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木田・谷口・上原・桜庭に割り当てられた部屋の扉をノックすると、扉はすぐに内側から開いた。ノブを握っていたのは不破で、が「どうも」と言うと、不破は無表情に視線だけで頷いた。

「お、やっと来たな」

待ち構えていた椎名がの手からバインダーごとスコアを取る。そのまま椅子に腰を下ろしてスコアを開くと、郭や渋沢がその手元を覗き込んだ。今日の東北選抜戦を抜け出してこっそり九州選抜の偵察をしてきたという杉原が部屋の中央に立って講義をしていて、途中から参加したにはその話の半分も分からなかった。皆作戦会議に夢中になっていたので、このままこっそり部屋を出てもバレなさそうだなと踏んで後ろ手にドアノブに手をかけようとしたら、不破と目が合った。

「戻るのか?」

不破は怪我をしてチームを離れた小堤の代わりにチームに合流したばかりで、はほとんど会話を交わしたことがなかった。正直にいうと、じろりと観察するような目線が少しだけ怖かった。

「あ、うん。邪魔かなと思って…………」
「邪魔? 何がだ?」
「いや、部屋も狭いし……」
「お前一人増えたところで会議に支障をきたすほどとは思えないが」
「でも、私、サッカーの話には参加できないし……」
「今までもそうだっただろう」
「……だからこそっていうか……」
「そのだからという接続詞は何を受けて何を導いているんだ?」

不破の質問に辟易して、はそっとドアノブから手を離した。おそらく不破は、がスコアを届けただけでどうしてすぐに部屋を出ていこうとするのか、単純に疑問だったのだろう。けれどは、その鋭い目付きに心臓がえぐられるような恐怖を覚えて萎縮した。

「なんか、あの、ごめんなさい……」
「何を謝るんだ?」
「理由を、うまく言えなくて」
「それは構わん。分かったら教えてくれればいい」
「不破くんは教えて欲しいの?」
「あぁ。興味があるからな」
「そう」

には、不破がいったい自分のどこにどんな興味があるのかさっぱり分からなかった。とはいえ、ひとりでこの部屋を出る理由が見つからない限りは出て行ってはいけないような気持ちになったのでそうすることにした。
扉に背を預けると、部屋全体を見回せた。四人部屋に東京選抜のメンバーのほとんどが顔を揃えている。椎名がスコアを見ながら何か言っていて、ベッドの上には玲から借りてきた各地域選抜のデータを集めた書類が乗っている。誰かが何かを発言すると、誰かがそれに応える。これだけの人数が集まるともっと騒がしくなってしまってもおかしくないチームなので、この集中力の高まった静けさはには珍しかった。全員の意識が明日の九州選抜戦に向けて高まっているようだった。
いいチームだな、とは思う。は他の東京選抜以外のサッカーチームを知らない。贔屓にしているプロチームもないし、玲が現役でプレーしていた頃も応援に行ったことは一度もない。こんなに間近で、半年間もの長い期間同じチームを見続けたのは初めてだ。他に何も知らなくても、このチームはいいチームだと、は自信を持って断言できるような気がした。うまくいかないこともたくさんあったし、喧嘩もたくさんした。伸び悩んだこともあったし、何度やっても連携がうまくいかないこともあった。たくさんの試合をして、悔しい思いも嬉しい思いもたくさん感じてきた。けれど、みんながこの半年でどれだけ成長したのかはよく知っている。何といっても、玲から申し付けられてメンバー全員の細かなデータをひとりでまとめ上げたのだ。元々のメンバーだった天城や小堤がチームを離れるという事態も起きたけれど、みんなそれを受け止めて彼らの分まで頑張っている。
ここにいることを許されている自分が、何だか誇らしかった。朝倉が言ってくれたように、この東京選抜の一員になれたという事実が自分を支えてくれているような気さえした。まるで樹木が地面に深く根を張るように、もこの東京選抜というチームに根を張って、希望や思いやりや、勇気を体の中に蓄えている。

「ところで。監督は何か言ってたか?」

ふいに椎名に声をかけられて、ははっと物思いから覚めた。

「何かって?」
「明日の試合のことだよ。何? 立ったまま寝てたの? こっちが真剣な話してんのにどういうつもり?」

黒川が椎名の肩を叩いて「まぁまぁ」と頷くと、近くに座っていた畑や木田が苦笑いした。
は椎名の嫌味をさらりと受け流し、玲が口にした言葉をそのまま繰り返してみせた。

「あんまり夜更かしをしてコンディションを落とさないようにって」
「それだけ?」
「それだけだよ」

部屋の中が苦笑とため息で満ちた。時計を確認すると、もうすぐ夜の九時になるところだ。眠るには早すぎはしないが遅くもない時間だった。

「それじゃ、監督の助言に従って、そろそろお開きにするか」

 笑いながらそう言ったのはキャプテンの渋沢だった。まだ話し足りないと言いたげに藤代が顔をしかめ、鳴海が大あくびをしながら元々猫背の背中をさらに丸くする。若菜と郭と真田が顔見合わせて頷き合い、床に座り込んでいた伊賀と間宮も立ち上がった。ついさっきまでの集中した空気が一瞬でほどけてしまった。
は不破に目配せをして、「もう終わるみたいだから、先に戻るね」と声をかけた。黙って出ていこうとすればまた引き止められるかと思ったのだ。不破は今度はすぐに納得したようで、こくりと小さく頷いてみせた。

「ありがとうな、
 
唐突に渋沢にそんなことを言われて、は面食らい、ドアノブに手をかけたまま振り返った。

「何が、ですか?」
「スコアや、監督からの伝言。使いっぱしりみたいなことさせてしまったな」
「いえ、そんな。マネージャーなんですから、これくらいのことは」
のためにも、試合で結果を出せるように頑張るよ」
「はい。私も応援してます。頑張ってくださいね」

その時、音が止んだ。まるで手が滑ってリモコンの消音ボタンを押してしまったときのように唐突にやってきた沈黙。は自分の耳を疑って部屋を見渡した。そこにいる全員が、目を丸くしての方を見ていた。

「え? なに?」

肩を縮こまらせておどおどと呟いたに、藤代が大声を出して答えた。

ちゃん、そんなこと言ってくれるの初めてじゃん!」

これを皮切りに、あちこちから驚きの声が上がり出す。

「確かに。頑張って、なんて初めて聞いた気が……」
「どうしたよ、急に? 何か悪いもんでも食ったか?」
「悪いもんって」
「応援してくれてるんだから素直に受け取れよ」
「だって、そんなキャラじゃなかったじゃん」
「そうかもしれないけど」
「どっちかってゆーと裏方系? 影から見守ってくれてるみたいな……」
「やっとマネージャーらしいことしてくれたなぁ」

の側に立っていた不破は、嵐のように四方八方から様々な言葉を浴び続けたがたちまち耳まで真っ赤になって指先を震わせたのを見た。何か言いたいのか、口を開けては閉じ、開けては閉じしているけれど、肝心の言葉が音にならないようだった。およそ三十秒程そうして、やっとの口から出てきた言葉はほとんど悲鳴に近かった。

「お、お先に失礼します!」

は檻の中から逃げ出す野兎のように命からがらといった様子で部屋を出て行った。荒々しく扉を占めた乱暴な音が余韻を残し、部屋の中に小波のように広がった。

「俺は何か悪いことを言ったかな?」

渋沢が真剣な顔でそう言ったけれど、人の感情の機微には疎い不破には専門外だったので、不破は「さぁな」と答えて腕組みをした。




20151026