五 殺すなら一息で殺して






日が落ちる頃に江戸を出た列車は、夜の闇を切り裂くように進んでいく。真選組の隊士は別車両に乗っているらしく、この車両にはたったひとりだけが席についていて、他に乗客はいなかった。列車の唸り声だけが響く静寂の中、は小さな荷物ひとつだけを膝の上に抱えて真っ暗な窓ガラスを見つめていた。窓ガラスには自分の影が映りこむばかりで景色は見えず、まるで列車ごとブラックホールに飲み込まれていくように思えて、気が遠くなった。

どうしてこんな真夜中の列車を使わなければならないのかとか、どうしてこんなに乗客が少なく列車そのものが真選組隊士の貸切状態になってしまっているのかとか、不自然な点はいくつもあったけれど、はそんなことにも気を回せないほどぼんやりしていた。

伊東はこの旅が「気晴らしになれば」と言ったけれど、そもそもは一体何から目を逸らして気晴らしをしようとしているのか、自分でもよく分かっていなかった。

の仕事は、炊事、掃除、洗濯、その他諸々、屯所に住み込む隊士たちの身の回りの世話や、生活面での援助。パート家政婦達の統括。この旅が終わっても、その日常はを待っている。

では、今、が目を背けているものは一体何だろうか? は窓ガラスに映るくたびれた自分の顔に向かって問いかけた。

「……一体、何がしたいのかしら」

「俺ァとりあえず、さっさとこんな仕事終わらせて休みたいですねぃ」

あらぬ方向から声が返ってきて、は背後を振り返った。いつからそこにいたのか、沖田が通路を挟んでの向かい側の席に腰掛けていた。

「あぁ、沖田くん。いつからそこに?」

「10分ほど前ですかねぇ。さん、一体どうしちまったんですか? そんなにぼうっとして、俺が来たのにも気づかないもんだからてっきり目ぇ開けたまんま眠ってんのかと思いましたよ」

「ごめんなさい。いろいろ、考え事をしてて……」

「土方さんのことですか?」

ぐさりと胸に刃を突き刺されたような衝撃を受けて、は黙り込んだ。沖田は何食わぬ顔をして席を立つと、窓際に座るの斜め向かい側、通路側の席に移動した。刀は腰を下ろすには邪魔なようで、両足の間に立てていた。

さん、土方さんがいなくなってからずっとそんな調子ですね」

「……」

「いつまでもそんな風にぼんやりしてると、悪い奴に付け込まれっちまいますよ。さんは人が良すぎるところがあるから、ちゃんと気をつけねぇといけやせんぜ?」

沖田はそう言って、口元を笑みの形にした。もそれを真似て、口角を持ち上げてみせた。

「心配してくれてありがとう。悪い奴って、なんのこと?」

「いえ、別に。さんは、どうして真選組で仕事しようなんて思ったんですか?」

「え?」

唐突に問われて、はきょとんとした。沖田は何食わぬ顔で、立てた刀の柄に両手を載せ、その上に顎をついて上目遣いにの顔を覗き込んだ。

「どうして今そんなこと聞くの?」

「なんとなく聞いてみてみたくなったんでさぁ」

沖田もふざけている様子ではなかったので、は数年前に真選組屯所の門を叩いた日のことを思い起こした。まだ、土方や近藤や沖田と出会う前の自分。松陽と仲間の元を離れてから、ずっとひとりだった自分。

「あの頃は、とにかくお金がなかったから。住み込み家政婦って仕事は魅力的だったのよね。お給料もまぁ良かったし、住み込みだから家賃と光熱費はいらないし、なんなら食費もほとんどかからないし……」

真選組の隊士達はがさつで短気な人ばかりで、はじめはどう接していいかまるで分からなかったけれど、近藤が豪快な笑顔でを迎え入れてくれたおかげでなんとかやってこれた。沖田は仕事をサボるついでによく話し相手になってくれたし、山崎や原田の仕事の愚痴に付き合うのも面白かった。

「辞めたいと思ったことはないんですか?」

「そうねぇ」

「一度も?」

「……そうね」

そう、この仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかった。家政婦に年中休みはないし、粗忽者の男ばかりを相手にしていて嫌な思いをしたこともあった。けれど、真選組を離れたいと思ったことは一度もない。生活のために得た職には、いつの間にか大切なものが増えすぎてしまった。

「……土方さんは、今頃どうしているかしらね」

は視線を落としてそう呟いた。

土方がいたから、は真選組でやってこられたのだ。土方はを守ってくれていた。隊士の誰かが酔っ払ってにからんできた時に、大きな声で隊士を一喝してくれた。眠れずに夜更かししていた時に声をかけてくれた。毎夜毎夜の雑談に付き合ってくれて、の心を和ませてくれた。土方は、真選組におけるの安心毛布みたいなものだった。

土方はいつもを見ていた。が何かおかしなことをしでかさないか見張っていたのかもしれないし、隠し事をしていやしないか疑っていたのかもしれない。それでも、は土方の視線が懐かしかった。京で高杉に会い、江戸に戻ってきたあの日、街中で土方に自分の存在を見つけてもらえた日のこと。あの、差しつらぬくような真っ直ぐな瞳。あの瞳に見つめられて、はとても嬉しかった。あの瞬間のことを、はきっと一生忘れないだろう。

「……病気や、怪我なんか、してないといいんだけどね」

「まったく、さんは余裕だねぃ」

沖田の言葉に、は力なく視線を起こす。沖田は何食わぬ顔で、刀の柄に手をかけた。

「沖田くん?」

さん。ひとつお願いがあるんですが、聞いてもらえますかぃ?」

「なに?」

がまばたきをひとつする間のことだった。

鋭い光がの目の前を横切った。それは座席の背もたれの中心をぐさりと突き抜け、低い呻き声のようなものがの耳をくすぐった。次にの目に映ったのは、鋭い刃に映る自分の見開かれた双眸だった。

沖田が刀を引き抜くと、重い音を立てて通路に人影が倒れ込んだ。それは真選組の隊服を着た、もよく知る田渕という男だった。じわりと広がる血痕。田渕はもう、ぴくりとも動かなかった。つい先日、妹が結婚するのだと言って嬉しそうに笑っていたっけ。

「……どうして……?」

思わずこぼれたの声は震えていた。

血振りをして刀をさやに収めた沖田は、田渕には目もくれず立ち上がると、に片手を差し出した。たった今人を斬ったとはとても信じられない、白くまっさらな手を。

「俺を信じてください。さんに悪いようにはしやせんから」

はほとんど無意識のうちに首を横に振った。

「……分からないわ、一体なんなの……?」

「こんなことに巻き込んじまってすいやせんね。けど、さんもいけないんですよ。ぼんやりして、こんなところまでのこのこついてきちまうから」

「……」

「俺を信じろっていうのも無理な話かもしれませんけど、ここは素直に俺についてきて下せぇ。そうじゃねぇと、二度と土方さんに会えなくなっちまう。それでいいんですかぃ? さん?」

土方の名を聞いて、の胸の中でちりと何かが燃えた。気がつけば、沖田の手を取って田渕の遺体を尻目に席を立っていた。





20150824