七 涙は怒りの糧 目が覚めると、の隣で土方が眠っていた。 まだ誰も起き出していない早朝の静けさ。時折、小鳥の鳴く声だけが響いて、まるで世界に2人きりで取り残されてしまったような錯覚に囚われた。なんて幸せな夢なのだろうと、はうっとりとため息をついた。 本当はずっとこうしたかった。土方の信頼を得たかった。そばにいることを許して欲しかったし、特別に優しくさせて欲しかった。抱きしめて欲しくて、口付けを返したかった。 土方との間にはひと振りの刀が横たえられていて、それはいつでも抜刀できるように土方の手の届く場所にあった。土方は眠っているというより、ただまぶたを閉じていると言った方が正しかったかもしれない。熟睡しているのではなく、何かことが起きたらすぐに飛び起きて刀を握り、敵を斬り殺すことができるように。 は、それでも良かった。土方のそばにいられるなら何でも良かった。殺し合いに巻き込まれようが、命が危うくなろうが、そんなことはどうでもよかった。それは本能と言ってもいい、の強い「欲」だった。 昔、死に別れた仲間達は、が見捨ててきてしまった。別れが恐ろしくて、見ないふりをして背を向けた。今思えば、よくあんな非情なことができたものだと思う。あんなに大切な人達を、どうして切り捨てて、自分だけ生き残ってしまったのだろう。彼らとの物語はもう終わってしまった。もう二度と取り戻せない。後悔は尽きないし、言い訳も弁明も何の力も持たない。 それでも、「お前は幸せになれよ」と、言ってくれた人がいる。 はそっと、土方の寝顔に手を伸ばした。 「目が覚めましたか?」 その声は、土方のものではなかった。力の入らない体に鞭打って、無理矢理顔を上げると、血まみれになった伊東の姿がの目に映った。がれきが散乱した、列車の中だった。もう動きは止まっているようで、唸り声はしない。 「……一体、どうなったんですか?」 の問いに、伊東は苦笑いをして答えなかった。 は体を起こそうとしたけれど、右足に痛みが走って顔を歪めた。見ると、着物が破れて、右足から出血していた。何かにぶつかって裂けてしまったらしい。応急処置を施されて止血のための包帯が巻いてあったけれど、それもほとんど血に染まっていた。 「……申し訳ありませんでした。あなたを巻き込んで、怪我まで負わせてしまって……」 伊東が、の顔を見ずにそうこぼした。やけに素直な口調だった。いつも嫌味なほど自信たっぷりに物々しい喋り方をする伊東らしくなくて、は首を傾げた。 「どうしちゃったんですか?」 「さんが気を失っている間にいろいろあったんですよ」 「それは見れば分かりますけれど……」 「でしょうね」 伊東はくつくつと喉を鳴らして笑った。その笑顔にはあくがなく、との会話を心底面白がっているような笑い方だった。あまりに場違いに思えて、は言葉に刺を潜ませた。 「伊東さんは、私を殺す気だったんでしょう?」 「えぇ。そうですよ」 「沖田くんに、私はもっとちゃんと怒るべきだって言われました」 「私もそう思います」 「私もそうしたいんですけれど、」 は立ち上がろうと力を込めたけれど、体に全く力が入らなかった。 「このとおりなので。伊東さんを怒るのは諦めます」 「許していただけるのですか? あなたには失礼なこともたくさんしたのに……」 「伊東さんがしたことなんて、数のうちに入りませんよ。もっと、いろいろと面倒なこともありましたし、それを許してきたんだから、伊東さんのことも許さないと」 どたばたと足音がしたかと思うと、半分にちぎれた車両の開いた口から見知った隊士が顔を見せた。みんな血と泥で隊服を汚していた。 「原田くん」 「さん。大丈夫ですか?」 「えぇ」 「おい、連れていけ」 隊士達が、伊東の体を抱えるようにして外へ連れ出した。その時、ははじめて伊東の左腕が肩先からちぎれてなくなっていることに気がついて唖然とした。 「さんはここにいてください。すぐに迎えに来ますから」 原田の声音は、を気遣ってとても穏やかだった。はそれに応えるように、静かに返事をした。 「……えぇ」 そうして、伊東は原田達に引っ立てられていった。伊東がこれからどうなるのか、にも想像できなかったわけではない。だからと言って、引き止めることはできなかった。真選組の任務一切には関わらない。それは、はじめにが近藤や土方と約束したことだった。 「大丈夫か?」 いつの間にそこにいたのか、銀時がいつもどおりのぼんやりした風情での側に立っていた。なぜか真選組の隊長服を着ていて、腰にはいつもの木刀をさしている。 「銀さん。どうしてここに? その格好……」 「ちょっと、いろいろあってな。