![]() 時を少しさかのぼって、その日、まだ日が暮れる前のことでした。 今日はとてもいい天気でしたので、は薔薇園を散歩することにしました。城の薔薇園はとても広く迷路のように入り組んでいて、これまでその全てを見ることができなかったので、今日はできる限り庭をよく見て回ることにしました。 薔薇園には高い生垣があり、それは迷路のように入り組んでいます。はその中に足を踏み入れました。色とりどりの薔薇が咲き乱れ、曲がり角にはつる薔薇で作られたアーチがかかり、ガーゴイルの銅像が守り神のようにところどころに立っています。しばらくひとりで迷路を楽しんだ後、その出口にたどり着きました。 そこには小さな湖がありました。空の青色を映して美しく輝く湖には小川が注いでいて、静かな波が立っています。ここはちょうど城の裏にあたる場所のようです。城の背中を見上げながら、は湖に近づきました。そのほとりに腰を下ろして湖の中を覗き込むと、自分の顔が映りました。 手のひらを浸すと冷たく、水は澄んでとても美しいことがよくわかります。けれど、不思議なことに水底は全く見えません。水の中に靄がかかっているか、白い砂が湧き上がっているかのように見えます。 はしばらくじっとそれを眺めていましたが、馬車に揺られて酔ったような気分になってきて、頭を振って身を起こしました。 その目に、野獣の姿が映りました。小川の先、少し小高くなった森の淵に東屋があります。野獣はそこで森の奥をじっと睨んでいました。どこか近寄りがたい風情ではありましたが、は迷わず近づきました。 「何をしてるの?」 野獣は耳をぴくりと震わせて振り向きました。 「お前か」 は野獣の隣に座り込むと、その目をじっと覗き込みました。野獣は困ったように瞬きをしましたが、目をそらすとまた森の奥を睨みつけました。 森は、城の庭とは違って鬱蒼と木々が覆い茂り、陽の光は地面まで届いていません。薄暗い森は、何か巨大な生き物が大口を開けているようにも見え、は背筋に冷たいものが走るのを感じました。 「ここで、何をしてたの?」 「別に。なんでもねぇよ」 「こんな暗いところにいて、悲しい気持ちになったりしない?」 「てめぇといっしょにすんな」 「じゃぁ、質問を変えるわ。森の奥に何かいるの?」 野獣はきっとを睨みつけましたが、どんなに凄んでもにはなんの効き目もないことはここ数日一緒に過ごしてよく分かっていましたので(何しろ毎晩一緒に眠っているのです)、諦めて大きなため息をつきました。 「最近、森の様子が少し変わったんだ」 「そうなの?」 「ここは、前はこんなに薄暗くもなかったし、木も下生えも、こんなに密集していなかった。そりゃ、森だからな、天気の善し悪しで様子は変わったりするだろうが、うまく言えねぇんだが、とにかくそういう類の変化じゃねぇんだよ」 野獣はの目から森の入口を隠すように体を動かしました。 「だから、お前はあまりここに近づくな。何が起こるか分からねぇ」 は野獣のたてがみを撫で、すっかり体に馴染んだ野獣の脇腹に寄りかかりました。 「よく分からないわ。私は、あなたがこの城の主で、この森を支配してるんだとばかり思っていたんだけれど、あなたの話を聞いていると、そうではないみたいね」 野獣は体を丸めての体を包み込むように座りこみ、大きな額をの顔に寄せました。 「悪いが、お前には言えないこともあるんだ」 「……そうみたいね」 2人はしばらく、互いの体を寄せ合ってじっとしていましたが、日が落ち、次第に空気が冷えてきたので、2人揃って城の中へ戻ることにしました。 ちょうど湖のそばを通りがかったとき、は小石につまづいてしまいました。野獣がその大きな体でを受け止めましたが、その拍子にがポケットに入れていた鏡が転がり落ちてしまいました。桂が誕生日にプレゼントしてくれた薔薇の鏡です。 「あっ」 鏡はころりと転がり、が伸ばした手をすり抜けて湖の中に落ちてしまいました。静かな水音がたち、薔薇の鏡は白い靄がかかったような水底に沈んでいきます。