一 ひとり と ひとり





なんの心配事もなく穏やかな気持ちで息をして、ただゆるやかに時が過ぎていくのを眺めている。

今は夜。空気はひやりと冷たいけれど、寒いというほどではない。部屋の中にはオレンジ色の明かりが灯っていて、縁側をはさんだ中庭は夜に包まれてすっぽりと暗い。

「伊東さんが戻られてから賑やかになりましたね」

煙草の吸殻を片付けながらいつもどおりの世間話をすると、土方さんは面白くなさそうに煙草の煙を吐き出した。

「人数が増えりゃ嫌でもうるさくなんだろう」

「私は楽しいですよ。久しぶりに顔を見れた人もいたし、皆元気そうで安心しました」

「武器の買い付けに出て斬り殺されてりゃ世話ねぇよ」

「もう、土方さんったら。そんな話してないじゃないですか」

仏頂面を浮かべる土方とは対照的に、はころころと笑った。

真選組の参謀である伊東鴨太郎が久しぶりに屯所に戻ってきたのは、つい1週間前のことだ。それからの土方はすこぶる機嫌が悪い。土方と伊東の間には並々ならぬ確執があるらしく、ふたりが仕事以外の話をしているところを誰も見たことはなかった。

は真選組の仕事の一切に関わっていないから詳しく知らないけれど、土方はもともと誰とでも仲良くなれるような社交的な性格はしていないし、伊東だって一癖も二癖もある複雑な性格をしている。そんなふたりがうまくいかないというのも納得できることではあるので、はこの件について深くは考えていなかった。

「お前は、伊東とはうまくやってんのか?」

土方はどこか疲れの滲んだ声をこぼした。はこっそり土方の顔色を伺いながら、努めて明るく答えた。

「えぇ、まぁ。あまりゆっくりお話したことはありませんけど、人並み程度には」

「ふぅん」

「何ですか? 伊東さんと仲良くしてちゃいけません?」

「んなこと言ってねぇだろうが」

「元気ありませんね。伊東さんと何かあったんですか?」

「……なんで分かるんだよ?」

「分かりますよ、そりゃ」

土方はひどくつまらなさそうに頬を膨らませて、膝に頬杖をついた。何がそんなに気に食わないのかには分からない。伊東とうまくいっていないことに悩んでいるのか、それとも何か別の仕事に行き詰まっているのか、どちらにせよ土方らしくなかった。

いつもの土方なら、副長の立場に物を言わせて強引に仕事を進めるか、悩みがあったっての前で弱音を吐くようなことだって一度だってなかった。

「ずいぶんお疲れみたいですね、大丈夫ですか?」

「別に」

土方は力なく呟いた。全然、大丈夫そうではなかった。

「今日は早めに休んだらどうですか?」

は吸い殻を包んだ紙袋を手に取って腰を浮かせた。くたくたに疲れている土方をひとりにしてやったほうがいいと思ったのだ。

その時だった。ちかちかとオレンジ色の灯りが点滅して、やがて消えた。どうやら部屋の電球が切れたらしい。

「あら、切れちゃいましたね。変えましょうか」

突然暗闇の中に放り出されては、すぐに目が効かない。ターミナルのネオンが夜闇に明るいけれど、お互いの顔までは認識できない。土方が咥えていた煙草の火だけが赤く光っていたけれど、土方はそれを灰皿で潰した。

「別に、明日でいいって」

「暇だからやっちゃいますよ。どうせ皆酔いつぶれなくちゃ片付けもできないんですから」

「いいって言ってんだろ。どうせもう寝るだけなんだからよ」

この時、ふたりは暗闇のせいで距離感を測り違えた。は立ち上がる時にいつもよりほんの少し前のめりになっていたし、土方は立ち上がった時、無意識のうちにつま先をの方へ向けていた。ふたりはお互いがそうしているとも考えず、灯りを求めてくるりと踵を返す。その時、ふたりの肩がその勢いに任せて衝突した。

「あっ」

ふたりの体格差は歴然としている。当然、が土方の胸板に跳ね返され、土方はバランスを崩してそのまま派手な音を立てて倒れこんだ。

「……悪ぃ、大丈夫か?」

「えぇ、すいません、私こそ……」

は体を起こそうとして、はっと気づいた。少しずつ闇に慣れてきた目に、体に覆いかぶさる土方の瞳が映った。土方は普段話をする時にも、あまり目を合わせない。他の誰かに話しかけるように、明後日のほうを向いて話をする。だからと言ってが不自由していたかというとそうではなく、むしろ煙草をくゆらせながらもったいぶった話し方をする土方の横顔がはとても好きだった。土方と目が合う。ただそれだけのことがあまりにも新鮮で、は絡め取られたように動けなくなった。

今、土方さんからキスをしてくれたら。

の頭の中にそんな願望が浮かんだ。期待をした。もうここまできたら、いくら奥手な土方とはいえ手を出さずにいられるだろうか。目を閉じて、お互いにほんの少し首をもたげればいいだけ。その後は流れに任せて身も心もお互いに委ねてしまえばいいだけ。たったそれだけだ。それを拒む理由がふたりの間にあるだろうか。

けれど、土方は長い前髪での視線を遮るように顎を引いて視線をそらした。

「……明日でいいって、言ってんだろ」

そう言ったきり、土方はの目を見ることなく立ち上がって、暗い部屋に入りぴしゃりと障子を閉じてしまった。

暗い縁側に取り残されたは、それでもなんとか気持ちを立て直して、ひとり立ち上がり、台所へ戻ってその裏口からゴミ捨て場へ行って、持ち帰った煙草の吸殻を処分した。この情けない気持ちも一緒にぐちゃぐちゃに丸めて捨ててしまえたらいいのにと思うと、泣き出しそうな気分になった。

「……なによ、もう」

は誰にも聞こえない声で吐き捨てた。




土方が局中法度を犯し、無期限の謹慎処分を受けたのは、この翌日のことだった。





20150810