立てるか?」 「どうかな」 銀時に腕を引かれて、はなんとか立ち上がった。怪我をした足を引きずって、列車の外に出る。そこには神楽と新八もいて、悲しげな顔で一点を見つめていた。 真選組の黒い隊服が、2人の隊士を取り囲んでいる。散乱した汽車の破片、あちらこちらで黒煙が上がっている。朝焼けの空がスポットライトのように世界を照らしていた。美しい景色だった。まるで、地獄のように。 「……ごめんなさい。銀さん」 は見える全ての景色から目をそらした。いくらきつく目を閉じても、後からあとから涙が溢れて止まらなかった。肩に大きな手のぬくもりを感じて、はそれに体を預けた。 「私、見てられない……」 銀時はの耳を塞ぐようにして、深くを抱きしめた。 それからどれくらい時間が経ったのか、ふと、銀時の手がの背中を叩いた。泣き腫らした顔をあげると、朝焼けが目を焼いた。東から昇る太陽を背にこちらに歩いてきたのは、血と泥と汗と、人が命のやり取りでまとった臭気のようなものをまとわり付かせた土方だった。 「大丈夫か?」 土方は低い声で淡々と言った。 はとっさに声が出ず、喉を詰まらせる。 鬼、とはよく言ったものだなと、は頭の片隅で考えていた。土方は血にまみれていて、それは自分の怪我なのか、それとも返り血なのか、には判別がつかなかった。?にこびりついた血が乾いて茶色に変色していて、刀は血と脂に汚れていた。逆光のせいで表情はよく分からなかったけれど、ふたつの瞳だけが暗く光って見えた。こんな獣が世界のどこかにきっといるのだろうと、には思えた。 「……土方さんこそ」 「別に、これくらい何てことねぇよ」 土方は刀を地面に突き刺すと、胸ポケットから煙草を出して咥え、火をつけた。 「……巻き込んで、悪かったな」 「そんなこと」 「そんな怪我までさせちまった」 「どうってことないです」 「今日付けで、お前を解雇する」 土方の言葉はあまりに唐突に投げ捨てられた。は呼吸を止めて、ただ目を丸くした。の隣でそれを見ていた銀時は、背筋に冷たいものが走るのを感じて息を飲んだ。 土方は、の顔を見ずに淡々と続けた。 「これまで世話になったことには礼を言う。だが、こんなことがあった以上、一般人のお前を真選組には置いておけねぇ。もうこんな目に遭わせるわけにはいかねぇ」 は自分を支える銀時の手を振り払った。少しふらつきはしたけれど、しっかりと自分の足で立った。片足を引きずりながら、は一歩、足を踏み出した。 「お前には、幸せになって欲しいと思ってる。新しい仕事探すなりなんなり、好きにすればいい」 が目の前に立って、やっと土方はの目を見た。けれど、すぐに逸らした。 「……万事屋のとこに行くんなら、行けばいい。それでお前が幸せなら……」 土方が最後まで言い終わる前に、の右手が土方の頬を打った。その勢いで、土方の口から火のついたままの煙草がこぼれ落ちた。当たりどころがよかったらしくものすごくいい音がして、相当離れた場所にいた隊士たちまでもが「何事か?」と振り返る。 土方は一体何が起きているのか分からないらしく、ぽかんと目を丸くした。 「な……」 「さっきから聞いていれば、私を心配するふりして自分の都合ばっかり」 「はぁ? ふりなんかじゃ……」 「そんなに私が邪魔だったんですね」 「そんなこと言ってねぇだろ。俺は……」 「結局は私を追い出したいんでしょう!? ずっと、土方さんのために、私が出来ることをやってきたつもりですけれど、そんなに嫌われてるとは思いませんでした!」 は泣きながら力の限り叫んだ後、今度は左手で土方の頬を引っ叩き、奮然と踵を返した。足がもつれて転びそうになったを神楽と新八が支えてやって、腰を落ち着けられる場所を探して真っ二つになった列車の陰に姿を消した。 銀時はの背中を見送りながら、両頬を赤く腫らした土方を横目に言った。 「めったに怒らない奴が怒ると怖いって本当なのな。あいつがあんなに怒ったとこ初めて見たわ」 土方は頬をさすりながら毒づいた。 「初めて? 子どもの頃からの付き合いなんだろ?」 「そうだよ。あいつを怒らせるなんて、そうそうできる芸当じゃねぇよ」 「そうかよ。ったく、思いっきり殴りやがって……」 土方は地面に落ちた煙草を拾い上げ、灰を落としてから咥え直す。少し焦げた雑草を踏み潰して、上着を脱ぐ。返り血を浴びてすっかり汚れてしまったので、ついでにそれで刀の血と脂汚れをこそぎ落とした。 それをぼんやりと頬杖をついて眺めていた銀時が、ぼそりと言った。 「いいのか? これで」 土方は視線を上げないまま答えた。 「……あいつのためには、この方がいいんだ」 20150907 |