不機嫌なポニーテール 4
青葉城西高校男子バレー部は、インターハイ予選、準優勝で幕を閉じた。
徹はバスで学校へ戻り、顧問の入畑と溝口コーチの挨拶を聞いた後、各々解散するチームメイトの背中を見送りながらぐるりと視線を巡らせた。女子部はもう学校へ戻っただろうか。
に会いに行きたかったけれど、約束をしているわけでもないから会えるかどうか分からない。
女子部には、男子部の結果は伝わっているだろうか。伝わっていないなら、優勝したよ、と嘘をついて告白をしてもいいかもしれないけれど、そんな嘘は
には通用しないだろう。
夕暮れの少し前、薄いピンク色が混ざった青空を仰いで、徹は
の顔を思い浮かべた。ふっとため息をこぼすと、今まで体の中に貯金していた勇気の最後のひとかけらがぽろりと落ちてしまったような気がした。
「及川。帰んねぇの?」
岩泉が大きな声で言うので、徹は肩を落として、カバンを背負い直した。
「うん。ちょっと、部室に忘れ物」
*****
試合会場から学校へ戻るバスの中で、顧問から男子部の結果報告を受けた女子バレー部は、落胆の声を上げた後、誰からともなく拍手をした。県内2位という成績は決して恥ずべきものではない。女子バレー部は、ベスト4という結果だった。こちらも、創部以来最高の成績を修めた。負けて大会を終えたものの、バスの中ではみんな一様に明るい笑顔を浮かべていた。
は隣に座った女子バレー部のエースと雑談をしながら、頭の片隅で徹の笑顔を思った。
目標に届かなかった大会が終わった直後に、徹はいつもどおりに笑えるのだろうか。打倒白鳥沢と目標を掲げてずっと努力し続けてきたのに、それが叶わなくても、あの力の抜けたような顔で笑うだろうか。
バスが学校に着いたのは、夜7時を回る少し前だった。日はすでに暮れかけていて、西の空が火事になったように赤く燃えている。もう学校に残っている生徒もほとんどいないようだった。
「
。何か食べていかない?」
「あぁ、私はいいや。部室に荷物片付けてこなくちゃ」
「そんなの明日にすればいいのに」
「でも、やんないと気持ち悪いし」
「マネージャー優秀―」
「じゃぁ、また明日ね」
「ばいばい」
は部室棟へ足を向ける。手には自分の鞄と、スコアブック、ホワイトボードや対戦チームのデータが詰め込まれたアイパッドを入れたケースがある。それを抱え直して部室棟へ向かって歩いてくと、ちょうど向こうから知った顔の男が歩いてきた。
「おぉ、
」
岩泉だった。
「岩ちゃん。お疲れ」
「お疲れ。どうだった? 女子は」
「ベスト4」
「おぉ、すげぇな」
「どうも。男子も、準優勝おめでとう」
岩泉は苦い顔をして、「どうも」と答えた。やっぱり、悔しいのだろう。けれどこれ以外になんと言葉をかければいいのか分からなかった。
「及川なら部室だぞ」
「え?」
驚く
に、岩泉は意外そうに首を傾げた。
「及川探してたんじゃねぇの?」
「荷物片付けに行くだけだよ。なに? 岩ちゃん徹といたの?」
「おぉ。やっぱ凹んでんからさ。慰めてやってよ」
「えぇ? 私が?」
はあからさまに嫌そうな顔をした。岩泉はそれを見て困ったように笑った。
「そんな顔しなくても」
「徹のファンの子達にでも頼んだらいいじゃない?」
「
の慰めの方が効果あると思うけど」
「買いかぶりすぎだよ」
岩泉は軽やかに笑って、「じゃぁな」と手を振って去っていった。その後ろ姿を見送ってから、
は女子部の部室棟に足を向ける。男子部の部室は1階にあって、女子部の部室は2階にある。徹に声をかけようかどうか迷いながら、部室の鍵を開け、スコアブックを本棚に戻る。朝、ばたばたしていたせいで散らかったベンチの上を片付けて、(制汗スプレー、マジック、テーピング、ヘアゴム、ヘアピンが散乱していた)床を隔てて自分の足の下にいるであろう徹のことを思い浮かべる。
そもそも、岩泉はあぁ言っていたけれど、本当に徹はひとりで部室に残っているのだろうか。学校は静かで、部室棟の他の部屋にはどこも電気がついていないように見える。
一通り片付けを終えて、すっきりした部室を眺める。忘れ物がないかどうか確認をして、電気を消して部室を出る。
男子部の部室を覗いてみようか。誰もいなかったらそのまま引き返せばいいし、徹が本当にいたら、岩泉に言ったことと同じことを言おう。
そう決心をして、男子部の部室を探す。扉の中央にかかっている部のネームプレートを眺めながら足を進める。バスケ部、野球部、陸上部、その次に、バレー部の文字があった。扉は薄く開いていて、細く明かりが漏れていた。ノックをして、ドアを引く。その向こうで、徹がぽかんと目を丸くしていた。
「あ、本当にいた」
「
!?」
徹は驚きすぎてとっさに言葉が出ず、おかしな顔をして目を白黒させた。
「なんでここにいるの!?」
「岩ちゃんにここにいるって聞いたから」
「岩ちゃんが!?」
慌てふためく徹を冷ややかな視線で見つめて、
はため息をつく。徹の一挙手一投足にイライラしている。なんだかわざわざ徹の顔を見るためにここにきてしまったみたいだ。そんなつもりはなかったのに。
「準優勝、おめでとう」
は、岩泉に言ったことと同じせりふを唇にのせた。徹ははったと目を見張る。
「それだけ言いに来たの。じゃぁね」
「あぁ!
