が城で過ごすようになって、1週間が経ちました。3度の食事を野獣とともにする以外、はすることもなく暇を持て余していました。衣装箪笥にしまわれていたドレスを全部引っ張り出して、きちんとたたみ直してしまってみたり、宝石やアクセサリーをひとつひとつ取り出してみたり、壁に掛けられた絵を眺めてみたり、なんとか気を紛らわそうとしましたが、元々貧乏性なので、そういった贅沢品にはどうしても興味を持てませんでした。

次第に、は城の庭で1日を過ごすことが多くなりました。宝石やドレスよりも、太陽の光を浴びてきらきら輝く色とりどりの花々の方が見ていて飽きません。迷路のように入り組んだ生垣の間を散歩したり、芝生に腰を下ろして日光浴をしたり、は自分なりの楽しみを見つけて心穏やかに過ごしていました。

気がかりなことがあるといえば、食事時以外は全く姿を見せない野獣です。いったいどこで何をしているのか、城の中にいるのか森に入っているのか、それすらも分かりません。薔薇の香りに包まれながら芝生に寝転んでいたは、いろんなことをしみじみと考えた末、ある決断をしました。

その日の夕食の席で、は出し抜けに言いました。

「あなた、私と食事をする以外は一体何をして過ごしているの?」

野獣は黒く光る大きな瞳をぱちくりとさせました。

「何だよ、急に?」

は野獣の表情の変化をひとつも見逃すまいと、じっと野獣を見つめて言いました。

「私、随分考えたんだけれど、私はこの城に囚われの身ということになっているのよね? ここには私とあなたの2人しかいなくて、おそらくこれからもずっとそうなんでしょう?」

野獣は面白くなさそうに目を伏せました。

「まぁ、そういうことになるな」

「それなら、私たちはもっとお互いのことをよく知らなくちゃならないんじゃないかしら」

「別に、そんな必要はねぇだろ。最初に言ったはずだぜ、分をわきまえろとな」

「でも、たった2人しかいないのよ? これから毎日一緒に食事をするんでしょう? できるなら、仲良くしていこうと思うのが普通じゃないかしら?」

「俺はそんなことは思わねぇし、お前と仲良くする気もさらさらねぇよ」

「ならどうして、今こうして一緒に食事をして、お話してくれているの?」

が挑発するようにそう言うと、野獣は鋭い眼差しでを睨みつけました。けれど、野獣にまったく怖さを感じなくなったに、もう恐いものはありません。

「あなたが話さないなら、私が話すわ」

はナイフとフォークを置いて、城で見た美しいものについて話し始めました。素晴らしいドレスの数々や、きらめく宝石、絵画、調度品、ガラス細工の食器、そして何より、庭に咲き乱れる花々の美しさについて話しました。太陽の光を浴びて芝生に寝転び、花の香りに包まれて目を閉じる時の幸福感について話しました。今まで日々の生活に追われ、太陽や花の美しさにどれほど無頓着だったか気づいたことを、この城に来てからというものどんなに心穏やかでいられるか、家族のことを思い出さないわけではないけれど、みんなゴキブリ並の生命力をもった素晴らしく食い意地の張った人達で、なんの心配もしていないこと、そんなことを野獣に語って聞かせました。

その話の腰を折るように、野獣は黒い瞳をぎらりと輝かせると、テーブルをその上に乗った食事ごと踏みつけてに襲いかかりました。突然のことに身動きがとれなかったは、座っていた椅子ごと後ろに倒れ、したたか後頭部を打ちつけました。野獣の鋭い爪が喉をかすめ、坂本からもらったペンダントのチェーンが切れ、床にこぼれたシャンパンの水たまりの中に音を立てて落ちました。

「分をわきまえろと、言ってんだよ」

野獣は喉の奥から響く声で唸り、鋭い牙をむき出しましが、はそれを見てもちっとも怖くはありませんでした。首から血が流れる感触がしましたが、そんなことはどうでも良かったのです。野獣の目は怒りに震えていましたが、同時に言い知れない寂しさも抱えているように見えました。野獣は唸るように言いました。

