言ってひとり笑った。けれど、銀時は笑えなかった。怪我を負ってまで、にここにいてもらいたい理由など、銀時にはなかった。

「お前が怒る気持ちも分かるけどさ、少し自虐的すぎるんじゃねぇの?」

「私は事実を言ってるつもりだけど」

「そうかもしれねぇけどさ、あいつが何考えてるか、お前は少しでも考えたことあんのか?」

は手を止めて、考え込むように少しだけ首を傾げた。銀時は続ける。

「……“お前には、幸せになって欲しい”」

「なぁに? 急にそんなこと言って」

「あいつが言ってたんだよ。あの日、列車を追いかける前に」

「……ふぅん、そう」

銀時からの表情は見えず、何を考えているのかは分からなかった。

銀時は、土方がどうなろうとどうでもよかった。妖刀に体を乗っ取られようが、それで真選組がどうなろうが、銀時には関わりのないことだった。

ただ、をどうしたいのかと土方に問うたとき、奴は妖刀に取り憑かれた胡乱な瞳でそう言ったのだ。けれど、土方には自分でその願いを叶えようという気持ちは微塵もないらしい。七夕飾りの短冊にしたためる願い事のように、高い場所に飾り立てた神頼みのようなものなのだろう。全くもって無責任だったらないと、銀時は思う。幸せなんてものを望むのなら、自分で剣を振り回すなりなんなりしてその手で掴み取って来いというのだ。それが、自分が惚れた女の幸せであるならなおさらだ。

「銀さんは、私の幸せってなんだと思う?」

じゃがいもを切り刻みながら、ふいにが言った。

「さぁな。そのへんのところ、どうなの? 実際」

「私にもよく分からないわ。幸せとか、そんなものより、目先のことばかり考えて生きてきたから」

は手を止めない。包丁がまな板を叩く音が音楽のように響いている。

「でもね、後悔していることはあるの」

「何だよ?」

「あの時、皆を置いて私ひとり逃げてきてしまったこと」

が一体何を言いたいのか、理解するのに少し時間がかかった。松陽が役人に連れ去られた日、は銀時たちを置いてひとり去っていった。がそんな昔のことを未だに悔いていただなんて、銀時はまるで予想していなかった。

「……、お前……」

「今更何言ったってしょうがないっていうのは分かってるのよ。でも、あの時私がしたことはあまりにも薄情だった。皆と一緒にいればよかった。一緒にいても何もできなかったかもしれないし、足でまといになったかもしれない。でも、役に立てなくても、ただ皆の帰りを待つことだけはできたかもしれないのに、私は……」

はふいに喉を詰まらせた。まな板の上には玉ねぎが乗っていて、の手は淀みなく動き続けている。

「子どもの頃は、幸せだったの。山や森の中を走り回って遊んで、皆と笑って泣いて喧嘩して仲直りして、一緒にご飯を食べて眠って。それに、松陽先生がいた。何の心配も不安もなかった。……私の幸せは、あれ以外にないのかもしれないわ」

銀時はの小さな背中を見つめて、力なく自分の両手に視線を落とした。の傷を癒す手立ては一体どこにあるのか、分からなかった。子どもの頃は幸せだったとは言うけれど、それが一体どんなものであるかすっかり知っているはずの銀時にでさえ、その幸せは手に届かない遥か遠い場所に置いてきてしまっていた。それをしたのは他でもない自分だという自覚もある。

その傷を慰めるために、を抱きしめてやれる権利すら銀時にはないのだ。





20150914