5年前のあの日は、雨が降っていました。1週間降り続いた雨の、最後の1日でした。

決壊した川で溺れ死んだ人達の亡骸が、川沿いの丘にある広場に集められ、シートを被せられ、まるで人形のように並べられていました。広場を埋め尽くした亡骸は、ただじっと雨に打たれています。

高杉はそこにひとり、立っていました。高杉のそばには、吉田松陽の亡骸がありました。溺死した吉田は真っ青な顔をして、びしょ濡れのまま雨に打たれていました。ただ眠っているように穏やかな表情をしていましたが、高杉には何もかもが遅すぎたことが分かっていました。吉田は死んでしまったのです。

雨に打たれながら吉田の亡骸を見下ろして、高杉はじっと唇を噛み締めました。ここで吉田を見守っていても、吉田が生き返るわけではありません。けれど、そこから動くことはどうしてもできませんでした。吉田は身寄りのなかった高杉を引き取り、育ててくれた恩人でした。口が悪く、すぐに銀時や桂と喧嘩をしてしまう高杉をいつも優しく見守っていてくれ、生きていくということがどういうことなのかを教えてくれた、誰よりも大切な人でした。そんな人を奪った世界を高杉は許せるような気がしませんでした。吉田を殺したのは、この大雨です。仇を討とうにも、一体どうやって敵を打てばいいのでしょう。高杉はやり場のない怒りを燃え立たせ、雨に濡れた拳をぎゅっと握りしめました。

その拳をそっと包み込んだのは、の小さな手のひらでした。

「……高杉くん、もう帰ろう。風邪引くよ」

の手のひらは雨に打たれて冷えていましたが、吉田の亡骸と比べればずっと温かいものでしたが、高杉はそんなの手を振り払いました。

「勝手にしろよ」

はしばらく高杉の隣で立ち尽くしていましたが、高杉をひとりにしてやることにしました。は泥で膝が汚れるのも構わず吉田のそばにしゃがみこみ、雨で顔に張り付いた髪を払ってやり、慈しみを込めてその頬を撫で、沈痛な面持ちで丘を下りて行きました。の頬を濡らしていたのは、雨だけではありませんでした。

横目でを見送った高杉は、吉田の亡骸を見下ろしてふと気がつきました。吉田のこめかみの辺りに、油膜のような虹色の痣が光っています。しゃがみこんでよくよくそれを見てみると、うっすらと薔薇の形をかたどっているように見えます。

高杉は、広場に並んだ人々の亡骸を片っ端から調べました。ある人は頬に、ある人は手の甲に、ある人は首の裏に、同じような薔薇の痣がありました。亡骸の全てに、同じような薔薇の痣があったのです。

それを見て、高杉は森の魔法のことを思い出しました。高杉は元々魔法を信じてはいませんでした。森の魔法は、子どもの頃おとぎ話で聞いた程度のことで、それが本当に存在するとは考えたことがありませんでした。けれど森の魔法が存在しないとしたら、薔薇の痣を体に刻んで死んでいったこの亡骸をどう説明すればいいのでしょう。

雨の中、広場の遺体を見回して高杉は唖然としました。この時、高杉は、吉田の死になんらかの理由があるのだと確信したのです。

それから、高杉はこの事件について調査しはじめました。死亡者、行方不明者ひとりひとりを確認し、家族に会い、森の魔法の手がかりはないかと必死に探しました。(ただし、高杉が自分で調べたのではなく、高杉を慕って集まった武市、来島、河上らがその仕事を買って出てくれたのでしたが。)

ただ、高杉はこのことを家族の誰にも話していませんでした。森の魔法などというおとぎ話を彼らが信じるとは思えなかったので、全て自分ひとりでかたをつけるつもりだったのです。

銀時が森で野獣と出会ったと聞いたとき、高杉は最後の手がかりを得たと確信しました。銀時の話を信じないふりをしたのは、あくまでもひとりで事に当たりたいというプライドがあったせいもあります。そもそも高杉にとって一番の目的は、吉田松陽の敵を取るということでしたので、銀時が野獣に食われてしまおうが正直なところどうでもいいことでした。

けれど、銀時の代わりにが森に姿を消してしまったとあってはいてもたってもいられません。は吉田が特に目をかけて大切にしていた女の子でした。吉田が大切に守ってきた女の子を、高杉が守らない理由はありませんでした。

高杉は、がいなくなった日から、武市、来島、河上らに命じて、森の野獣との捜索をはじめていました。元々、森の魔法の正体を探すために少しずつ森の調査を進めていたので、これまでに得た情報を元にの捜索に全力を注ぎました。

ところが、1週間探し続けてもどころか、野獣も、銀時が見たという城も見つけることができませんでした。噂によれば、桂が狩人仲間の手を借りてを探しているとのことでしたが、その誰も手がかりひとつ得られていないようです。

家に帰った高杉は、ぐったりと座り込んで酒を飲んでいる銀時と桂を見て、眉間に皺を刻みました。

「何をやってんだ、お前ら?」

「おぉ、高杉。帰ったか」

「お前も飲むか?」

「いらねぇよ」

がいなくなってしまった家は、以前と比べてずいぶん薄汚れてしまいました。棚にはうっすらと埃が積もっていますし、流しには汚れた皿が山積みになっています。庭や畑も雑草が伸び、つい3日前には鶏を小屋に入れ忘れて、3匹がイタチに襲われて死んでしまいました。

「何か収穫はあったのか?」

銀時と桂は苦い顔をして何も答えません。

「何にもなしか」

「うるっせぇなぁ。こっちは1日中森を歩き回って疲れてんだよ」

「そもそも自分から言い出したことだろうが」

「てめぇこそいっつもひとりで何やってんだ?」

「てめぇには関係ねぇ」

が行方不明だっつーのに、心配ひとつしやがらねぇで」

「あぁ? 誰がそんなこと言ったよ?」

「聞かなくても分かるわ」

「やめんか、2人とも。ここで言い争っても仕方がないだろう」

桂が口をはさんで、銀時と高杉をいさめました。

「あれだけ大勢の人間が森に入っているんだ。きっと近いうちに城は見つかるさ」

「何を根拠にそんなこと言うんだよ? ヅラ」

高杉は不審そうに眉を寄せました。

「ヅラじゃない、桂だ。狩人仲間に聞いた話なのだが、数日前、森のある場所で土砂崩れが起こったらしい。雨も降っていないのにだ。おかしいとは思わんか?」

「それがと関係があるっていうのかよ?」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だが今は、どんな些細なことにも目を光らせていなければならないだろう。どんなことが、城へ繋がっているのかは誰にも分からんのだからな」

桂がそう言ったとき、扉をノックする音が聞こえました。返事をする間もなく扉を開けたのは、猟銃を背負った沖田でした。

「おや、皆さんお揃いで」

「なんだ、お前か」

銀時が聞きました。

沖田はずかずかと部屋に入り込み、薄汚れた部屋を見回して、テーブルの上の埃を指で掘って吹き飛ばしました。

「噂には聞いてましたけど、ひどい有様ですね」

「余計なお世話だよ。どうした? こんな夜更けに」

「旦那達には知らせた方がいいかと思いましてね」

銀時、桂、高杉は顔を見合わせて、沖田をじっと見つめました。

「城が見つかりましたよ」




20150330