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朝9時に学校の正門で待ち合わせて、渋沢と藤代と三人で飛葉中へ向かった。二人とも武蔵森サッカー部専用のジャージを着ていて手ぶらだ。は私服のタータンチェックのワンピースにパーカーを羽織る。それだけでは肌寒かったのでマフラーを軽く巻いた。空は良く晴れていたけれど、風がひやりと冷たい。

「もうすっかり冷えますね」

と、渋沢がしみじみと言う。年齢に似合わない落ち着き払った横顔に、藤代が「キャプテン爺くさいっすよー」と笑った。

さん、風邪とか引いてないですか?」

と、渋沢が言う。

「大丈夫です」

「何でそんな事聞くんすか? キャプテン」

「昨日藤代が部屋に行っただろ? 話し込んでたみたいじゃないか」

「あ、知ってたんですか」

「え!? 知ってたんすか!?」

藤代との声が重なった。それが面白かったらしく、渋沢はからりと笑った。

「藤代が突然すいませんでした。夜中に迷惑でしたよね?」

「迷惑ではなかったですけど、驚きました」

「だたちょっと差し入れしに行っただけっすよー。いいじゃないですか別に」

「寮母先生に見つかったら問題になるだろ」

「バレなかったんだからいいじゃないっすか。ね? ちゃん」

藤代はわざとらしく唇を尖らせて、頭の後ろで手を組んで空を仰いだ。渋沢は呆れたように笑っていて、その大人びた仕草があんまり似合うから、もおかしくなって笑った。





飛葉中に着くと、先に到着していた何人かがもうボールを蹴っていた。翼や黒川や五助は準備運動にストレッチをしていて、渋沢を見つけるなり大声で呼んだ。渋沢はポケットからグローブを取り出しながら応じて、その輪の中に入っていく。

「何するんだろう。練習?」

「まっさか。そんな真面目じゃないだろあいつら。面白いもん見せるって言うからにはもっと……、おーい!」

と、藤代が校庭の隅にたむろしている数人に向けて大声を出す。何人かが振り向いて同じように声を出した。男の子の挨拶という感じがして、は何となく黙ったまま会釈だけする。

その時、ふいに若菜と目が合った。若菜はいつも通り郭や真田と一緒にいて、を顔を見るなりぐっと喉を詰まらせたような顔をした。

「おーす。藤代」

と、桜庭が藤代に答えて言う。

「一緒に来たんだ?」

と、隣にいた上原がと藤代を交互に見ながら言う。は頷くだけで応えて、藤代が明るく大声を出す。

「寮が近いからさ、待ち合わせて来たんだよ。いいだろー」

「何自慢してんだよ」

さん、藤代なんかと一緒で朝からメンド臭かったでしょ?」

「何だよ、人聞き悪い事言うなよなー。別にそんな事なかったよね? ちゃん」

「……あぁ、うん。まぁ」

さん困ってんじゃン」

「え、何俺なんか悪い事した?」

「いや別に何もなかったけど……」

藤代や桜庭や上原が引っ切り無しにしゃべるから、は若菜が真っ直ぐにこっちを見つめながら近づいてきている事に気付かなかった。

若菜は郭と真田が制止するのを無視して、大きく一歩を踏み出す。桜庭と上原が楽しそうに笑っているその間を割って、若菜は体を乗り出すようにと向き合った。まるで睨みつけるような顔でぐいと詰め寄られたは、目を丸くして呼吸を止めた。



は呼吸の仕方を忘れてしまって、頷くことも出来ない。藤代達も何が起こったのか分からず、ぽかんと口を開けていた。若菜の後ろでは、郭と真田が声を掛けかねて直立している。

「ちょっと話あんだけど」

「……う、ん。なに?」

「昨日は気分悪くしたみたいでごめん」

「……昨日の、事は、私の方が……」

「いや、そういう事じゃなくて。調子悪かったんだろ? 気付かなくってごめん」

若菜があんまり真剣な顔で謝るから、は言葉につまって黙り込んだ。若菜が悪い事をした訳でもないのに、謝られる意味が分からない。

若菜はまだ何か言いたそうで、じっとから目を逸らさない。

「……結人?」

が首を傾げると、若菜はふとゴールの前で何やら話をしている、風祭と天城、飛葉中の面々と渋沢の方を振り返った。もそれを見やった。風祭と天城には笑顔がなく、緊張した面持ちをしている。

「風祭と天城が、勝負すんだって」

「は? 勝負?」

口を挟んだのは藤代だ。若菜の変わりに、桜庭が説明する。

「ディフェンダー3人とゴールキーパー抜いて、ゴール奪った方が勝ちなんだってさ」

「へぇ、面白そう。俺もやっていいかな?」

「勝負だって言ってんじゃん。駄目だろ」

、俺と賭けしようぜ」

唐突に、強い語調で若菜が言う。もう一度を見ると、その肩を強い力で掴んだ。は突然の事に肩を竦める。逃げ場がなくて、指先すらピクリとも動かせなかった。若菜がこんなに真剣な顔をしているところを見るのは初めてだった。

「そんで、俺が勝ったらさ、俺と付き合ってくんない?」

そこにいた全員が、叫び声を上げたり息を呑んだり、顔を引きつらせたり、呆れてあんぐり口を開けたり、顔を真っ赤にしたりしていた。けれどには何がなんだか分からなくて、誰の声も聞こえなかったし誰の顔色も分からない。

見たことのない顔をした若菜が、信じられないくらい真っ直ぐに自分を見ている。それがの見える全てだった。若菜はいつものように冗談を言っているのではない。なら、いつものように言い逃れする事はできない。

は無意識のうちに呟いていた。若菜の瞳を真っ直ぐ見つめ返して、自分が何を考えているのか分からないまま。

「……いいよ」

誰かが叫ぶように驚いている声がしたけれど、それもやっぱりには聞こえていなかった。



20090808