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夏なので、空が青かった。日差しが強く足下に落ちた影が黒々としている。陽炎が揺れていた。たったそれだけのことにすら、今頃やっと気付いていた。



! お疲れさん!」

は突然肩を叩かれて、重い荷物を背負った体をわずかに揺らした。若菜はこれ以上ないほど嬉しそうな笑顔だ。

「わっ、ちょっと、結人。驚かさないでよ」

「なぁ、夏休み暇だろ? 今度遊びいこうぜ」

「えぇ?、そんな、急に……」

「なんで暇だって決めつけてるの、結人」

助け船を出したのは郭だ。真田もその隣で同意を示して頷いた。

「だって夏休みだろ? 時間なんか腐るほどあんじゃん。なぁ?」

「ごめん、私はちょっと……」

「えぇー!? なんで!? せっかく夏休みなのに!?」

「引っ越しの準備とかあるの。学校も変わるから編入試験とか……」

「はぁ!? なんだよそれ! なんでわざわざ私立なんか行くんだよ!」

「結人うるさい」

「いい加減にしなよ。さんも迷惑してるでしょ」

「だってよー。じゃぁせめて今日ぐらい一緒に飯食いに行こうぜ。そのくらいいいだろ?」

「ごめん。私これから病院行かなくちゃならなくて」

「え? なにまだ具合悪いの?」

「ううん。今一時帰宅中で……、って言ってなかったよね。今入院してるの私」

「は? えぇ? 入院? 何それ? なんで?」

「……うぅん……。体調不良?」

「いやなんで疑問系なんだよっ」



ユース出身の彼ら、特に若菜の声はやたらと目立つので、少し離れた場所を風祭達と歩いていた水野にもその会話は筒抜けだった。風祭は杉原や小岩なんかと談笑していて気に止めてはいないようだけれど、水野はなんとなく、居心地悪い気分だ。

手首の傷に関して、直接に問いかけたのは水野ただひとりだけだと、彼自身も分かっていた。不本意ではあったものの、計り知れないほど失礼なことをしてしまったという後悔がつきまとっているので、一度きちんと謝っておきたかった。けれど同時に、このまま何も言わずにいた方がいいような気がしないでもない。

「どうかしたか?」

と、不意に声を掛けてきたのは不破だった。
答えようにも言葉が見つからなかったので、水野はそっぽを向いてぶっきらぼうに返事をした。

「いや、別に。何でもない」

「そうか。……」

すぐに納得したように見せかけて、不破はまるで独り言のように呟いた。

「入院というのは、十中八九リストカットシンドロームの治療のためだろうな。一時帰宅の手続きを取っていたところを考えると、この合宿への参加は精神面のケアが目的と言ったところか。赤の他人、しかも異性と3日も生活を共にすることが一体どんな効果を生み出すのかは分からないが、まぁそれは今後の検証対象とでもしておこう。しかしそれが何かしらの変化を彼女に与えた事は間違いなさそうだ。合宿初日よりも血色がいいし、表情も口角が3ミリほど上がって柔らかい印象になっている」

「……何が言いたいんだよ」

不破は真っ直ぐに水野の目を見た。迫力ある三白眼は水野の神経を蛇と対面した蛙のように怯えさせた。

「つまり、ここは椎名の言葉に従っておくのが一番賢い選択だと言うことだ。わざわざマイナスな話題を掘り返すこともないだろう」

不破に考えを読まれていたことは癪だったけれど、その意見には同意せざるを得なかった。



玲は後かたづけや打ち合わせがあるというので、挨拶だけ済ませて先に帰ることにした。

「送ろうか?」

椎名が送ろうかと言ったけれど、それでは家と反対方向になってしまうからとから断った。

「そんなに心配しなくてもいいのに」

「心配するなって言うほうが無理なんだけど。自分のこともうちょっと分かった方がいいんじゃない?」

「本当に大丈夫だってば」

はからりと涼しげに笑った。
あ、笑った。と椎名は不覚にも驚いてそれに魅入ってしまう。

「翼は黒川くん達と帰るんでしょ? 待たせたら悪いよ」

「いいよ、別にあいつらは。どうせ暇な奴らばっかなんだから」

「失礼なこと平気で言うね」

「事実だからな」

合宿を終えてが何か変わったかと問われたら、椎名は否と答えるつもりだった。たった3日で人間が変わるはずなどないし、は昔から頑固な性格だから尚更だ。むしろ、がなぜこうなったのか、どうしたら心が良い方向に向かうのか、椎名にも分からない。どう変わったらいいのか分からないのだから、何をすればいいのかも分からない。
分からないことは悔しかった。

「じゃ、私もう行くね」

「あぁ気を付けて帰れよ」

「うん。ありがとう。ばいばい」


は一度も振り返らなかった。

青い空の下、短い濃い影を連れながら。背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。



20070917