二 ふかくとふたたび まみえること






ぴちちと小鳥が鳴いていた。いい朝だ。よく晴れた空には羊雲が群れをなして泳ぎ、ひんやりと心地よい風が肌を撫でていく。深呼吸をすると体中に新鮮な空気が満ちて気持ちがいい。

寝間着のまま縁側に出て朝の贅沢を堪能していた沖田は、大きなあくびをして寝癖の付いた髪を掻き上げた。普段は昼まで布団から出てこないこともざらにあるのだけれど、今日は近藤と土方が松平から呼び出されている。二人が留守に間は沖田が屯所を守らなければならない。

ふと、沖田が庭の方に目をやると、がちょうど巾着ひとつを持って出掛けていくところだった。面白そうな予感がして、沖田は口元に手を添えて、

さーん!」

と大声で呼んだ。
振り向いたに向かって手を振ると、にこにこ笑いながら縁側の方へ歩み寄ってきた。その上に立っている沖田は、自然とを見下ろす姿勢になる。

「おはよう。沖田くん」

「おはようございます。買い物ですかぃ?」

「えぇ。今日は特売日なの」

「ひとりで行くんですかぃ? 車出せばいいのに」

真撰組隊士はその人数に比例して食料費も半端ではないから、食料品は業者に委託して毎日配達されてくるように手配されている。けれどは「自分の目で食材を選びたい」と言って、何日かに一度は自分の足で市場へ赴く。そういう時は何人か非番の隊士を連れて荷物持ちにしているのだ。

「今日は個人的な買い物だから大丈夫よ。薬局まで化粧品をね」

「あぁ、なるほど」

「沖田君は随分早起きね。仕事?」

「えぇまぁ。ただの留守番ですけどね」

「あぁ、そういえば近藤さん達出掛けるって言ってたっけ」

「おかげで今日はちゃんと朝飯食えますぜぃ」

「今日は切り干し大根の煮付けがあるわよ」

「椎茸入ってます?」

「もちろん」

「心して頂きやす」

それじゃ、行ってくるねと言いながら背を向けたを見送って、沖田は部屋に戻る。とりあえず着替えをしなければならない。
食事は寝間着から着替えた後にというルールはがここへきてから決めたものだ。彼女の決め事とは、集団生活をする上での最低限の礼儀を重視したものだ。田舎生まれ田舎育ちの隊士達には少し厳しいものもあるにはあったけれど、それらは大体の場に置いてきちんと守られている。それは真撰組隊士の全てが、を慕ってやまないという何よりの証拠だった。沖田ももちろん例外ではない。

よく晴れた空に、小鳥が鳴きながら飛んでいた。いい朝だった。きっと何かいいことが起こるだろうと、無条件で信じたくなるような一日の始まりだった。何と言っても、鬼の副長が留守というこれ以上ない好機なのである。


けれど、その予感は大きく外れる事になる。巡回当番である八番隊から、「さんが天然パーマのノーヘルバイクにはねられましたアァァァアア!!!」という涙混じりの連絡が入ったのが、その日の午後の事だった。





「お前も年貢の納め時ってとこだな」

土方の声音はものすごく生き生きしている。口を動かすたびに煙草が揺れて、散らばる煙も心なしか楽しげに上昇していた。

「いや、これ以上搾り取られたら俺マジで生きていけないんだけど」

対照的に、銀時の声は疲れ果ててまったく力がこもっていない。呆然、という表現が一番しっくり来る色合いの声は、確かにこの状況に相応しかった。

薄暗い牢のなか、鉄格子の内側で土の床の上に直にあぐらをかいているのは坂田銀時、外側で腕を組んで傲然と顎を上げているのは土方である。その一歩後ろには沖田が控えていて、興味深そうに二人の顔を交互に見ていた。

土方がこんなにもいい笑顔を浮かべるのは、腸煮えくりかえるほどの怒りを抱え込んでいる時か、もしくは積年の恨みが積もり積もった憎い相手を徹底的に痛めつけられる機会を得た時だけだ。今回は後者である。

「そりゃいい。面倒な奴がいなくなってせいせいする」

「それ仮にも役人が言う台詞じゃねぇだろ。何か? 幕府はもうそこまでなり下がってんの? こりゃ江戸ももう終わりだな」

「お前に偉そうな口叩かれると何でだろうな。無性に刀抜きたくなるぜ」

「土方さんこの間刀新調したばっかでしたね」

「おう。切れ具合確かめとかねぇとな」

「ちょっと待てこんなとこで人死んだらまずいだろ真撰組のイメージ崩れるよただでさえあんまいい話ないんだから自分らで墓穴掘ることないだろってこら刺すなまじで刺すなァァアア!」

「いちいちうるせぇやつだな。すぐ終わるからさくっと一突きすればおわるから、なっ?」

「なっ、じゃねーよ! 本気で殺す気かお前ェェエ!!」

「心配すんな墓にはチョコレートパフェの半額割引券入れといてやるよ」

「え、それあっちでも使えンの?」

「何馬鹿なこと言ってるんですか」

ふいに、鋭いつっこみが降ってきて、三人は同時に同じ方向を振り返った。

牢の扉の前にが立っていた。襷掛けにした袖から露わになっている腕には包帯が巻かれていて、頬や額にも絆創膏が貼られている。バイクにはねられたというには軽傷だけれど、その姿はやはり痛々しい。それでもはしっかりとした足取りで、毅然と土方に向き合った。

「こんなところで刀抜かないで下さい」

ひたりと張り付くような視線は、土方の理性をゆっくりと呼び起こさせる。かちゃりと音を鳴らして刀を構えた腕を下げると、土方はの腕の包帯を横目で見やりながら言った。

「怪我は大丈夫なのか?」

「えぇ。軽い打撲と擦り傷だけです」

「バイクにはねられてそれか?」

「はねられたっていうか、接触事故だったんですよ。藤堂君が大袈裟な報告しちゃったみたいですけど、この通りぴんぴんしてます」

言いながら、は軽く腕を振って見せる。土方はそれを見てようやく刀を鞘に収めた。銀時は心底安堵して長い溜め息に乗せてあー助かったーとか呟いた。

「とりあえずこの人と話しつけるんで」

「話って、なんのでさぁ?」

「示談交渉ですよ」

「ちょっと待て何勝手に示談するって決めてんだ」

「だって面倒じゃないですか。怪我も大したことないんだし」

「お前、顔に傷つけられたとか女らしいことの一つや二つ言えねぇのかよ」

「何期待してるんですか? こんな程度の怪我なんか残りませんよ」

はやけに冷めた視線で笑う。土方はその視線に圧倒されて、ぐっと黙り込んでしまった。その隙を付いて、は土方の前に回りこむ。腰を折って牢の中にいる銀時と視線を合わせると、土方に向けたものとは比べ物にならない穏やかな笑顔を浮かべて、優しい声色で言った。

「というわけで、それでいいですよね? 金銭面でも迷惑は掛けませんから」

の笑顔を見上げる銀時は、ぽかんと口を開けて、死んだ魚のような目をきょとんと丸くしていた。何か言いたくてどんな言葉を選べばいいのか分からないでいるような表情だった。沖田や土方にはその意味は分からなかったのだけれど、はそれを是という回答に取ったらしい。顔を上げて振り向くと、我が物顔で胸を張る。

「じゃぁ、書類の方は私から事務の方に申請しておきますね」

「勝手に話を進めるんじゃねぇよこら」

土方は最後まで納得いかない顔をしていたけれど、が得体の知れない押しの強さを見せて結局押し黙らざるを得なかった。


20091003修正