七 なんども なんでも 





『もしもし。さんですかぃ?』

新八が取り次いでくれた電話から、の耳に届いたのは沖田の声だった。志村家の電話は玄関に近い廊下にあって、の声は銀時がいる部屋まで届かない。

「沖田君、どうしたの? 何かあった?」

電話の向こうは人の声やらパトカーのサイレンで騒がしい。沖田の声すら掠れて聞き取りにくいほどだ。は耳に受話器を強く押し当てた。

「周り騒がしいみたいだけど、事件か何か?」

『えぇまぁ。先日の攘夷志士同士の喧嘩があったでしょう? あれの残党が暴れてるってんで出動したんですが、予想以上に数が多くて。現場はかぶき町周辺なんですが……』

「かぶき町」

『まだそっちにいてよかったです。外は危ないんで、今日は屯所に戻らない方がいいかもしれません。できればそっちに泊めてもらってください。……って土方さんが言ってました』

「土方さんが? そんなに大変なの?」

『えぇまぁ。ちょっと今は時間ないんで説明できないんですが、とにかくそういうことです。それじゃぁ』

「え、ちょっと、沖田くん?」

の返事を聞く前に、沖田は電話を切ってしまう。音声が途切れた受話器を置いて、は息をつめて黒電話を見下ろした。

騒ぎを起こしているのは先日の一件を生き残った残党だと沖田は言った。けれど攘夷志士というものは幕府や真撰組が考えているよりもずっと集団意識が強い。桂のような攘夷志士の代表格からの指示がなければ表立った行動は取らないはずだ。

その桂は、今この志村家の屋根の下にいる。他に攘夷志士の代表格といえば、一人しかいない。

「……高杉くん?」

思わず呟いてしまって、は思わず頭を振った。高杉のことが一番に脳裏をよぎったのは、先日の一件を銀時と桂から話して聞かされたばかりだからだ。高杉は派手好きだけれど、こうも立て続けに事件を起こすほど軽率ではないし、もともと先日までは京に身を潜めていたと噂される位に影を生きる存在だった。まさか、かぶき町のような歓楽街に姿を現すなど、考えにくいことだ。

。どうした?」

部屋に戻ったを見て桂が問う。桂と銀時は蜜柑を食べているところで、エリザベスは皮を剥かないまま飲み込むように食べていた。

「沖田くんが外が騒がしいことになってて危ないから、今夜はこっちに泊めて貰えって。勝手で困っちゃうわね」

「騒がしい? 何かあったのか?」

桂の向かいに座ったも蜜柑を手に取った。銀時も今は起き上がって布団の上に胡坐をかいている。

「さっき話してくれた、先日の一件の残党が暴れてるって言ってたわ」

「紅桜の一件か。高杉か?」

銀時はなんとはなしに呟いたのだけれど、は思わず息を呑んだ。銀時や桂なら、と同じような筋書きを考え付いてもおかしくはないのだけれど、それを言葉にされると動揺してしまうのはどうしようもない。今の高杉は昔とどう変わっていて、どんな顔してどんな様相をしているのか、知らないのはだけだった。

「……さぁ、そこまでは分からないわ」

「高杉が昨日の今日でそんな派手な真似をするわけがないだろう。考えなしの馬鹿者か、派閥に属していないただの荒くれ者のどちらかじゃないのか」

「まぁ、この間のこともあるしな。泊まってけよ。新八には話しておいてやる。ついでにお前飯作ってくれよ。お妙の卵焼きはもうたくさんなんだ」

はすぐに答えず、蜜柑を一欠片ずつ口に運びながら眉根を寄せた。眉間の皺は深くはないけれど、がこんな表情をすることは滅多にない。を怒らせる事は至難の業なのである。

黙り込んで俯いてしまったを見て、銀時と桂はこっそり目配せをする。がこんな風に怒りを露にするのは珍しい。なんと声をかければいいのか、考えている間には三つも蜜柑を平らげてしまった。

