06





「どうかしたんですか? こんなところで」

渋沢はそう言いながら、の傍らに立った。彼も一緒に距離を詰めてきて、は正直後ずさりしたい衝動に駆られる。けれどそんな失礼極まりないことはできず堪えた。

「いえ、別に。夕日がきれいだなぁって思って」

「あぁ、本当だ。きっと明日も晴れますね」

「そうですね」

「なに年寄りくさい会話してんだよ」

彼の言葉はどこか刺々しくて、彼の表情や態度から想像出来るものと全く違わなかった。自分から進んで話をする気にはどうしてもなれなくて、は愛想笑いを浮かべて言った。

「それじゃ、また明日……」

と、その時、彼のほとんど睨むような視線とかち合ってしまってまるで金縛りにあったように動けなくなる。直感的に、この人は徹底的に苦手なタイプだと思った。第一印象だけで人を判断するのは幼稚なことだと分かってはいても、正直な心はかたりと震えた。

「おい、マネージャー」

「……はい?」

できるだけ普通に返事をしたつもりだったけれど、うまくいったかどうかは分からない。

「あんまり、無理とかしねぇほうがいいんじゃねぇの?」

「は?」

突然理解出来ない事を言われて、は拍子抜けた。まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。

「別に、無理なんてしてませんよ」

「嘘つけ。ずっと顔色悪いじゃねぇか」

「大丈夫です。そんな、心配してもらわなくても……」

「なんでそこまでやせ我慢すんだよ?」

彼はぐっと眉根を寄せて眉間の皺を深くする。目つきが余計鋭くなって、は指先が震えるのを止められなかった。

「別に、そんな……」

渋沢は、不穏な空気を感じはじめたのかと彼を交互に見やっている。止めに入ろうかと迷っているようで、は渋沢の口が開かれるのを見た。

「おい、三上……」

渋沢の声は最後まで続かなかった。



「……噂はマジだったってわけだ」

「私もびっくりしたわ。まさか知られるなんて思ってなかったもの」

玲は疲労したようなため息を吐き言った。椎名はそれを横目で見て、再び缶を傾ける。そうしながら聞きたいことを頭の中で整理した。

「なんで、そんなことしたの? あいつ」

「私も詳しくは聞いてないんだけど。家に戻ってきてからしばらくして、包丁で切ったんですって」

「……なんでまた、そんな」

「何も話してくれないのよ。私にも」

淋しげな玲の横顔を見て、椎名はぎゅっと胸が締め付けられた。翼の記憶にある玲とという姉妹は14も歳が離れている割に仲が良かった。いや、むしろ姉妹というより母子のような感覚があったのかも知れない。は甘えん坊でいつも玲と一緒にいて、小学生になってもずっとそうだった。成長するに随って二人に会う回数は減った。玲とは飛葉中サッカー部の監督になるとか家に下宿を始めるとかでなんだかんだと顔を合わせていたけれど、とはもう丸二年も会っていない。その間に何かあったということだろうか。玲がのことでここまで気に病む姿を椎名は見たことがなかった。

はその噂のこと分かってるのかしら」

ふと玲は思い出したように言った。椎名はできるだけ普段通りの声で答えた。

「さぁ、どうだか。好奇心旺盛な男共からの視線に堪えるのでいっぱいいっぱいなんじゃない?」

「無理してるわよね、きっと。顔色も良くないし、食べる量も少ないし……」

「……」

「翼。できればのこと見ていてやってくれない? 私は選考のこともあるし……。できる限りでいいから」

そう言う玲に瞳には、試合の時に見せる真剣さとはまた別の真摯さが見えた。ただひたむきな瞳だった。

「分かった、見張っとくよ。何かあったらすぐ知らせる」

「ありがとう」

そして玲はやっと、濡れた指でプルタブを引いた。プシュっと言う小さな音が、他に音のないロビーでやけに大きく響いた。



「あー!! あぶなーい!!」

突然どこからか飛び出してきた誰かに体当たりをされて、はいとも簡単に吹っ飛んだ。その勢いで壁に頭を打ってしまう。目の前で星がちらちらと舞うほどの衝撃だった。身動きが取れず、その場にうずくまってしまうと、頭上から騒がしい声が降ってきた。

「うわっ! ちゃんじゃん! ごめんね! 大丈夫!?」

慌てふためいた大声のは藤代だ。傍らにサッカーボールが転がっていて、なぜか裸足だった。そしてもう夜だというのに額にうっすらと汗をかいている。その隣には、同じようないでたちの風祭の姿もあった。

「もしかして頭打った!? うわーごめーん!! 立てる!? 医務室行こう! 医務室!」

「なにやってんだよバカ代」

「あ! キャプテンに三上先輩じゃないっすか! ちょっと、見てないで手伝ってくださいよ!」

「あ、あぁ、そうだな。大丈夫ですか? さん」

あまりに突然すぎる出来事に呆然としていたらしい渋沢は、そうしてやっとを助け起こした。
はがんがん痛む頭を抱えながら、ここで場の空気を乱してくれた藤代に感謝した。多少の皮肉を込めて。



20070226 修正