四 よまよい ごと





近藤の部屋はこざっぱりとしていてあまり物がない。押し入れには秘蔵のお妙さんグッズが隠してあるのだと隊内では専らの噂だけれど、もしそれが本当だったら怖いのでは知らないふりをしている。

愛刀の虎鉄を床の間に納めた近藤はそれに背を向けるようにして座ったので、は近藤と向き合って正座した。

「今日はいい天気だな」

「えぇ。洗濯物がよく乾いて助かります。予報では曇りだったんですけれどね」

「近頃よく外れるみたいだな。何をやってるんだかな、結野アナは」

「そうですね。ところで何なんですか? 突然改まって」

微笑んで問うに、近藤はわざとらしくはにかんだ。

「いや。何も特別なことではないんだけどな。あんまり人に聞かせるような話でもないと思ったんでね」

「もったいぶらないでください。なんなんです?」

近藤は一度視線を足元に落とし目を伏せて、顔を上げる。太陽の光が眩しいような、過ぎた日の夢を見た朝の目覚めみたいな、そんな近藤にはとても似合わない顔をしていた。

「単刀直入に言う。トシとの事、真剣に考えちゃもらえないだろうか?」

はすぐに答えなかった。驚きの声も、仕草も一切見せず、真っ直ぐに自分を見つめる近藤を真っ直ぐに見つめ返す。近藤の言葉の真意を見逃さないために。

ちゃんとトシの事は、俺なりに分かっているつもりだ。トシもちゃんも、こんなこと言ったら失礼かもしれないが、後少しで三十路になるし、俺なんか松平のとっつぁんから見合いまで勧められてるくらいだしな」

「あら、そうなんですか。おめでとうございます」

「まだ決まったわけじゃないんだが……。いや、俺の事はどうでもいいんだ」

近藤は咳払いをひとつして、言い直す。

「俺は、トシにはちゃんが必要だと思っている。だからこそ頼むんだ」

「つまり、結婚してくれと言いたい訳ですか?」

「もちろんすぐにとは言わない。前向きに考えて欲しいんだ」

はじっと近藤を見つめて、真摯にその話に耳を傾ける。

近藤は冗談でこんな事を言えるほど失礼な人間ではない。本気だからこそ二人きりで話をしているのだし、「前向きに」だなんて曖昧な言葉を選ぶのだ。

けれどには解せなかった。何故、土方から攘夷志士との関わりを疑われている今、そんな話を持ち出してくるのだろう。近藤がそれを知らない訳ではあるまい。土方は律儀な性格をしていて、近藤の精神論じみた屁理屈もその統率力も、無条件に信じている訳ではないけれど、尊敬して慕っているのだ。攘夷志士が関わる重大な問題に、近藤の意向を伺っていないはずはない。

もしかすると、近藤は一片の疑惑も抱いていないのだろうか。だからこんな事を言うのだろうか。はそう考えて、口元に笑みを上らせた。何だか少し腹が立っていた。近藤には少し空気を読めないところがあって、それは近藤の魅力のひとつだと思うけれど、状況如何によっては苛立ちを抑えきれない事もある。少し意地悪をしたい気分になった。

「近藤さん。ひとつ伺ってもいいですか?」

「あぁ、何でも聞いてくれ」

「どうして近藤さんは、土方さんに私が必要だと思うんです?」

「それは一体どういう意味だ?」

「今の土方さんは今のままでとても強いし、副長としても十分な働きが出来ていますよね。そこに女なんかがついたらどうなるかとか、近藤さんは考えないんですか?」

近藤は一瞬ぽかんとする。思いもかけない質問だったらしい。

ちゃんは、そんなこと心配してるのか?」

「そんなことでもないし、それだけでもないですけど」

軽く首を傾げたを見て、近藤は「そうか、そうだったのかぁ」とか呟きながら腕組みをした。
はただ答えを待った。近藤の前で墓穴を掘りたくなかったし、余計な事を口にしたくはない。

