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20 飛葉中の校舎に入ったは、職員室の隣にある応接室に通されて、そこでぼんやりしていた。玲は少し待っていろと言うだけ言ってどこかに姿を消してしまっている。 の隣には天城が座っていた。応接室のソファは黒い革張りの上質なもので、そんな物に座り慣れていない二人は同じように緊張した面持ちをしていた。けれど緊張はそのせいばかりではない。と天城は二人きりになるのは初めてだったし、そう多く話をした事もない。それに二人とも口数が多い方ではなかった。 は正直困っていた。何のためにここに残されたのか分からなかったからだ。玲には何か用事なりあるのだろうけれど、どうせ大した用ではないに決まっている。天城がここにいるのは選抜を辞める事に関しての手続きか何かの事だろうけれど、それと関係のない自分がなぜここに。 若菜と話ができなかった悔しさとあいまって、は舌打ちしたい気分だった。 「」 と、ふいに天城が口を開いた。驚いたは、思わずぐるりと天城を振り返る。天城は肘掛に頬杖を付いて、斜め下の方を見ていた。けれどその横顔はどこかすっきりしていて、口元は少しだけ笑っているようにも見えた。 「なに?」 「いや、何か話しないかと思って」 「あぁ、うん。そうだね」 どうやら、天城は沈黙に耐えかねたらしい。玲に対して苛立ってばかりで天城に対する気遣いを忘れていたは、言われてからその事に気付いて、申し訳なさに膝を揃えなおす。 「ごめん、ぼんやりしてた」 「別にいいけど。何考えてたんだ?」 天城はの方を見やって、ぎこちなく微笑む。そう言えば、こんな風に二人できちんと向き合って話をするのはとても久しぶりだった。天城が落としたパスケースを拾って、それを届けて。はその時に二言三言交わした会話を思い出していた。 「玲は何を考えてるのかなって……。何で私が残されたのか聞いてないんだ」 「そうなんだ。俺も詳しくは聞いてないけど」 「選抜辞めるからだよね、きっと」 「たぶんな」 は何となく、天城は聞いて欲しいんだろうなと思った。もしそうでなくても、今聞かなければ次はない。 すっと、息を吸う。 「……天城君は、どうしてドイツに行くの?」 「前に言わなかったか? 母親があっちにいるんだ。妹も」 「あ、もしかして、パスケースの写真の人?」 「そう。それ」 言うと、天城は足元に置いていた鞄の外ポケットから件のそれを取り出して、に渡した。金髪と青い目の女性と小さな女の子が、笑顔でこちらを見ていた。以前パスケースを拾った時は、許可も得ずに写真を見てしまった罪悪感で直視する事ができなかったのだけれど、改まってきちんと見てみると、確かに天城に似ているかもしれない。 「綺麗な人だね」 「別に普通だよ」 「妹さんはいくつなの?」 「8歳になったところ」 「……ちなみに、お父さんは?」 そう聞いた時、天城は少しだけ息を詰まらせた。そして、笑う。それは中学生にしてはやけに大人びた笑顔で、は驚いた。 「一緒に住んでるよ。あんまり顔は見ないけどな」 「忙しい方なの?」 「まぁな。あんまり思い出もないし、俺の事も、サッカーなんか止めて、本当はちゃんと勉強して欲しかったんだとは思うよ」 「反対されなかったの?」 「実は、まだ話してないんだよな」 「え?」 天城はそう言って、手のひらで口元を押さえた。驚いて天城を凝視するから視線を逸らすように、そっぽを向いた。どうやら照れているらしい。 「今までいろいろ迷っててさ。今日ちゃんと言うつもりだけど」 「大丈夫? もし反対されたら……」 「されても行くよ」 天城は力強く言う。真っ直ぐに前を見て、その瞳は奥の方に火が点ったように燃えていた。その横顔を眺めながら、は息を呑む。 まるで、叱られているような気分だった。遠く、遠まわしな言葉で。 「母親は一緒に暮らそうって言ってくれてる。支えてくれる人がいるから行けるんだ。親父に反対されたって、全部が駄目になる訳じゃない」 天城はちっとも不安そうではなかった。これから父親に、人生の一大決心を伝えなければならないのに、恐れるものは何もないと言いたげな顔をしていた。希望に溢れていた。前を向いて、前に進むために、力を腹の中に滾らせていた。 は天城が眩しくて、目が眩みそうだった。天城はこれから父親と対峙する。そして自分の望みを告げるのだ。きっと迷わずに、はっきり、堂々と、告げるのだろう。が避けて避けて通ってきた道を、天城は突き進むのだ。 お前はこんな所で立ち止まって何をしているんだ、と、言われているようだった。天城はの家庭事情を知らないけれど、まるで全て見抜かれているようだと、は思った。 「?」 天城に声を掛けられて、ははっとする。天城は心配そうにを見下ろしていて、は、一体今自分はどんな顔をしているのだろうと不安になる。 天城の目は鋭く目尻がつり上がっていて、初めて会った時は少し怖かった。けれど今は、労わるように優しい眼差しだった。そう仲良くした事もなかったのに、を心配してくれていた。その事が思いがけずの心の琴線に触れる。は精一杯の気持ちで、どうにか笑って見せた。 「……何でもないよ」 「そうか」 「ドイツでも頑張ってね。話してくれて、ありがとう」 「あぁ、こっちこそ。ありがとう」 それから、天城は玲と話をして、それが終わってから、は玲と二人で帰路についた。玲はバイクで来ていたので、はその後ろに相乗りして寮まで送ってもらった。話があると言ったくせに、玲は武蔵森の寮に着くまで何も言わなかったので、をこれ以上ないほどやきもきさせた。 「」 バイクから降りてヘルメットを脱いだに、玲はバイクに跨ったまま、ヘルメットを取って言う。 「年末はどうするつもりなの?」 「……話ってそれ?」 「そうよ。寮にはいられないんでしょ? お母さんが心配してるわよ」 「……」 「まさかまた榊さんのお世話になるつもりじゃないでしょうね?」 「……そんな迷惑掛けるつもりないよ」 「嘘吐くんじゃないわよ。顔に書いてある」 玲はふいに手を伸ばして、の額にでこぴんした。突然の衝撃に足元をふらつかせたは、額に手をあてて痛みをやり過ごす。玲から視線を離した瞬間、バイクのエンジン音が大きく響いた。 「その内連絡するから、その時までに決めておいてね。帰るつもりなら迎えに来てあげるから」 が何か言う前に、玲はアクセルを回す。去り際、片手を上げるだけの挨拶をして、その背中はすぐに小さくなった。 天城と話ができて良かったとは思う。天城の勇気を目の当たりにして、少しは心も動いた。けれどだからと言って、すぐに何かしらの行動を起こせるほど、には行動力がない。 いつか天城のように、勇気を持てるようになりたいと思った。玲は諦めずにいてくれる。母親も心配してくれているらしい。父親はどうだか知らないけれど、きっと同じだ。あんな父親でも、家族なのだから。 頑張りたいなと、思った。 20091021 |