三  みえかさなり おちゆくは いつわりがおか






真選組の牢は屯所の西外れにある。その本来の役目は、捕らえた罪人を刑務所へ護送するまで一時的に拘置しておく事だ。もともと真選組は反乱分子の即時処分が許可された唯一の対テロ用特殊部隊であるため、一時的拘置なんて野暮なことはしない。即座に切って捨てるのが定石だ。

「運がいいんだか、どうなんだか」

汚い土を固めただけの牢の床に寝転がりながら、銀時はぼんやりと呟いた。
安っぽいオレンジ色の裸電球だけが頼りになる灯りだ。窓はない。空気がじめじめと湿気っていて黴の匂いがする。潔癖性という訳ではないから特に気にならないけれど、かといって好きこのむような場所でもない。

「気分はどう?」

芝居がかっておどけた声がして、銀時はがばりと起きあがった。がやって来たのだとすぐに分かったからだ。

がちゃりと鍵が外される音がすると、牢の扉の下二十センチばかりの小さな小窓が開いてそこから盆に乗った食事が差し出された。

「夕ご飯どうぞ」

銀時は、鉄格子に縁取られたの笑顔を見る。オレンジの光に陰影がくっきりと浮かび上がり、懐かしい絵画のようにを染め上げた。その懐かしさはただ裸電球の色のせいだけではない。



「お久しぶりね、銀さん」

からかうように軽妙な口調で言うは、銀時が昔からよく知る彼女そのままだった。銀時は安堵とも疲労ともつかない溜め息をついて、ゆるやかに苦笑した。

「……何だ、覚えてたのかやっぱり」

「忘れるわけないじゃない」

は盆を銀時の目の前まで押しやって小窓を閉じると、その場に尻をついて座って、鉄格子に肩を預けるようにしてもたれかかる。着物の汚れを気にしない性分は昔から変わっていないらしい。

「まさかこんな所で会えるとはね。びっくりしたわ」

「何でお前こんなとこいんの? まさか慰み物にでもされてんじゃねぇだろうな」

「馬鹿。ただの家政婦よ」

「家政婦って、ご主人様の飯作ったり掃除したり洗濯したりするあれ? ていうかメイド? お前とうとうその道に走ったの?」

「どういう偏見よ、それは」

心底呆れ返った顔で睨まれて、銀時はようやっと口を閉じた。

「……いや、別に」

銀時は箸を取って盆の上の茶碗を取ると、いただきますも言わずに豪快に飯を口の中に掻きこんだ。普段からあまりまともな食事をしていないので、牢にいながら常より豪華な食事にありつけるのは不幸中の幸いだった。

はその様子を見守りながら、短い問いかけをぽつぽつと唇に乗せる。まるで確かめるように。

「銀さんは、今何してるの?」

「あぁ。万事屋」

「何それ。自由業?」

「人聞き悪いこというな。自営業だよ自営業」

「ふぅん」

「なんだよその疑わしそうな目は。隊士からセクハラでも受けたらいつでも相談に乗るぜ?」

「え? 法律事務所じゃないでしょ?」

「だから万事屋だって言ってンだろ。頼まれりゃなんでもやるんだよ」

「……胡散臭いわね」

「言っていい事と悪いことの区別もつかないのか、相変わらずお前は」

銀時の声は口にものを含みながらしゃべるので、もごもごくとくぐもっている。聞き取りにくいことこの上ないが、は慣れたもので平気な顔をして聞いていた。

「他のみんなも一緒なの?」

「んなわけねぇだろ。生きてるのか死んでんのかも知らねぇよ」

「あら、縁起でもないこというのね」

「どういう意味だ?」

「あの人達がそう簡単に死んじゃうとはとても思えないわ」

「あぁ、そりゃそうだな。心臓一突きにされても死なねぇようなやつらだったなそういえば」

汚い牢の土の上で、は声を立てて笑った。子供の頃とちっとも変わっていない笑顔を前にして、銀時は懐かしさにぎゅっと胸が締め付けられる。そして美味い飯にありつけた以上の喜びが体中から溢れるのを感じた。
それは銀時にとって一種の宝物のようなものだった。二十年前に天人が江戸の鎖国を解いた時、攘夷志士なんて仰々しいレッテルを貼られてでも守りたかったもののひとつだった。