「知ってるとは思うが、ひとつ言わせてくれ。ちゃん」

「どうぞ」

「俺はお妙さんが好きなんだ」

「知ってますけど」

「将来嫁に来てもらうつもりでいる」

「それはどうでしょう」

「俺が言いたいのはつまりな、男には女っていう支えになってくれるものが必要だってことだ」

「まぁ、定石通りの答えですね」

近藤はぐしゃりと頭を掻くと大きく溜め息を吐き出した。はそれを見てもやっぱり微笑んでいて、近藤はこれ以上何を言っていいのか分からなくなってしまう。

近藤はのかつての苦労を掻い摘んで知っている。生まれた時から親がなく、いろんな職を転々と渡り歩いてきたのだという。その経験値は剣一本で生きてきた近藤より遥かに大きいのだから、こういう言葉遊びでは叶わないことは重々承知していた。だからこそ近藤は言った。

「返事は急がなくていい。ゆっくり考えてくれて構わない。俺は、俺達は、気長に待ってる」

は最後に微笑みだけ残して部屋を去った。

残った近藤は、しばらく今までが座っていた場所をじっと見つめていたけれど、ふと視線を上げて障子を見やった。そこに二つの人影を見て、近藤は苦笑する。

「そろそろ出てきたらどうだ? トシ」

その言葉の少し後、少しの迷いの間を見せて土方と、その手に引きずられた山崎が姿を見せた。どうやら最初から立ち聞きしていたようで、二人ともその表情は冴えない。

近藤はしまったな、と思って苦笑した。わざわざ人に聞かせるような話でもないが、聞かれて困る話でもないのだ。何しろ土方は当事者なのだから。

「立ち聞きとは、趣味が悪いな」

「それはお互い様だろ」

土方は部屋の隅にぐったりした山崎を放り投げて、近藤と向き合うようにしてあぐらをかく。右手の指には吸いかけの煙草が挟まれたままで、溜め息のように吐き出された白い煙は部屋の空気を曇らせた。

「近藤さん。一言だけ言わせて貰うが、」

土方はその瞬間だけ、本気の殺意を込めて近藤を睨みつけた。この一瞬だけ、本気で。

「余計なことすんな。誰の許可得てあんなことしゃべってんだ」

近藤はその殺意も意地も憤りも全て受け止める。腕を組んで、土方の鋭い視線を正面から見据えて、苦笑しながら軽く首を傾げて見せた。

「余計なことってのは認めるが、別にお前の許可はいらんだろう? 俺はちゃんの気持ちが知りたかっただけなんだから」

「あいつ自分のことなんか一言もしゃべってなかったじゃねぇか」

「あぁ、まぁな。さすがにガードが硬かったな、やっぱり」

「つまり全然目的は果たせてねぇってことだろ」

「なんだ、トシだって気になってんじゃん?」

わざとらしく語尾を跳ね上げた近藤に、土方は青筋を浮かせて腰を浮かしかけた。近藤がしたことは軽率で短絡で馬鹿馬鹿しい事としか思えなかったし、何より近藤のこういう軽い態度に心底腹が立った。

「そういうことじゃねぇ。言ってることの意味を捏造するな」

「捏造とは何だ。どういう意味だ」

「……そこから説明しなきゃなんねぇのかよ」

結局、会話はいつも通りぐだぐだになっていつも通り終わった。

ずっと障子の外側に正座してその話を聞いていた山崎は、の心境を思って涙する。土方や近藤にずっと隠し通している攘夷志士との関係は、にとって絶対の秘密なのだろう。いくら土方を大切に思っていても、その秘密がある以上土方と一緒になる事はできないのだ。ならそれくらいの事は考えていそうな気がした。何て健気な事だろう。

「何泣いてだ? 山崎」

「なぁ! なんでもありませよなんでも!」

山崎は土方に不審そうに睨まれて、こっそり袖口で涙を拭う。



20091008修正