九 ここ から まえ へ





神楽はその日、落ち込んだまま万事屋に戻った。それがいけなかった。

「ただいまぁ。銀ちゃーん」

返事はなかったけれど、銀時の黒いブーツは玄関にあった。
定春の足を拭いて、靴を脱いで家に上がる。引き戸を開けると、銀時の銀髪が黒椅子の背もたれからはみ出て見えた。身動きをしないところを見ると眠っているらしい。

わざわざ叩き起こす必要もないので、神楽はソファに座ってテレビを着けた。ちょうどレディス4が始まる時間だった。定春はのそのそと畳の部屋に入って丸くなっている。テレビの音だけの部屋で、神楽はソファの上で膝を抱えて丸くなった。そのままの格好で、じっとテレビを見ていた。





銀時は目を覚ます。夢を見ていた気がするけれど、覚えていなかった。

強張った体を解す為にぐんと伸びをすると、誰かの話し声が聞こえたので椅子を回して振り向く。つけた覚えのないテレビがついていた。おかしいなと思って、立ち上がる。ソファを回り込んで、テレビの電源を落とす。ぶぅん、という音の後、嘘のように静かになった部屋は夕日に照らされて赤かった。赤と言うより、橙色と朱色の中間の色。空気が色づくのは不思議だ。気がおかしくなりそうな色だ。

そして気付いた。神楽がソファの上に膝を抱えて丸くなっていた。眠っている。寝息は穏やかで、規則正しく肩が上下している。こんな体制で眠ったら体が痛くなりそうだと思ったけれど、とりあえずはそのまま放置しておくことにする。
最近の神楽は銀時の言うことを聞かない。反抗期の小娘、かどうかは分からないけれど、とにかくそういう相手が眠っている間に体に触れるのは躊躇われた。何をしても殴られそうだ。

「……ちくしょう。こんな餓鬼に恐れを為すようになるとは。俺もいい加減老けたな」

頭をぼりぼりと掻きながら、銀時は照明をつけて台所に行って、適当な夕食を準備する。食べ物の匂いをかぎつければ神楽も起きてくるだろうと予想はついたので、二人分だ。案の定、神楽がのそりと起き上がる気配がした。

「……あれ、銀ちゃん? 起きたアルか?」

「おぅ。お前も起きたか? 飯食う?」

「食べるアル。今日は何アルか?」

「ご飯ですよ」

「やった。いつもよりちょっと豪華アルね」

「こんなんで豪華言うな。空しくなるから」

白い蓋の瓶をテーブルの真ん中に置いて、白飯を丼に山盛りにする。神楽と向かい合って、箸を持って両手を合わせる。

「いただきます」

二人で声を合わせて言うと、後は無言になった。腹が減って仕方がなかったという訳ではないけれど、何となく話題が見つからなかったのだ。こういう時、新八がいてくれれば間が持つのかな、と思う。何でこういう時に限っていないんだろう。

「ねぇ、銀ちゃん」

ふと、神楽が口を開いた。

「何だ?」

はいつ帰ってくるネ?」

「知らねぇ」

「何で知らないネ?」

「聞いてねぇからだよ。ていうか、何で今更そんな事聞くんだよ」

神楽は銀時を見ずに、丼を見下ろしたまま話をする。無表情な顔の中に何か底の知れないものを感じ取って、銀時は戦慄した。神楽は極たまにこういう顔をするけれど、その時々の状況はいつも特殊だった。例えば、星海坊主が神楽を連れ戻しにやってきた時。例えば、柳生家を強襲した折に手首を怪我した時。例えば、高杉が紅桜を使って江戸を襲おうとした時。それはいつも戦いの最中だった。

「……どうした? に置いてかれたのがそんなに気に食わねぇのか?」

「どうせあの丸眼鏡が勝手に連れてったんだロ。そんな事気にしてないヨ」

「じゃぁ何だよ」

「……私が怒ってるのは、銀ちゃん達ネ」

「あぁ? 俺達?」

神楽はもごもごと白飯を咀嚼する。頬がぽっこりと膨らんで栗鼠か何かのようだった。言葉が不明瞭になる。何を言っているのか分からない。

「俺達って、何だ? 百歩譲って俺は分かるとして、他は誰だよ? 新八か?」

「違うヨ。新八の方がよっぽど分かってるネ。土方ヨ。マヨラーヨ。一応の彼氏ヨ」

「あぁ、あいつ? 何、俺あいつと比べられてんの? 結構屈辱的何だけど」

「比べてるんじゃないヨ。私は二人共に怒ってるネ」

「おい、言いたい事ははっきり言え。訳分かんねぇよ。ていうか、飯食いながら野郎の話とか、胸糞悪ぃな」

銀時は丼をテーブルに叩きつけるように置いた。神楽にこういう脅しが通用するとはまさか思っていない。自分の苛立ちを示す手段が他になかっただけだ。
神楽は驚いた様子もなく丼を見下ろしている。少し尖った口元。

「……銀ちゃん。の事、どれだけ考えてるアルか?」

神楽の質問を、耳で受け止めて脳内で噛み砕く。吟味する。どれくらいの事を考えているか。どれくらい、なんて、抽象的な問い掛けでは明確な答えを出すことは出来ない。いいところ、手のひらを胸の前で平行に構えて、これくらい、と答えるくらいの事だ。けれどそんな答えでは神楽は満足しないだろう。

