05





「大丈夫?」

「何が?」

一瞬何を聞かれたのか分からなくて素直にそう聞き返したら、玲はまるでおかしなものでも見たような顔をした。何かミスをしてしまったのかと不安になって、は手元のスコアボードを見直した。Bグループのミニゲームのスコアをつけていたのだけれど、初めてすることだからどこかミスをしてしまったのかも知れない。

「どこか間違ってた?」

「そうじゃないわ。顔色悪いわよ、大丈夫?」

「え?」

そう言われてもイマイチぴんと来ない。体調は悪くない、とは思う。暑さのためのだるさはあるけれどそれだけだ。顔色が悪いのだとしたら、それのせいなのかも知れない。

「暑くてだるいけど、大丈夫だよ。無理もしてないし」

「そう? 一応病み上がりなんだから、気をつけてよ」

別に病み上がりってわけじゃ……、と言いかけては口をつぐんだ。つい先日まで入院していたことに変わりはないのだ。体力だって落ちているし、そこへこの炎天下での仕事だ。確かに無理をしていい状態ではない。

「噂になってたわね」

考え込んでいるところに突然そう言われて、反射的に肩が震えるのを止められなかった。玲はその小さな動作を見落とすまいと、を真っ直ぐに見下ろしていた。

「せっかくリストバンドしてたのにね」

「……ごめん」

「謝ることないわ。まぁ、見たところそんなに大事にもなってないし、あとはの気持ちしだいよ」

「”気持ち”?」

どうして話がそう展開するのか理解できずに問い返す。玲はそれに答えず、タイマーの電子音が鳴るのを聞いてピッチに向かって言い放った。

「GK交代。他もポジション代わって」

その指示の通りにメンバーは動いて、もその通りにスコアをつける。
一度、突き放されて自分ひとり取り残されたような気分になったけれど、ふいに玲はを見下ろして笑った。

「まだ二日もあるんだから、くれぐれも無理しないで」



太陽の高度が低くなって、人の影が濃く長く芝の上に伸びる頃。
Bグループの練習がようやく終わって、それより前にミーティングを終えていたAグループはとっくに夕食にありついていた。
その様子をしっかり見ているBグループの足取りは自然と早まる。いつもは他より大人っぽい表情をして、その通りに落ち着いた言動を取る椎名といえど、空腹に耐えかねる様子は他と変わらない。だからこそ、

「翼、ちょっといい?」

と、玲に呼び止められたときはとても複雑な心境だった。同居しているはとこ同士、合宿中に話をすることもあるだろうとは思っていたが、別にこんなタイミングでなくてもいいだろうに、とどうしても不満が胸中を渦巻く。

「何か用? コーチ」

多少なりと嫌みを込めて返事をするけれど、案の定、玲は軽く笑って受け流した。

「えぇ。話しておきたいことがあるの。手短に済ますから、ね?」

「”話しておきたいこと”?」

椎名はおうむ返しに問い返した。玲にしては珍しく、とても曖昧な表現に聞こえた。玲から自分に話があるというのも滅多にないことで、椎名は何となく胸騒ぎのようなものを覚えた。

「何なんだよ、一体」

のことよ」

玲は、それ以外に何かある? と言いたげに首を傾げた。



は玲と二人で使うことになった部屋へ戻る途中、夕日に赤く染まる空を見た。思わず立ち止まって、窓枠に手をかける。緑の芝生に赤い光。ガラスの窓一枚を隔てて、鉄の窓枠の中に収まった赤い空。何か、無名の作家が描いた絵画のような風景だ。

「……きれい」

灰色の東京の街では決して見ることの出来ないそれに、目を奪われてしばらく立ちつくした。まるで心洗われるような心地だった。

「……さん?」

ふいに声をかけられた。振り返るとそこにいたのは練習中に話をした渋沢だ。その隣にはもうひとり男の子が立っていて、その人の目を見ては瞬間的に緊張した。窓から入り込む光で廊下は全体的に赤っぽい色に染まっている。 彼の瞳にその光が差して、真っ直ぐな黒目が赤みを帯びていた。根拠は何もないけれど、確かに、彼の瞳に強いものを感じて体の芯がすくんだ。

「……なんだよ?」

彼は不機嫌に眉を寄せて、低い声でそう言った。



が家に戻ったの」

椎名はロビーにあるソファに腰を降ろして、玲がおごってくれた缶ジュースに口を付ける。その隣に座った玲はプルタブは開けず、汗をかいたそれを両手で握りしめていた。

「戻ったって? どういうこと?」

「……やっぱり、何も聞いてないのね」

「だから何?」

椎名が強く求めると、玲は視線を落としてゆっくりと口を開く。

、この間まで祖母の家に預けられてたのよ」

「へぇ。なんでまた?」

「ちょっと、いろいろ問題が起こってね。……それはいいんだけど」

「……」

「祖母が亡くなってね。土地を引き払うことになったのよ」

椎名は缶ジュースを口から離して玲を真っ直ぐに見つめ返した。玲は、軽く笑ってそれに応える。

「まぁ当然と言えば当然だけど。は未成年だし、どっちかっていうと祖母のところに置いておく方が世間的には非常識だし」

「なんで、預けられたりしてたの?」

その時、玲は視線を落としてふっと息を吐いた。そうしようとしてわざとついたため息だ。心を落ち着けるための深呼吸に似ている。握った缶は、玲の手の中でびしょ濡れになっていた。

「実は入院してるの。今も一時帰宅中なんだけど……」

「は? なんで?」

「手首、切ったのよ。あの子」

玲はできるだけいつも通りの口調になるようにと努力している声で、そう言った。



20070225 修正