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13 「それじゃ、さん。あと頼むね」 はコーチから救急箱を受け取って、足をつってうまく歩けない風祭の隣に立った。反対側には杉原が立って体を支えてやる。小岩は一人でうぬぬぬと文句を言いながらばたばたとタオルを振り回していた。負けがよほど悔しかったらしい。 「歩ける? 風祭くん」 「うん。ありがとう、さん」 汗だくの風祭の笑顔は、この炎天下の元でも気持ちよく爽やかだ。はつられて笑顔になった。地顔がいつも笑っているような杉原とのスリーショットは、それはもう微笑ましく玲やマルコの目に映っていた。 「」 玲がを呼ぶと、首だけを動かして振り返る。玲は微笑しながら、右の方を指さしながら告げた。 「お客さん、来てるわよ」 指の先には、青い空を背に背負ったスーツ姿の男性がいる。洒落たチェック柄のネクタイ、縁のない眼鏡は涼しげだ。と目が合うと、にこりと笑って手を振ってきた。 「さんの知り合い?」 「うん。まぁ」 杉原に問われて、はぼんやりと答えた。 この男性の名前は榊綜一郎という。ジュニアユース監督という肩書きを持ってはいるが、にとってはそれは無意味なものだ。はサッカーに興味を持ったことは今まで一度もない。 榊はの父親の友人であり、ともそうといえる間柄の人間である。 「誰あれ」 と、見上げた視線で黒川が問うた。けれど椎名はそれに見合う答えを持っていない。覚えはある風体だったけれど、どこで見たのだったか思い出せない。ただ、一緒にいるはとてもリラックスした表情をしているのは分かったので、あまり心配はしなかった。 「さぁ? の知り合いじゃない?」 「翼は知らねぇのかよ」 「別に俺はあいつの交遊関係全部把握してるわけじゃないんだけど」 「そりゃそうだろうけどさ、けど……」 黒川にしては珍しくしつこかった。ぶしつけなほどに二人を観察している目はどこかぼんやりしている。椎名はそのことの方が気になって言葉きつめに問掛けた。 「けどなんだよ? お前がそんな曖昧な事言うなんて珍しいね。そんなにのこと気になるの?」 「そんなんじゃねぇけどさ。笑ってたから」 「は?」 「あんまり笑わないキャラなのかと思ってたからさ。ちょっとびっくりした」 椎名は言われてはじめて、この合宿中の笑顔を見た記憶が片手で数え足りるほどしかなかったと気付いた。 「久しぶりだね」 「はい。本当に」 「君がおばあさんの所に引っ越して以来だから、もう2,3年ぶりになるかな」 「そうですね」 「葬儀には参加できなくて、すまなかったね」 「いえ。大丈夫です」 榊の話は当たり障りのないものばかりで、は少し戸惑っていた。日本サッカー協会なんて仰々しい名前を持つ団体が主催する合宿に、サッカーチームの監督をしている榊がやってくるのはなんらおかしいことではないけれど、それならなぜすぐに尾花沢監督や玲に挨拶にも行かず、こんなところで油を売っているのだろう。 「何の用でこんな所に来たんだろうとか、思ってる?」 図星を指されて、は驚きを隠せず目を見張った。その仕草を面白そうに眺めていた榊は、気持ちよくにこりと笑った。 「もちろんこっちの用事もあるけれどね。半分はへの用だよ」 顔を合わせるどころか声を聞くことさえ久しぶりだというこの状況で、一体何の用があるというのだろう。全く予想がつかず、は緊張した声音で問い返した。 「なん、でしょうか?」 「驚くかも知れないけれどね。詳しいことは勝から聞いてるよ」 「……はぁ」 「退院したら、ひとまず家に来てもらうことになったから」 「……はぁ? 家、っていうのは?」 「一人暮らしなものだから狭くて悪いけれどね。一時的なものだから少し我慢してくれ」 榊が言いたいのはつまり、榊綜一郎がの身柄を預かる、ということである。少なくともはそう理解した。そしてそれを仕組んだのは紛れもなく父親の西園寺勝だ。の中に一瞬にして怒りの炎が燃えた。一体何を考えているのだ。こんな面倒を他人に押しつけるだなんて! 「どうして、そういうことになったんですか……?」 怒りを抑えながら声を押し出したら、それはなんだかとても情けなく震えた。 「西園寺家に戻ってもきっと元の木阿弥だと思ったんだろう。まぁ、あいつなりに考えた結果だろうさ」 「でも、榊さんにそんな迷惑……」 「かまわないよ。ちょうどひとりで退屈していたところだし。それに、一時的なものだと言ったろう?」 「どういう意味ですか?」 「夏休みが開けたら、勝は君を寮制の私立中学に転入させる気でいるみたいだから」 は反射的にぶるりと肩を震わせた。今日は真夏で泳ぐ雲の数も少ない快晴だというのに、なぜか背中に悪寒が走った。それくらいに父親のワンマンな行動が許せなかった。 榊はそんなの様子を見て快活に笑った。 「まぁ、ひとまずは早く体調を整えておくことだよ。全ては退院してからの話だから」 あれほど嫌悪感を感じていた入院生活も、その先の生活を思ったら少しでも長く続けばいいとは思った。は大袈裟でなく、本気で父親が嫌いなのである。 20070825 |