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日はとっくに落ちてしまった。とっぷりと、という言葉がまさにぴったりで、白い月が飾りのように空に浮いている。

はつい先程救護室を引き上げてきたところだ。なんとなく長居してしまって、もう時刻は9時を過ぎてしまっている。つまり、倒れたのが午後の練習中のことだったから、6時間以上をベッドの上で寝て過ごしたことになるのだ。いくら病み上がりだとはいえ、これではあまりに不健康すぎる。
は自分自身に呆れ、またそんなことをしてしまう自分に情けなさを感じ、虚しくなってため息を零した。



ちょうど曲がり角にさしかかった時だ。派手な音がしたと思ったら、オレンジの髪の鳴海貴志が妙な形で転がり出てきた。真っ直ぐ後方に倒れて後頭部を床に打ち付けるという絵に書いたような転び方で、は思わず唖然と立ち尽くしてしまう。

「……祭を見なかったか?」

「風祭なら、飛葉中の連中と外に出て行くのを見たが……」

痛みにもだえる鳴海のことは完璧に無視した話し声だ。壁の向こう側にいてには姿が見えず、声を聞いても誰なのか分からない。

「あの」

は立ち上がれずにいる鳴海があまりに不憫で声をかけた。何しろ自分も昨日頭部にたんこぶを作っているので、鳴海の気持ちは痛いほど理解できた。同情もひとしおだ。

「大丈夫?」

鳴海はびくりと肩を揺らしてを振り返った。その視線にあからさまに奇異な色が差す。単に驚いたというだけの表情ではない。しまった、とか、まずい、とか、そういった類の言葉が零れてしまいそうな顔だ。は意味が分からず首を傾げた。

「鳴海くん?」

「……ぉあっ、あぁ! ちゃん。具合大丈夫なの?」

「うん、まぁ」

人の心配をしている場合でもないだろうに。

「何してるの?」

鳴海は慌てて立ち上がり、服に着いた埃を払う。打ち付けた頭に痛みが響いたのか、目にも留まらぬ速さで片手が後頭部に届いた。

「な、何でもない! 平気平気……!」

なぜ鳴海はこんなに挙動不振なのか、には全く理解ができない。口元に張り付いた笑みはぴくぴくと痙攣していた。引きつっている。

か」

と、断定的で妙な迫力のある声音がした。ついさっき聞いた声のひとつだ。見るとそこにいたのは不破と天城だった。名前を呼んだのはおそらく不破だろう。
はますますこの状況の意味が分からなくなる。この二人は鳴海に対して高圧的に向き合うような人だっただろうか。練習を見ていた限りでは、風祭や水野や、比較的物静かなメンツと一緒にいたように思う。

「そうですけど?」

答えたけれど、不破はそれっきり何も言わない。それどころか、まじまじと観察するようにを見つめていた。あまりにもぶしつけな視線には居心地悪くなる。不破の三白眼はつり目と相まって怖かった。

「……不破。風祭を探してたんじゃなかったのか?」

にとっては意味が分からない膠着状態がしばらく続いた後、口火を切ったのは天城だった。

「あぁ。そうだったな」

不破はたった今気付いたとでも言うように手を打った。一体何を言いたいのか、尋ねてみようかとも思ったが、それより先に天城が不破の肩を掴んで逃げた。比喩表現でも何でもなく、本当に逃げたのだ。

「それじゃ、俺達もう行くから。お疲れ」

「? お疲れさま」

天城が不破を引きずっていくような形で、二人はが今来た方向へ姿を消した。完全に消化不良だ。内心もやもやしながら、は残った鳴海に目を向けた。後頭部の調子はどうか心配だった。もし痛みが酷いようなら一緒に救護室に行ってもいいとも考えていた。
ところが鳴海は視線を四方八方に散らし、何か言いかけて口を開いては閉じ、意味もなく手を口元に当てたり頬を掻いてみたり、とにかく落ち着きがない。

「どうかしたの?」

はたまらず問いかけた。

「……あー、あのさ。ちゃんってぇー、えーっと」

「うん?」

「あーうん。やっぱ、いいわ何でもない」

「なんで?」

「いやだってもなにも、ホント何でもないから」

鳴海は顔の前で大きな手をぱたぱた振った。ここまでくると、これ以上問いつめるのがかわいそうになってくる。

と、その時、箱からほろりとこぼれ落ちるように脳裏をよぎるものがあった。にとって良くない噂は合宿所中に蔓延している。もしかしたら、鳴海のこの妙なそぶりはそれが原因になっているのかも知れない。は小さく俯いた。

「……そっか」

それなら、から言えることは何一つない。その気がないからだ。理由はそれしかなかった。

「それじゃ、おやすみ」

「いや、ちょっと待てよ」

踵を返そうとした肩を、ふいに鳴海に掴まれた。少しよろめく。

「悪ぃ。大丈夫か?」

なんでもないとあれだけ言っておきながらなんなんだ、とは正直飽々していた。言葉は溜め息に似て流れるように落ちた。

「うん。で、何?」

鳴海は肩から手を放してポケットを探る。取り出したのは濃い青色の紙包みだった。

「チョコだけどさ、やる」

「え? なんで?」

「俺甘いもんあんまり得意じゃねんだよ。藤代が寄越しやがったんだ」

ぐっとそれをつきつけられて、は思わず受け取ってしまった。鳴海は決まりが悪そうに視線を明後日の方向に向けている。少し照れているように見えた。

「……ありがとう」

「おう、じゃあな」

軽く手を上げて挨拶をし、鳴海は背を向けた。はなんとなく気になってそれを見送る。鳴海は後頭部が気になるのか、恐る恐る患部に触れ、案の定肩をびくりと跳ね上げて痛がった。そのリアクションがあんまりオーバーだったから、は吐息だけで笑った。



20070522