「お前、料理うまくなったな。あの頃は魚焼けば炭にするような奴だったのにな。見違えたぜ」

「当たり前でしょ。いくつになったと思ってんのよ」

「そういえばお前結婚とかしてないの? いい歳だろいい加減。そろそろ何とかしねぇと貰い手いなくなるぞ。いっとくけど俺のとこ来ても面倒見切れないからな。もう乳臭いガキ二人と巨大犬養うので手一杯だから」

「……一体どんな生活してるの? 銀さん」

それからは銀時の暮らしぶりを事細かに聞いて、驚いたり呆れたり喜んだりと、短い時間の間に忙しく心を振るわせた。離れて生きてきた時間を埋めるように、確かめるように。





さん」

が空になった皿を重ねた盆を持って牢から出てくると、沖田が壁の影から姿を現してを驚かせた。皿が擦れ合って無機質な鈴のような音を立てる。は皿が落ちないよう盆に手を添えて、沖田の姿を捕らえるときょとんと目を丸くした。

「沖田くん。どうしたの? こんな時間に」

「別に、散歩してただけでさぁ」

日が落ちてまだそう時間は経っていない。西の空にはまだ日の光が残っている。はいつも暗い色の着物を好んで着ているから、その体は夜の闇に溶けていくように、沖田の目に映っていた。

さんは? 何してたんでさぁ、こんなとこで」

「夕ご飯届けてきただけよ」

は盆を軽く持ち上げながら、おどけた笑顔で答える。その様子はいつもと変わりなかったが、沖田はいつも通りに洒落を返すような気分になれなかった。

「旦那と知り合いなんですかぃ?」

”旦那”という単語が誰のことを言っているのか、はすぐに分からなかったようだ。少し考え込むように首を傾げた後、思いついたように言う。

「あ、銀さんのこと?」

沖田はこくりと頷いた。
はふいに、沖田が今までに見たことがないような、柔らかな笑みをゆっくりと口元に上らせた。それはまるで、何か特別な秘密を称えているような神秘的な印象を沖田に植え付ける。夜の始まりの、藍色の空気がを守るように包んでいる。

「ずっと昔にね、家がご近所さんだったの」

「幼馴染みってことですかぃ?」

「まぁ、そんなところね。一緒に山の中でかけっこしたような仲よ」

それを聞いて、沖田は内心に黒い疑念が浮かぶのを感じる。信じたくはなかったが、確かめなければならないことだ。
沖田はに歩み寄って、右肩同士が触れるように隣に立つと、そっとの耳元に口を近づけて低い声で問うた。

「じゃぁ、桂小太郎って奴は知ってますかぃ?」

「桂って、あの指名手配されてる攘夷志士の?」

沖田の横顔を見上げて問い返すの表情は疑問一点張りだった。沖田はらしくもなく、ほっと安堵の溜め息をこぼす。

元々銀時は真撰組から攘夷に関わっているのではないかと疑われている。だから土方と銀時はあんなにお互いを毛嫌いしているのだ。そのせいで真選組内では万事屋憎むべしの精神が定着しつつある。 が銀時と幼馴染だというなら、銀時への疑いがにまで繋がることもあり得るのだ。沖田が疑ってしまうのも無理はない。けれどそれは杞憂に終わったようだった。

「万事屋の旦那は、前に桂のテロ行為に関わった疑いがありましてね。知らないんならいいんです。気にしないでくだせぇ」

「? そう」

沖田はが持っていた皿を持ってやると、踵を返しながら言った。

「部屋まで送ります」

「大丈夫よ。ひとりで戻れるわ」

「何言ってんですかぃ。ここただでさえ物騒なんだからいつ物陰から飛びかかられるか分かんないですぜ」

「そんなの今更じゃない」

そう言いながらも後ろをついてくるの足音を聞きながら、沖田は気分よく夜の始まりを歩いた。言葉一つ聞いただけで全幅の信頼をおけるほど、は沖田にとって大きな存在だったのだ。

けれどの口元に薄く浮かんだ微笑みの本当の意味を、沖田は知らない。



20091004修正