二 ふたり酒 土方が屯所から姿を消して、何が一番変わったかと言えば、手持ち無沙汰な時間が増えたことだ。 1日の終わりにふたりきりで話をしていた時間はそっくりなくなってしまったし、小腹がすいたという土方に夜食を作ることもなくなった。松平片栗虎に付き合わされて酔いつぶれた土方を介抱することもなくなったし、血に染まった煙草臭い隊服をクリーニングに出すこともない。屯所から出る煙草の吸殻は半減したから、ごみ捨ての手間が少し減った。 は前掛けを外しながら、すっかり1日の片付けを終えた台所をくるりと見回した。いつもよりも随分と早く仕事が終わってしまって、まだ働き足りないくらいだった。 これまでどれだけの時間を土方の身の回りのことに費やしてきたのだろう。土方がいなくなってしまったことでそれを実感するなんて、我ながら呆れてしまう。 仕方がないから、今日はもう部屋へ戻ろうとした時だった。 「お、ちゃん! 今日もご苦労さん!」 「近藤さん。お疲れさまです」 近藤はまだ隊服姿で、たった今屯所に戻ってきたようだった。近藤は人気のない食堂を見回して頭をかいて苦笑いをした。 「また、食堂があいてる時間に帰って来れなかったよ」 「会議でもあったんですか?」 「とっつぁんの愚痴に付き合わされてなぁ。まいったまいった!」 「何か作りましょうか? 簡単なものならすぐできますよ」 「いや、もう片付けも終わったところなんだろう? 悪いよ」 「いいんですよ。どうせ暇ですから」 そこまで言って、ははっとした。知らず知らずのうちに、随分と自暴自棄な声が出てしまっていた。近藤は困ったように笑いながらじっとのことを見ていた。 「すいません、私……」 「いや、いいんだ。ちゃんの言いたいことは分かるよ」 「いえ、私、そんなつもりじゃ……」 「良かったら、外に飲みにでも行かないか? それならちゃんに手間かけさせることもないし、俺も飯が食えるしさ」 「まぁ」 はぽかんと目を丸くした。近藤に食事に誘われるなんてことはこれが初めてだったのだ。 「いいんですか? 私なんかがお供しちゃって」 「あぁ、もちろんさ!」 近藤がを伴って出かけていったのは、小さな屋台だった。公園の片隅にぽつんと置き忘れられたような風情の店で、他に客はいなかった。 「ちゃんには、悪いことをしたな」 グラスの酒を傾けながら、近藤は低い声でこぼした。 「なんですか? 突然」 「トシのことさ」 「土方さんのことなら、本人の責任でしょう? 局中法度を破ったって聞きましたよ」 「まぁ、そうなんだがな。けど、あいつがどうしてそんなことをしたのか、いくら考えても分からないんだ。トシが自ら定めた局中法度を破るなんて、のっぴきならない事情があったとしか思えない」 「土方さんと話はしました?」 「それがなぁ……」 近藤はくっくと喉を鳴らして、自嘲気味に笑った。 「ちょっと、トシと言い合いになっちまってさ」 「まぁ、そうだったんですか」 「これだけ長い付き合いだっていうのにな。情けないよ」 「喧嘩をするのに、付き合いの長さは関係ないんじゃありませんか? 気心知れているからこそ、本音でものを言い合えるんだと思いますよ」 「だが、結果はこれだ。俺はトシを追い出しちまった。一体何様のつもりなんだろうな、俺は」 「……近藤さん」 「いや、こんな話を聞いてもらいたかったわけじゃないんだ。悪かったな、ちゃん」 「いいえ」 は酒が満たされたグラスをくるりと回して、氷をからりと鳴らした。近藤がどれだけ土方のことを心配しているのかが分かって、ほんの少し安心した。そもそも、局中法度に違反すれば即切腹というのが真選組のルールだ。それを免れて無期限謹慎となったのも、近藤の温情なのだろう。 「近藤さんの思いは、土方さんに届いていますよ。きっと」 「そういうちゃんはどうなんだ?」 「私ですか?」 「トシとはいい仲だったんだろう? 皆知ってることだぞ」 近藤はの肘を小突いて冷やかしたけれど、はそれにうまく笑えなかった。 「……そうでしょうね。土方さんがそうしてくれたんですよ」 「? どういうことだ?」 近藤は答えを促すように黙って酒を口に含んだ。 「女がひとり、男所帯で働くということを、土方さんはきちんと考えていたんでしょうね。屯所で働き始めたばかりの頃、私、隊士のみんなによくナンパされてたんですよ」 「え!? そうなの!?」 近藤があんまり自然に驚いて変な顔になったので、はついぷっと吹き出してしまった。 「そうなんですよ。土方さんはそれが嫌だったんでしょうね。風紀が乱れるし、仕事に集中できなくなっちゃう人もいたみたいだし。だから、土方さんは私に気があるふりをして部屋に呼んだんです」 「気があるふり?」 「えぇ。私が副長のお手つきだと知れれば、無闇に私のことを口説こうとする人もいなくなるでしょう。土方さんの目論見は成功しましたよね、近藤さんまで騙されるくらいですもの」 「トシはちゃんを守るために、ちゃんに惚れてるふりしてたっていうのか?」 「守ろうとしたものは私じゃなかったと思いますけどね」 「ちゃんはそれを分かってて、ずっとトシのそばにいたっていうのか?」 「えぇ、そうです」 土方は最初からそうだった。真選組のことだけが大切で、のことは目の上のたんこぶだった。真選組が強くなるためには、は邪魔者だった。けれど、がいなくなったら日々の食事にも困ってしまから、自分のそばに置いておくことで監視の目を光らせていたのだ。 ははじめから全て分かっていた。全て分かった上で、土方といる日々を楽しんでいた。こんな小娘ひとりに手を焼く土方がおかしかった。思わせぶりなことをしてみては、少年のようにおたおたする初心な土方がかわいくて、いつまでもからかっていたかった。それで誰に誤解されようが、それは土方が仕組んだことだ。自業自得だと思った。 「俺がトシとの結婚を考えてくれって言った時も、それが理由で断ったのか」 「まぁ、いろいろ理由はありましたけど、そのうちのひとつではありましたね」 「……そうだったのか」 近藤は片手で顔を撫でると、酔いが回ってしまったかのように目をぐるりと回した。それがおかしくて、は喉を鳴らして笑った。 笑いながら、はこっそり落ち込んでいた。改めて言葉にしてみると、自分と土方との関係はその程度のものだったのだと思えて、虚しくなった。これまで一緒に過ごしてきた時間や、交わしてきた言葉、言葉にならない空気感や眼差し、仕草。時間をかけて、土方と信頼関係を築いてきたつもりだったけれど、今となってはそれは自分だけが勝手に思い込んでいただけのことのようにも思えた。 「ちゃんにとって……」 近藤は神妙な顔でを見下ろした。 「トシとのことは、今でも“ふり”なのか?」 は酒が満たされたグラスを見下ろして、苦々しく唇を噛み締めた。 「……私はそうじゃなかったんですけれど、土方さんは違ったみたいです」 「ちゃん……」 「いいんです。私が勝手に期待して、調子に乗っちゃっただけなんです。それで勝手に傷ついて、みっともないったらないですよ」 はグラスの酒をあおって、無理矢理口角を上げて笑った。自分が情けなくて、この上なくくだらない存在に思えて、もうどうにでもなれという気分だった。 「それじゃぁ今日は、トシに振られたもん同士、仲良くやろうや」 そんなに、近藤は悲しげに笑いながら酌をした。 20150810 |