は、寂しいと思ってると思う」

神楽が言う。

は銀ちゃんとはもう家族にはなれないって言ってた。土方は、を家族とは思ってないって言ってた。だったらは、今は一人ってことになるよネ?」

「……あぁ」

曖昧に相槌を打つ銀時の言葉は、肯定とも否定ともつかない。

「土方は、歳食ったら家族がいなくなるのなんて当たり前だし、けどそれがなくたってちゃんと金稼いで生きていけるって言ってたけど……。私はそんなの分からないアル」

「ふぅん」

は寂しそう。は、昔の私と似てるネ。マミーが死んで、パピーも帰ってこなくて、一人で地球に来た時の私と。だから、私はの気持ち分かるヨ」

「……」

は寂しがってるヨ。なのにどうして銀ちゃんは何もしてあげないネ? 土方が頼りにならないのなんか、銀ちゃんはちゃんと知ってるのに。銀ちゃんはの事、ちゃんと考えてるアルか?」

銀時は答えられなかった。桂や、高杉や、坂本との過去を誰にも話さない理由と同じように、との過去を誰にも話さない理由はちゃんとあった。は神楽に何かしら、当たり障りのない事を話したようだけれど、が選んだ言葉以上にうまい言葉を、銀時が選べるはずもないことは分かる。だったらそれ以上、自分の口から何をも言えるはずはなかった。話したくなかった。それが本心だった。

結局の所、これは神楽からの逃走で、自己への妥協なのかも知れない。けれどそんな事をできる権利は、神楽より多く歳を重ねているからあるのだという自負もあった。が自分と家族以上にはなれないと言ったのなら、銀時の考えだってそれと同意だった。

銀時は何も答えなかった。





と坂本が萩に入ったのは小鳥が鳴き始める朝で、目的の吉田松陽の家に到着したのは変温動物がようやく行動を始める遅い朝だった。

昔の面影は何一つ残っていなかった。そこに人の住んでいた家があったのだという事が辛うじて分かるだけだ。家の土台だったらしい石、大黒柱は半分に折れていて、屋根はない。木の骨組みだけがごみの様に積まれている。庭には雑草が覆い茂っていて、裏庭にあった畑は見る影もない。

「おぉ、こりゃぁ酷いなぁ」

坂本はこんな時でも呑気で、サングラスを掛け直しながらぐるりと辺りを見回している。はその隣で、眩しそうに瞬きをした。思い出が想像以上に寂れてしまっていた事に驚いたのだ。

「誰もいなくなってしまったん?」

「そうみたいですね」

ちゃんは知らなかったん?」

「私が一番最初にここを出たんです。その時はまだ綺麗でしたよ」

雑草の波を掻き分けながら進む。坂本は気を使っての前を歩いた。坂本が通った後が道になったので、は足元を気にする事無く歩けた。

記憶にある自分の故郷とは全く違ってしまった景色を眺めながら、は胸の奥がすっと透き通るような感覚を感じていた。それがどういう意味なのか分からずにしばらく考え込んで、満足感、という言葉に落ち着く。あの時、松陽の元で共に育った家族と別れてから初めて訪れた故郷。記憶の中にしかなかった場所に、今確かに自分は立っている。戻ってくることが出来た。それだけで満たされていた。

「本当、何もないんやなぁ。どうする? ちゃん?」

「さぁ、どうしましょう」

「あれ、何かしたい事あったんと違うのか?」

「えぇ、こんなに何もなくなっちゃってるなんて思ってなくて……。とりあえず朝御飯にしましょうか」

元は柱であったのだろう太い木に腰掛けて、何時間か前に通りがかった売店で買ったお握りを二人で食べた。

「こんな所で朝飯っていうのも、乙なもんじゃのう」

「すみません。徹夜で運転させちゃった上に、こんなところじゃ仮眠も取れないですよね」

「構わんよ。寝るだけなら車の中でどうとでもなるきに」

そう言っておきながら、坂本は結局食事を済ませた後、丸太のような木の上に仰向けなって豪快に眠った。は膝を貸してやって、丸いサングラスを両手で弄んで暇潰しをした。

考え事をする。帰ったらまず何をしようかと考える。神楽にはとても悪い事をしてしまったから、沢山お土産を買ってあげよう。新八くんにもお妙さんにもお土産を買って、銀時にはこの旅で見た事を全て伝えよう。坂本の事も、高杉の事も、萩の事も全てを。真撰組の隊士達へは美味しい地酒を買って、近藤には恋愛成就のお守りを、沖田へは御当地限定のお菓子を。

「……土方さんには、何がいいのかな」

は、高杉と向かえたあの日の朝から土方の事ばかり考えていた。今何をしているだろうかとか、仕事で怪我をしていないだろうかとか、煙草を吸い過ぎていないだろうかとか、取り留めのない事を思っている。

萩に着いたら、昔を懐かしむあまりにもっと切ない気持ちになると思っていた。けれどそんな事はなくて、その理由はきっと土方の存在が大きいのだろうと思う。思い出も大切だった。けれど、それ以上に目の前にある恋も大切だった。

懐かしい思い出に寂しさを感じた夜は数知れない。けれど故郷の現状を知った今、もうそんな気持ちを感じる事はないだろう。

幸せになれと言い聞かせてくれたのは、松陽や萩の仲間達だ。髪を伸ばせと言ってくれたのは高杉で、下らないおしゃべりに付き合ってくれるのは銀時で、会えばいつもくどい位の心配してくれるのは桂だ。そして、運が良ければまた会えると、落ち込んでいるを慰めてくれたのは高杉だ。いつだって背中を押してくれるのは、思い出の中にある人々だった。感謝をしなければならない。幸せにならなければならないと思った。

坂本の間抜けな寝顔を見下ろしながら、は微かに微笑んだ。坂本を好きなだけ休ませてたら、早く江戸に戻ろうと思った。



20091016修正