|
13 胸がどきどきする。心臓が体の中から飛び出そうとしてめちゃくちゃに暴れているみたいだ。体中が破裂しそうに熱くて、指先どころか手のひらまで赤く染まり始めた。熱が出ているのかもしれない。頬に触るとやっぱり発熱しているみたいに熱かった。 どうにかこの熱を冷ましたくて、は部屋には戻らずに外へ出た。正面玄関は既定の時間を過ぎて施錠されていたので、非常口の鍵を勝手に開けた。誰にも見つからなかったから、たぶん怒られはしないだろう。 非常階段に座って自分を抱きしめるように膝を抱え込むと、やっと心臓の暴走が落ち着いてきた。春先とはいえ空気はまだ冷たい。赤く火照った肌が冷やされて気持ちが良かった。 一体どうしてしまったのだろう。どうしてあんなに動揺してしまったのか、どうして逃げるように部屋を飛び出してしまったのか、自分のことなのに分からなかった。 はじっと考え込んで、藤代が言った言葉を頭の中で繰り返し、再び赤面した。藤代は「そんなこと言ってくれるの初めてじゃん!」と言ったけれど、本当にそうだっただろうか。「頑張れ」と一言でも、皆に言ったことがなかっただろうか。 はこの半年の間の出来事を思い起こしそうとしたけれど、あまりにもいろいろなことがありすぎてひとつひとつを正確に思い返すには時間が足りそうになかった。 たぶん、藤代が言ったことは本当のことだろう。誰も否定しなかったし、そういうことは自分よりも他人の方がよく覚えているものだ。 はショックだった。小さな子どもでも知っている単純な言葉を、チームの誰にも言ったことがなかっただなんて。自分はそんなにも薄情な人間だっただなんて。 「あれ、さん?」 ふいに名前を呼ばれて、はびくりと肩を震わせた。非常扉を開けたことが誰かにバレたのかと肝を冷やす。けれど、声は扉の向こうからではなく夜闇の中から聞こえた。そこから姿を現したのは風祭だった。 「こんなところでどうしたの?」 「風祭くん? そっちこそどうしたの?」 「自主練してたら正面玄関しまっちゃって。入れるところ探してたんだ」 えへへ、と笑いながら、風祭は後ろ頭をかいた。小脇にはサッカーボールを抱えていて、靴下は泥に汚れたままだった。 「さんは?」 「あぁ、うん、なんでもないの。ちょっとね。冷たい風に当たりたくて……」 「そっか。なんだか顔が赤いよ? 大丈夫?」 「うん、平気。大丈夫大丈夫。あ、ここから中に入る?」 「いいの? 助かった」 風祭とふたりで扉の中に入ると、暖かい空気が体を包んではほっとした。少し体を冷やしすぎてしまったようだった。 「こんな時間まで自主練だなんて、えらいね」 風祭は人一倍練習好きだということは知っていたつもりだけれど、こんな真夜中まで汗だくになりながら練習するだなんて、は驚きを隠せなかった。風祭は照れたように笑った。 「僕、下手くそだから。いっぱい練習しないと皆に追いつけないんだよ」 「下手なんて、そんなことないよ」 「ありがとう」 風祭は柔らかく笑った。その笑顔が、には眩しかった。 風祭のように素直になれたらどんなにいいだろう。「ありがとう」も「頑張って」も、もっと素直に言えていたら良かった。はじめからちゃんとチームを応援していればよかった。この合宿が終わったら、チームのプログラムは終了してしまう。終了間際のロスタイム直前になってこんな気持ちになるなんて、自分は本当に大馬鹿者だ。は落ち込んでいたけれど、風祭に感づかれないように作り笑いを浮かべてみせた。 「皆、さっきまで明日の作戦会議してたんだよ」 風祭はの隣を並んで廊下を歩きながら、驚いた顔をした。 「え、本当? 知らなかった」 「声かけられなかったの?」 「夕飯食べたあと、すぐ外に出ちゃったからなぁ」 「そうだったんだ」 「なにか大事な話あったかな?」 「私も途中で抜けたりしたからな。なんとも……」 「そっか。部屋に戻ったら藤代くんに聞いてみるよ」 「それがいいかも。あ、監督がね、あんまり夜更かしをしてコンディションを落とさないようにって」 「うん。もうこんな時間だもんね」 「それじゃ、おやすみ」 「うん。おやすみ」 と風祭の部屋は階違いだったので、階段の踊り場で別れることになる。その時、は何か引っ掛かりのようなものを感じて風祭を呼び止めた。 「風祭くん!」 風祭は階段を数段上がった場所で振り返った。呼び止めはしたものの、の口からすぐに言葉が出てこない。風祭は首を傾げてを見下ろしていた。 「何?」 「えっと……、あのね」 言いたいことがあるような気がした。なんだろう。風祭くんに言いたいこと? 「明日の試合、頑張ってね」 言葉は、無意識に口をついて出た。作戦会議の席に風祭はいなかったから、風祭に「頑張って」と言ったのはこれが初めてのことだ。こそばゆいような気持ちがして、は頬を赤らめた。 風祭はぱちくりと瞬きをしたあと、まるで花の蕾が開くように笑った。 「うん、ありがとう」 その笑顔につられて、も同じように笑い返した。 東京選抜のメンバーと出会って、半年と少し経った。半年もかかって、やっと言えた。小さな子どもでも知っている単純なこの言葉。誰かの背中を押す言葉だ。 は、自分に彼らの背中を押してやれるような力なんかないと思っていた。なんとか仕事をこなすだけで精一杯で、失敗もたくさんした。皆や玲の役に立てているかどうか、分からなかったし実感もなかった。 けれどこの半年、自分は結構、頑張ったんじゃないだろうか。選抜での仕事は慣れないことばかりだったし、炎天下のグラウンドで仕事をするのは肉体的にも精神的にも辛かった。新たな人間関係にも戸惑ったけれどなんとかやっている。九州選抜戦のスコアを持ってくるというお使いを果たせたことも自信になった。(ちっちゃな自信だけど。) 皆に「頑張って」と一言言えるくらいには、成長できたということだろう。 これから何度でも、皆に「頑張って」と言える。それが当たり前になって、特別なことでなくなっていけばいい。 当たり前にみんなを応援できる自分でありたい。はそう願い、ぎゅっと両の手のひらを握り締めた。 20151102 |