3 意外すぎた真実





高いビルの隙間から青空が見える。都会は車の排気ガスとかなにかで空気が汚れているから、「あお」といってもひどくよそよそしい色合いだった。道行く大勢の大衆と同じようにとてもよそよそしい表情をしているように見えて、は我知らず妙な孤独感に苛まれている。
本来ならば大学で講義を受けているはずの時間に、は東京のど真ん中に翼と並んで立っていた。

「人の隣でそんなぶさいくな顔するのやめてくれる? せっかく久しぶりの日本なのに気分悪いんだけど」

黒のジャケットにジーンズといういでたちの翼は、にこやかに笑ってのうのうと言った。
得意の話術でを捻りつぶして遊びたい、という魂胆がみえみえなので、は返事をせずにつんとそっぽを向いた。それを分かっていて挑発に乗る必要はないと思っていたし、昨夜からの不調が原因で機嫌が悪かった。

「ま、気持ちは分からなくもないけど、たまのはとこの頼みくらい聞いてくれたっていいだろ? 高校卒業してから代表の遠征くらいでしか顔合わせる機会なんてなかったんだからさ。しかもそういう時は二人っきりで話なんかできなかったわけだし、こういう時間は大事にして欲しいね」

「……はたから聞いてたら誤解を受けそうなせりふなんですけど」

「俺は別にいいけど。どーせすぐスペインだからさ。マスコミもそこまで追ってくるほど暇じゃないだろ」

「自分勝手」

「何か言った? 聞こえなかったんだけど」

「いや、別になにも」

赤信号の交差点に差し掛かって、あたりが一段と騒がしさを増した。は今なら、「やってられない!」とか適当な事を叫んですぐさまここから駆け出すこともできそうな気分だった。学校をサボれと半ば命令のように強要するなんて、いつもの翼らしいせりふではない。こうして二人で過ごすことは本当に久しぶりだからあながち嘘をついているとも言えないから余計たちが悪い。もしかしたらスペインで何かあったのではないだろうかと勘ぐってしまいたくなる。

「あのぉ、すみません、」

自分でも気付かないうちに物思いに沈んでしまっていたは、誰かが人混みの中からこちらに向けて言葉を発していたことに気付かなかった。

「はい?」

翼がそれに応えて、の位置からは翼の後頭部しか見えなくなった。声をかけてきたのは、二人の女の子だった。茶色の長い髪をきれいに巻いた、今時のかわいらしい二人だった。

「日本代表の椎名選手、ですよね?」

「そうですけど」

「きゃー! やっぱりー!」

手を取り合ってはしゃぐ二人を前に、翼は笑って快く握手に応えた。外面がいいのは子どもの頃から培ってきた技なのだろうけれど、笑顔にさらに磨きがかかっていてきらきらしい。女の子二人は携帯電話で写真を撮り始めてしまって、は他人の振りをしてぼーっと赤信号が変わるのを待っていた。



ところで、翼とふたりで街に出る時はそれなりの消耗を覚悟していかねばならない。はそれをすっかり忘れていた。
映画館をふたつはしごして、スペインでは見られない邦画を4本鑑賞、口にしたものはファーストフードとポップコーンのみ。普段は決して無理なスケジュールを組まずに緩やかなテンポで生活を送るには、こんな殺人的なメニューはひどく身体に応えた。昨夜からのストレスも手伝って、日暮れの後カフェに入った時には鈍い頭痛が脳全体を包み込むように充満していた。

「……疲れた」

翼の目の前だというのに、遠慮なく不満をこぼしてしまうほどである。

「普段映画見ないんじゃな」

グラスの氷を揺らしながら翼は言った。翼は慣れているようで疲れた様子はない。

「たまにはこういうのもいいだろ。あ、もしかして面白くなかったって言いたいの? この俺が選んだ映画が? 入場料も食事代も俺が払ってるって言うのに、そんなに偉そうなこと言うのは失礼だとか学んできたよね、お前」

「そこまで言ってないし」

と、その時携帯の着信メロディが鳴った。が設定しているものではない。翼がジーンズのポケットからシルバーの携帯を取り出してディスプレイを見た。その表情からは何も読み取れなかったけれど、からは、翼は通話ボタンを押すのに少し戸惑ったように見えた。

「もしもし?」

相手は誰だろうか。翼は相づちだけ打っていて会話らしいものは成り立っていない。

「あぁ、いるよ。今代わる」

と、そこで翼はずいと携帯を差し出してきた。

「かわれって」

「誰?」

「玲」

翼から携帯を押しつけられて、「早く出ろよ」と催促された。翼の顔色をうかがいながら、電話の向こうの玲に話しかけた。

「はい」

『携帯の電源くらい入れておきなさい、

「え、切れてた?」

『切れてたわよ』

そう言えば映画館を出た後一度も携帯を見ていない。電源を切って、そのままにしていたようだ。

「ごめん」

『まぁ、いいけど。それより、次のバイトのことなんだけど、』

玲の話は、ただの事務的なものだった。バイトとは、つまり翼が出場予定の親善試合だ。合宿を挟んで一週間後の試合だけれど、玲は代表のコーチとしてとても忙しい。だから時間の合間を縫って電話をしたんだろう。

『……それじゃ、当日よろしくね』

「うん。分かった」

『今日は翼といたの?』

「うん。映画見てきたの」

『そう。明後日から合宿だから、体調崩さないようにって伝えてちょうだい』

「分かった」

通話を切って、翼に携帯を返す。それを受け取って、何とはなしにそれに視線を落としながら翼は言った。

「次の試合も来るんだ」

「うん」

「楽屋も顔出すのか?」

「藤代においでって言われたけど」

「相変わらずだな、あいつ」

「でも彼女できたんだって。なんか、ラブラブらしいよ」

「へぇ。珍しいんじゃないの? あいつにしては」

「今回は本気なんだって」

「ふぅん」

「翼は? 彼女とかいないの?」

自然な流れで出た言葉だった。お互いがお互いのことを話してこそ盛り上がるのがこういう話題だと思っている。

「いないよ。この間振られた」

だから、まさかこんな告白を受けるとは思ってもみなかった。は必要以上に驚いてしまって、ドリンクに咳き込んだ。

「翼、振られたの?」

「まぁな」

「スペインの子?」

「違うよ。お前も知ってるやつ」

「もしかして小島さん?」

「あいつは今アメリカだろうが」

「じゃ、誰?」

翼は少し迷った後、の目を見ずに視線を落として呟いた。

「玲だよ」

翼の真っ直ぐな視線を受けて、はしばらく呼吸を忘れた。



20070831 修正