五 いつか はな の さく ひ





萩は江戸と比べてとても自然の多い場所で、つまり田舎と言いたいのだけれど、それはそれでは好きな場所だった。

春の朝焼け。夏なら夜とか、満月とか、蛍とか。すすきの秋の、連れ立って飛ぶ烏、赤い夕日。冬のきんとした空気と、降る雪と積もる雪。それらはいつも、松陽の寺子屋と共にあった。茅葺屋根の日本家屋。松陽の住居も兼ねた家だったから大きかったし広かった。

高杉は吉田松陽が大好きだった。いつも松陽にべったりとくっついていて、銀時達と悪ふざけをするより、松陽のそばで雑学談義を聞いている方が性に合ったらしい。縁側に並んで座ったり、雨の日には同じ傘に入って話をしていた。話をするというより、高杉が松陽の話をねだっていたという方が正しいかもしれない。とにかく、そんな風に高杉は松陽が大好きだった。

だからだろうか。松陽は人一倍高杉の事を気に掛けていて、にも高杉の話を頻繁に聞かせていた。あんなに剣術の腕は達者なのに、どうして他の事は全部一歩だけ引き下がってしまうんだろうね。松陽はいつも、心配そうだった。





「……何だよ」

新しくしたばかりの畳で昼寝をしていたらしい高杉は、の突然の登場に驚いたらしくぱちくりと瞬きをした。大の字に広げられた手足。着物の裾が割れて、細くて白い足が丸見えだった。乱れた黒髪。大欠伸は殺さない。

「寝てたから」

「寝てたら覗くのかよ」

「どのくらいで起きるかなと思って」

「うぜぇよ。離れろ」

高杉は両足を持ち上げて、勢いをつけて上半身を起こす。邪魔そうに前髪を掻き上げた。

「何か用か?」

「ううん。別に」

「だったら来るなよ」

「だって皆山に茸狩りに行っちゃてて暇なんだもの」

「一緒に行けばよかったじゃねぇか」

「山奥に入ると危ないからって置いていかれちゃった」

「……ったく、くだらねぇ」

何が、と尋ねてみたくはなったけれど、あんまり高杉が不機嫌なのでやめておくことにした。高杉の寝起きが悪いのは皆知っていた。だからその用心の仕方も、皆知っていた。

は膝を滑らせて高杉と距離を取ってから、立ち上がって部屋の敷居を跨ぐ。そのまま縁側に腰を落として、膝から下を外に投げ出した。裸足の爪先は地面に届かない。確かその時は遅い春で、庭には躑躅の花が咲いていた。

「何やってんだ?」

「別に何も。暇なのよ」

「どっか別な所行けよ。邪魔だ」

「いいじゃない。暇な者同士一緒に暇つぶししようよ」

「誰が暇だ」

「暇じゃなくちゃ昼寝なんてしないくせに」

ふと、畳を踏みつける音がとんっと軽やかして、足音が近づいてきた。振り返るとの視線を追い越して、高杉が私の真後ろに立つ。それを振り返るには座る位置を直して体を捻らなければならなくて、そうしようとしている間に右のこめかみに軽い衝撃が走った。

「痛った」

「うるせぇよ。何だよこれ?」

高杉の手には、ぐしゃりと握り潰された躑躅が砕けていた。それはが髪に着けていた飾りで、茸狩りに行ってしまった桂が出掛けにくれたものだった。耳元からいい匂いを漂わせていた、躑躅の花。

「何、色気づいてんだか」

高杉は馬鹿にして、ふんっと鼻で笑って花を投げ捨てた。足が届かない地面に、花びらは弱々しく散った。

その時のは傷ついたというよりも、突然の事に驚いてきょとんとしてしまって、右の耳に残った衝撃が余韻を伴った音を鳴らしていた。それは躑躅の悲鳴のような、耳鳴りのような、痛みと共に有る甘さみたいなもので、それが消えるまで言葉が出なかった。

「……せっかく桂くんがくれたのに」

「桂、か」

「そうよ」

「銀時は? 一緒に行ったんだろ?」

「ううん。銀さんはまたどっかに行っちゃってる」

「ふぅん」

「何? 気になるの?」

「別に。あいつらの事なんてどうでもいい」

言いながら、高杉は少しの距離を開けての隣に座った。高杉はより背が高いので足を伸ばすと地面に爪先が着いてしまうから、胡坐をかいて後ろ手に両手を付く。どこを見るでもなく視線は庭に向いている。ぼんやりとした目だ。高杉はよく、子どもらしからぬ表情をする。

「どうして潰しちゃったの? お花」

その横顔に話しかけても、決して視線は捕らえられない。高杉は掴み所がない。何を話せばその興味を引けるのか、同じ屋根の下で暮らしていながら分からないのは悔しい。

「似合わねぇよ。お前に花なんか」

「酷い言い方」

「似合わねぇ物似合わねぇって言って何が悪ぃんだよ」

「優しくないって言ってるのよ」

「優しくして欲しいのかよ」

「欲しいわよ、女の子だもの」

高杉は口端をつり上げてにやりと笑うと、嫌味ったらしく「色気づきやがって」と呟いた。男の子って、どうしてこんなに意地悪なのだろう。はいつも思っていた。

「酷い」

「本当の事言っただけだろ」

「それが酷いんじゃない」

「うるせぇな。ていうか、色気づくならまず髪でも伸ばせよ」

「髪?」

言われて思わず、は上目遣いになって自分の前髪を見上げてしまった。子どもの頃のは、周りが男の子だらけだという事もあって肩に付かない位に髪は短くしていた。その方が活動的だったし、伸ばそうと思っても伸びるにつれて邪魔になってしまって、結局我慢ができなくて切っていた。

「伸ばした方が、少しは花も似合うんじゃねぇの?」

高杉は相変わらずぼんやりとした顔をしている。の方を返り見たりはしない。投げ遣りな言葉でも、声色だけは少しだけ優しく聞こえたのは、の気のせいだったのか。今となっては、誰もその答えを持たない。



20091016修正