眩暈を覚えるような気持ちでその様を見つめていたは、湖の底で靄が渦を巻くのを見ました。 次の瞬間、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われ、は倒れ込みましたが、野獣がその体を支えました。 轟音と揺れがおさまって、はやっと目を開けました。 「何が起こったの?」 野獣は辺りを警戒しながらを立ち上がらせ言いました。 「城へ入ろう」 言われるまま、は城の中へ入り、寝室に落ち着きました。野獣は外の様子を見てくると言って出て行ったきり、の元へは戻りませんでした。 はひとり眠ることもできず、ベッドの上で丸くなったままじっと暗闇を見つめていましたが、ふと思いいたって、ドレッサーの引き出しからナイフを取り出しました。薔薇の刻印が押された、高杉が誕生日にくれたナイフです。坂本がくれたペンダントはシャンパンに溶け、桂がくれた鏡は湖に落ちてしまいました。家族を思い出せるものは、もうこのナイフしか残っていません。ナイフを胸に抱き、はぎゅっと目を閉じました。 野獣は近頃、森の様子が変わったと言いました。ペンダントが溶けたあの日、野獣は血相を変えて城を出て行き、鏡が湖に落ちた瞬間、異常なまでに地面が揺れ動きました。 は自分がきっかけでこの異常事態が起こっていると考えずには入られませんでした。自分が城へやってきてからというもの立て続けに起こっている不思議な出来事が、何かもっと悪いことが起こる前兆ではないと、一体誰が思うでしょう。 話せないことがあると言った野獣のことを思い出して、は暗闇の中で目を見開きました。同じ城に住むもの同士、自分にだってここで何が起こっているのか知る権利はあるはずです。一体、野獣は何を隠しているのか、はベッドの中でじっと考え続けました。 その頃、野獣は真夜中の森で、大きく崩れた崖を見下ろし、その向こうに広がる森の外れの街明かりを見下ろしました。あの轟音と揺れは、この崖が崩れた衝撃で起こったものでした。これまで、森の木々や人々の目を惑わす魔法でその姿を隠していた城は、すっかり日の元にさらされています。朝になれば、街からでも城の姿がすっかり見通せることでしょう。 「……森の魔法が弱まってる」 野獣は呟いて、そっと踵を返しました。 その頃、夜の森を探索していた猟師の一人が、崩れた崖の上に城の灯りを見つけ、猟犬の首にメモを結びつけ森の外へ走らせました。猟犬はその素早い足で森の入口の小屋に辿り着き、メモを見た猟師たちは即座に身支度を整え猟犬の案内で森に入りました。飼い主の匂いを辿り、猟犬はいとも簡単に猟師たちを城のふもとまで導きました。一方、ひとりの猟師は街に戻っていた沖田へ知らせを届け、沖田はその足で、銀時たちの元へ向かったのでした。 「崖崩れ?」 沖田の話を聞いて、銀時達は顔を見合わせました。 「雨が降っているわけでもねぇのにか?」 「崖崩れの理由なんか俺は知ったこっちゃねぇですけどね、そのおかげで城の場所がはっきり分かったんですよ」 沖田が言いました。 「今、猟師仲間が城の様子を探ってます。明るくなったら野獣を探しに行くつもりです」 「急にこっちに都合のいいように城が姿を現すなんて、何か裏があるとは思わねぇのか? 森の魔法と関係とは関係あるのか?」 銀時が聞きました。 「そうかもしれませんけど、『虎穴にいらずんば虎子を得ず』というでしょう」 「まだ誰も城には入っていないんだな?」 「俺が行くまで待ってろと言いつけてます。旦那達も一緒に行きますか?」 銀時と桂は目を見合わせました。を助け出すためにこれ以上待っていられません。 「あぁ。分かった」 「高杉、お前はどうする?」 高杉は煙草の煙を吐き出して、腕組みをして答えました。 「俺は俺のやり方でやらせてもらう。勝手に行けよ」 銀時と桂は、沖田について家を出て行きました。高杉はしばらくひとりで煙草を更かしていましたが、やがてのそりと動き出し、ひとり家を出て行きました。 20150330 |