「私、やっぱり帰るわ」

は無表情に決然と言った。それと同時に立ち上がってすっと真っ直ぐに背筋を伸ばす。突然のことに銀時は目を見張って、桂は思わず腰を浮かせた。

「何を言ってるんだ? ここへ泊まれと言われたんだろう?」

「言われただけよ。そうするなんてまだ決めてないわ」

「外は危険だ。何をそうむきになっているんだ? おい、!」

部屋を出ようと踵を返したを追って、桂は布団の中にある銀時の足を踏んで跨いで、(銀時はものすごい悲鳴を上げて蜜柑を取り落とした)その肩をつかんで静止する。は桂を睨み付けるようにして振り返って答えた。

「今日の仕事残してきたままなのよ。明日の朝食の準備もしてきてないし、夜中に大きな出動があった時は夜食作らなくちゃならないし……。やることは沢山あるんだから。一人でのんびりなんてしてられないわ」

「それを全て許されなければここへ泊まれという話にはならないだろう? 、少し落ち着け。何をそんなに慌てているんだ?」

「慌ててなんかないわよ」

「それじゃ言葉を変えよう。何をそんなに怒っているんだ?」

「別に怒ってなんかないわ。それじゃぁね、銀さん。今度来た時にご飯作ってあげるわ」

桂の肩越しに銀時へ微笑みかけて、は言う。銀時は痛む足をさすりながらいつも通りの力ない声で答えた。

「おう。差し入れに苺牛乳も頼むな」

「な、銀時お前まで何を言……」

予想外の言葉に、桂は思わず振り返って声を荒げる。

「分かったわ。他に欲しいものがあったら電話してね。それじゃ、お邪魔しました」

「気をつけてなぁ」

最後に、は無理矢理に口端を持ち上げて笑顔を作って見せた。不遜なそれは有無を言わせない圧力があって、桂は思わず押し黙ってしまう。

の姿が障子の向こうに消えて、部屋は一時しんとした。桂の背後で、銀時は痛ぇなぁ病人踏むなよお前ーとかなんとか呟いているけれど、桂は全くそれを無視して銀時を睨んだ。

「おい銀時。お前どうしてをあえて危険に晒す様な真似をする?」

「あぁ? 危険? 何がだよ。危険も何もねぇだろ」

「お前人の話聞いてたのか?」

「お前こそ聞いてたのか? 大丈夫だって。真撰組が出てるんだろ。あいつらがを危険な目に合わせる訳ねぇって。大事な家政婦なんだから」

「どんな根拠だ。真撰組がそんなに信用できるか。ただの幕府の犬だろうあんな奴等など。がそんな所で働いている事自体腹立たしい事だというのに」

「だから、大丈夫だって。いちいち心配しすぎなんだよ。実家のお母さんかお前は」

銀時の物言いがあんまりだったので、桂はため息を殺しきれずに肩を落とす。

布団の上に転がった食べかけの蜜柑。今は埃が付着して無残な有様だ。銀時はそれを一つ一つ拾い集めながら、指先で埃を払ってついでに息を吹きかけて、口に放り込んだ。

「まぁ、万が一真撰組に守ってもらえなくても高杉がうろついてるかもしれねぇんだろ? どっちにしろにとっちゃ馴染みだ。なんとかなんだろ」

「あいつがの事を覚えているかどうか、甚だ疑問だがな」

言って、桂はふと思い至る。高杉とは子どものころからそれほど仲が良かった訳ではない。どちらかと言えばいつも口喧嘩ばかりしていた仲だったように思う。それに、その乱行狼藉は江戸では知らぬ者などいない程、高杉はすでにまともな人間の思考を持っていない。一度剣を交えているから分かるのだ。そんな高杉が、の事をまだ覚えているのだろうか。

けれどは自分達の恩師、吉田松陽の義理の娘だ。高杉は松陽を心から尊敬していて、敬愛している。義理と言っても、その松陽の娘であるを高杉が特別に思っていないはずはない。それくらいの事は、桂も知っていた。

複雑な想いは溜息になって消える。



20091009修正