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韓国に到着してから、の努力は徹底していた。

風邪を移さないようにと選手を気遣って、その集団から常に数メートル離れた場所に立ち、マスクの向こう側で苦しそうに咳をし、鼻をかむにも必ず逆方向を向く。移動のバスは最前列の窓際に陣取って、観光地に案内されても一度もバスから降りなかった。

そんな小さく健気な努力のおかげかどうか、夕食時に焼肉屋に到着した頃には多少熱も下がった。胃に負担がかからないメニューを頼めばいいのではと、に助言をしたのは渋沢だった。せっかくの韓国遠征、その思い出が風邪でバスから一歩も外に出なかった、なんて寂しいものではいけないと、を思いやってくれたようだ。

は玲と相談した上で、その言葉に甘えさせてもらうことにした。サンチェで肉を包む韓国式の焼肉に舌鼓を打つ一団の中、はテーブルの隅でお粥を啜る。肉が焼ける匂いには咽返りそうだったけれど、韓国特有の辛味が強い粥はの口によく合って、美味だった。

「調子ハドウ? 。」

と、マルコが言う。

「はい。まぁ、それなりに。今日早めに寝れば大丈夫です。」

「ヨカッタ。セッカクノ韓国ダカラネ! 風邪引イテルナンテモッタイナイ!」

マルコは安堵の表情を浮かべて、の頭を撫でた。その大きな手のひらが心地良くて、はにこりと笑い返す。

その視線の先に、ひとりの韓国人が目にとまった。李潤慶だ。

食事中に突然乱入してきた潤慶は、郭の母方のいとこらしく、明日の親善試合に先駆けて、こんなところまで挨拶をしに来たらしい。

郭は韓国と日本のハーフなのだそうだ。天城はドイツと日本のハーフだったから、外見にもその特徴がよく表れていた。けれど、郭の場合は外見に違いなんてほとんどない。潤慶も日本語が達者で、そうと知らなければほとんど日本人と変わらないように思える。

見かけはほとんど日本人と変わらない、韓国人。そのギャップを埋めるのが難しくて、は複雑な気持ちになった。

ふと、別のテーブルに付いてメンバーと談笑していた潤慶と、の目が合う。潤慶は、が驚くほど柔らかく、顔中を使って笑って見せた。は愛想笑いでもそんな器用なことはできなかったので、会釈だけを返して視線を逸らしてしまった。

失礼なことをしてしまったかもしれない。けれど、何を話せばいいのかさっぱり分からない。

。具合がいいんなら、お肉も少し食べてみたら?」

と、玲が言う。

「ううん、止めとく。お腹壊したくないし。」

はそれを断って、食事を中断して手洗いに立った。肉を焼く鉄板の熱気に当てられた火照りを冷ましたかった。





「風邪引いてるんだって? 大丈夫?」

手洗いから帰ってきたを一番に呼び止めたのは潤慶だった。冷水で手を洗っていくらかすっきりとした表情で戻ってきたは、突然話しかけられて驚いた。

「はぁ、でも、とりあえず大丈夫そうです。」

喉が腫れているせいで、いつも通りの声は出ない。は、これがいつも通りの声だと思われるのはちょっと嫌だなと思って、小さく咳払いする。

「英士! 彼女、名前は?」

の気持ちを汲んでくれたのか、潤慶は郭に問い掛けた。それは単純にありがたいことではあったので、は郭に視線で合図を送る。

さん、だよ。」

ちゃんか。綺麗な名前だね!」

そんなことを言われるのは初めてで、は正直、どう対応すればいいのか分からなかった。戸惑ったまま手を取られて握手をすると、自然な流れで潤慶の隣に座らされてしまった。その正面に座っていた郭が眉をひそめたけれど、潤慶は全く気にした様子もない。

同じテーブルには若菜、真田、伊賀、内藤が座っていて、それぞれに聞き耳を立てる。

ちゃんは、何で選抜のマネージャーなんかやってるの?」

「監督が、私の姉で。そのつてで頼まれて……。」

「え? でも監督さんの名字は西園寺じゃなかったっけ? 家庭の事情?」

潤慶がそう言った時、誰もが一瞬食事の手を止めた。

「潤慶、失礼だぞ。」

それを察して、郭が制止の声を上げる。

外見にさほど違いのない韓国とは言え、こういうことを臆面もなく聞いてしまえるのは、やはり国民性の違いなのだろうか。はそういったことに詳しくないので、勝手にそう解釈してしまう。

むすりと唇を引き結ぶ英士を見て、潤慶はへらりと笑った。

「そんな怒るなよ、英士ってば相変わらず神経質なんだな。」

「そんなぶしつけな質問をするお前が悪い。さんに失礼だと思わないのか?」

「郭君、私、別に気にしてないから。」

口げんかになりそうだと踏んで、は口を挟む。それが全員の琴線に触れたようで、心なしか、にテーブル中の意識が集中した。けれどはそれに気付かず、潤慶と郭にだけ聞こえるように、控えめの声で話した。

「あの、私、中学から祖母と暮らしてて。は祖母の名字で、母方の旧姓なの。」

「学校に入るために名前を変えたの?」

「保護者と名字が違うといろいろ面倒だったから。」

「ご両親は何も言わなかったの?」

「うん、特には。転校した時に戻そうかって話もしたんだけど、何となくなぁなぁになっちゃって、結局このままなの。」

「へぇ、複雑なお家だったんだねぇ。」

潤慶が本当に理解したのかどうかは甚だ疑問だったけれど、一先ずは納得したというように頷いて見せた。郭は心配そうに、潤慶とを見守っていた。

は自分の事情をこんなところで話すことになるとは思ってもみなかったから驚いていたし、同じテーブルに付く皆が聞き耳を立てているこの状況にも動じずにいる自分が、自分なのに自分ではないようで、不思議だった。

きっと、風邪を引いたせいで頭がおかしくなっているんだ。はそう思って、潤慶の笑顔を眺めていた。



韓国人だからだろうか、ここにいる誰とも違う雰囲気をかもし出している潤慶は、不思議な力を使ってをおしゃべりにさせてくれているようだった。同じテーブルに付いていた面々は視線を合わせて、いつになく饒舌なの言葉に耳を傾ける。

の家庭事情に関する新しい情報は、それ以上の口から出てくることはなかったけれど、こんな風にの話を聞くのは皆が初めてだった。こんな風にが話をするのも、初めてだった。




20110409