「お前がここでどう過ごそうとどうでもいい。城の中にそれだけ楽しみがあるんなら退屈しねぇだろ。だから俺に構うな」

「仲良くしようとすることは、そんなにいけないこと?」

「鬱陶しいんだよ」

「私はそれでも別に構わないけれど」

「だからなぁ……!」

その時、かすかな水音がふたりの耳をくすぐりました。

薔薇のペンダントが、しゅわしゅわと音を立ててシャンパンの水たまりの中に溶けていました。それはまるで薔薇の形をしたキャンディーが熱に溶けていくようでした。一体どんな魔法が起きているのかと、は野獣を見上げましたが、野獣はただただ目を丸くしているばかりで、何を考えているのか分かりません。

ペンダントがシャンパンの中にすっかり溶けてしまうと、野獣は何も言わずに食堂を出て行きました。は首の怪我が大したことはないと確認すると、テーブルクロスを裂いて包帯にして首に巻き、野獣が踏みつけた食事の残骸や割れた食器を片付けました。

野獣と仲良くなりたいと思ったのは、の本心でした。これから先、野獣とふたりでこの城で生活していくなら、仲良くやっていくに越したことはないに決まっています。できることなら、ふたりで穏やかに優しい日々を送れたらきっととても素敵でしょう。野獣はどうしてそれを拒絶するのでしょうか。野獣は何も話してくれないので、理由は分かりませんでした。

食べ残しと割れた食器をテーブルに乗せて、は寝室に戻りました。着替えを済ませてから鏡で傷の具合を確かめてみると、包帯に少し血が滲んでいましたが、重症というほどでもなさそうです。包帯を巻き直してベッドに入ろうとした時でした。

控えめなノックの音がしたと思うと、野獣が肩を落として扉のそばに立っていました。この城で暮らしはじめてから、食堂以外の場所で野獣の姿を見るのは初めてだったので、は驚きました。

「どうかしたの?」

「……入ってもいいか?」

野獣は耳をぱたりと下げて言いました。

「どうぞ」

野獣はのそばに腰を下ろすと、の首の包帯をじっと見つめて言いました。

「さっきは、悪かった」

「私は大丈夫よ。こっちこそ、気に障るようなことを言ったみたいで、ごめんなさい」

「いや。怪我をさせるほどのことじゃなかった」

野獣はうなだれ、深く頭を下げました。

「悪かった」

心の底から申し訳なさそうに、野獣は言いました。ちょうど、の膝頭のあたりに野獣の額があり、はこんなに大きな体の野獣が自分のために膝まづいているのはとても不思議な気がしました。は恐る恐る、野獣の頭に手を伸ばして、その毛並みを撫でてやりました。

「気にしないで。すぐ治るわよ」

野獣はしゅんとしたまま一向に元気を取り戻す気配がありません。そこで、はとっさに言いました。

「ところで、このお城は夜が冷えると思わない?」

「あぁ?」

首を傾げる野獣に向かって、はにこりと微笑みました。

「特にこのベッドは、私ひとりで眠るには広すぎて、とても冷えるのよ。あなたの毛皮はとても暖かそうね。良かったら一緒に寝てくれないかしら?」

「はぁ? そんなもん毛布でもひっかぶってろよ」

はわざとらしく首元を抑え、背中を丸めて訴えます。

「いたた、何だか首の傷が痛むかも。やっぱり部屋が冷えているのがいけないのかしら。困ったわねぇ」

「……! 分かったよ! 寝てやりゃぁいんだろ寝てやりゃぁ!」

野獣はひげをぴくぴくと動かして憤慨した様子でしたが、の演技力に根負けしてとうとうその大きな体をベッドの上に横たえました。

は野獣の脇腹に体をくっつけ、寄り添うようにして眠りに付きました。野獣の毛皮はつややかでとても暖かく、はいつになく安心して深い眠りにつきました。

その夜は、野獣が寝ていた場所に人間の青年が眠っていて、一体これはどういうことだろうと寝ぼけ眼に悩む、という夢を見ましたが、目が覚めた瞬間にその夢のことは忘れてしまいました。




20150323