04





昼時を過ぎた夏の炎天下。
は誰よりも早く外に出て、フェンスの移動や備品の確認をしていた。練習が始まる前にしなければならないことが多いので、食事を早く済ませてきたのだ。ただでさえ小食な上に入院生活を経て食欲が落ちているので、食事のスピードはやたらと速い。

「あっつい」

仕事が一段落して、はベンチに座ってそう呟いた。ついでにポロシャツの襟を掴んでぱたぱたと風を送る。ずっと病院のベッドの上にいたから、本格的な暑さを体感するのは本当に久しぶりのことだった。太陽の光が眩しくて、少し眩暈がするような気もする。

「あの、さん?」

ふいに声をかけられて、振り向くとそこにはメンバーの三人が立っていた。声をかけてきたのは茶髪の男の子で、他の二人より一歩前に出てにっこりと笑っていた。

「なんですか?」

「いや、ちょっと話しないかなぁと思ってさ」

この人はとても人懐っこい笑顔を浮かべる。例えるなら子犬とかそんなものだ。対して後ろの二人は、呆れたような面倒くさそうな顔していて、無理矢理付き合わされているのだろうかと時雨は勘ぐった。

「オレ、若菜結人っての。後ろのは一馬と英士」

「はぁ」

「結人って呼び捨てでいいから。オレも下の名前で呼んでいい?」

「え? ……あ、まぁ、どうぞ」

話していると、あっという間に第一印象が崩れ去っていくのを感じる。これは人懐っこいというよりも馴れ馴れしい部類に入るものだ。何となくただ相槌を打つことしかできず、は愛想笑いを浮かべようとして失敗し、苦笑した。

ってさ、何でマネージャなんかやってんの?」

「コーチの西園寺玲が私の姉で、そのつてで……」

「へぇー。そうなんだ。言われてみればちょっと似てるかもな」

「そ、そう?」

「うん。目とか、鼻とか」

「……あんまり似てないって言われるんだけどな……」

「結人。もうすぐ練習始まるよ」

と、少し離れた位置で話を聞いていた二人の内の、切れ長の目をした男の子が言った。

「うっそ。もうそんな時間!?」

「早くしないと合宿所追い出されるよ」

そう言いながら、二人は早々に背を向けようとしていて、若菜は慌てて大声を出す。

「あっ、待てって、お前ら! あ、じゃオレ行くから。また後で話ししような」

「うん。じゃぁね」

「あぁ、そうだ」

若菜は一度完全に背を向けてから、何か思い出したらしくもう一度体を振り向いた。そして、ふいにのリストバンドを指さしていたずらっぽく笑った。

「なんか、ミョーな噂流れてたから、気をつけた方がいいよ」

「……噂?」

「うん。じゃな! また後で」

若菜は軽快な足取りでピッチに出て行った。
対しては若菜の背中を見つめたまま動けなくなる。「リストバンド」、「妙な噂」、「気をつけた方がいいよ」。それから連想できることは、今のにはひとつしかなかった。



「一体何の話してたの? 結人」

なんともなしに郭に問われて、若菜はまるで天気の話でもするみたいに答えた。

「あれだよ。リストバンドの下の包帯。噂してた奴いたろ?」

「あぁ、あの、ためらい傷がなんとかって……」

「んなこと言ったのかよ、結人!?」

真田は声を大きくして少し顔色を悪くする。普通なら話題にすることもためらうようなシビアな話題のはずだ。真田がそうなるのも無理はない。けれど若菜は平気な顔であっさり否定した。

「ばっか。んなこと直接聞けるかよ。ちょっとかまかけてみただけだって」

「”かま”?」

「どうだったの? 当たった?」

真田とは正反対に普段通りの態度の郭に、若菜はさらりと答えた。

「うーん。微妙。よく分かんねぇ」

「お前それ最悪」

真田は目を細めて若菜を睨んだ。若菜はそれを気まずそうに受け止めて唇を尖らせた。

「なんだよ。だって別に嫌そうな顔してなかったじゃん」

「けどさ、謝ったほうがいいんじゃねぇの?」

「えー、それもわざとらしいだろ。それに、あれがホントにためらい傷って保証ないだろ? 確かにちょっと不思議な子ではあるけど話してみたらフツーにかわいかったし」

「そりゃ、そうかもしれないけど……」

「でも、ちょっと普通とは違うところもあるんじゃない」

と、郭が言った。郭は時雨に対してあまり興味を示している様子ではなかったから、若菜と真田には意外なことに思えた。二人は同時に視線をやって、同時に言った。

「「なんだよそれ」」

郭は二人を見ずに、すでに練習を始めている連中を見ている。その口調はどこかぶっきらぼうだ。

「あの人、西園寺コーチの妹だって言ってたでしょ」

「それがなんだよ」

「名字が違う」

「「……あぁ」」

真田と若菜は同時に納得した。



一方、別な場所でも似たような会話が展開されていた。大元の話題の中心にいた渋沢と、三上だ。

「その話ホントなのか?」

三上はいかにも疑わしそうに目を細め、離れた位置からを見やる。
は監督に指示を受けたり、備品を整理したりと忙しく動き回っていて、誰がどんな風に噂話をしても聞こえそうにはない。もっとも、そのために仕事に集中している、と言えなくもないだろう。
渋沢は呆れたように腕を組んで答えた。

「単なる憶測だ。お前まで信じてるのか?」

「別にそう言う訳じゃないけどよ……」

「何だ? どうかしたか?」

三上はぐっとを睨むように見据えていた。元々整った顔立ちに加えて目つきが鋭いので、周りから「怖い」だなどと誤解を受ける三上だが、同じ学校のチームに属している渋沢はその意味を理解している。 だからこそ、その視線に不穏な気配を感じ取って、不安になった。

「三上?」

「大丈夫かよ。あいつ」

「?」

「ま、俺には関係ないけど」

三上はそれ以上何も言わなかった。



20070225 修正