! 待って!」
徹は大きな声を上げながら自分の鞄を引っつかむ。
「もう暗いから、送るよ」
「えぇ? いいよ、別に」
「だめだって。危ないんだから」
徹が部室に鍵をかけるのを待って、すっかり暗くなった夜道を2人並んで歩く。人通りの少ない夜道は、たまに車が2人を追い抜いていく程度でとても静かだ。
「ひとりで何してたの?」
が言うと、徹は気まずそうに笑って答えた。
「
のこと待ってたんだよ」
「約束もしてなかったのに?」
「でも、来たじゃん?」
「岩ちゃんが余計なこと教えてくれるから気になっちゃったんだよ」
「余計なことって何?」
少し冷える湿った空気は、火照った体を優しく包んでくれる。道に等間隔に並ぶ街頭が、星よりも月よりも強くオレンジ色に光っている。
はそれを見上げながらのんびりと歩いていて、徹はそんな
を横目に見下ろしながら、楽しそうに笑っていた。
「
さ、中学の最後の大会の日のこと覚えてる?」
は首を傾げて徹を見上げた。
「何を?」
「あの時も、今日みたいに部室で会ったよね」
「あぁ。あの時は女子部の部室だったね」
「そうそう」
「感謝してよ。徹が女子部の部室に侵入したって誰にも言わないであげたんだから」
「え、そこ?」
「それ以外に何かあったっけ?」
は心底分からなくて、徹が何を言わんとしているのか探るように眉根を寄せる。
はどうやら本当に覚えていないようで、徹はショックを受けて肩を落とす。
「何?」
と、
が言うので、徹は何とか気を取り直した。
「俺に何言ったか本当に覚えてないの?」
「覚えてない。え? 私何か言った?」
この3年間、徹の心を縛ってきたあのせりふを言った本人が覚えていないとは、徹にとっては予想外だったのだろう。後ろ頭をぐしゃぐしゃとかいて、徹は唸った。そもそも今回の大会だって優勝できなかったのだから、ここで
に告白するのはルール違反だ。
は覚えていないとは言え、3年間捕らわれたままの罠からはなかなか逃れられない。
徹は空を仰いで、大きくため息をついた。
「いや、覚えてないんならいいんだけどさ……」
はどうやら落ち込んでいるらしい徹を見上げて、悶々と考え込む。
あの時、部室で徹と部室で何を話したのか覚えていないというのは本当だ。けれど、徹と2人きりで、それまでとは考えられないほど距離が縮まってしまって、恥ずかしくて怖くて、逃げてしまったあの時の、どうしようもなく手に負えない気持ちだけは覚えている。そんな気持ちの時に何を口走ってしまったのか不安だ。けれどそれを徹に聞く、というのもおかしい気がする。聞いていいのだろうか。聞いたら、答えてくれるだろうか。
が口を開くのと、徹が口を開いたのはほとんど同時だった。
「あの時、なんて言ったか教えてあげようか?」
徹は首をかしげながら
を見下ろす。
はその表情のどんな小さな変化も見落とすまいと、夜道に浮かぶ、オレンジ色に照らされた徹を見上げた。
「なんて言ったの? 私」
「俺が、優勝したら言うつもりだったんだけど、って言ったら、だったらちゃんと優勝してから言えって、言ったんだよ。本当に覚えてない?」
「……全然」
「……そうか、やっぱり」
徹は苦笑いをして、「
って本当ざっくりさっぱりな性格してるよね」とこぼした。
はセリフそのものを聞いても何も思い出せず、ひょっとしてこれは徹の創作なのでは? と疑いたくなった。そもそも徹はそういう嘘をつきかねない性格をしている。けれど、本気で落ち込んでいる徹は嘘をついているようには見えなかった。
そこでやっと、
は合点がいった。徹はその言葉に捕らわれているから、はっきり言わないのだ。優勝できなかったから。今となっては記憶にない、恥ずかしくて思わず口走った言葉。だから、「
に応援されたかった」だの、「好きなら好きって言えばいい」だの、婉曲な言い回しでのらりくらり。今日も優勝できなかったから、またはっきり言わないのだろうか。
――それは、面白くないな。
はそう思って、大きく息を吸った。
「徹はさ、私にどうして欲しいの?」
のことばに、徹は虚をつかれた。
「え?」
はちょうど、街灯の下で立ち止まる。その姿はまるで、オレンジ色のスポットライトを浴びる舞台女優のようだった。
「徹が私にどうして欲しいのか、私には分からない。はっきりしないんだもの」
「……それは」
「私が、優勝しなきゃ話聞かないなんて言ったのは、覚えてないとは言えちょっときつかったなと思うけどさ。もう3年も前の話なんだから、時効にしようよ」
「え? いいの?」
「はっきりしないあんたに日々これイライラさせられるの、もう嫌なんだよね」
「……そんなはっきり言わなくても……」
「徹は、私とどうなりたいのよ?」
は腰に手を当てて、ぎゅっと徹を睨みつけるように見上げている。それは、とてもではないけれど、好きだとかなんとか伝えられるような雰囲気ではなくて、徹は苦笑した。
の怒り顔が、かわいかった。この顔を見たくて、この3年間、
をからかい続けてきたようなものだなと思う。優勝したら告白しようと決めていたつもりだけれど、そんなのはただ自分にリミッターをかけていただけで、告白してしまったら、こんな風に
と話をすることができなくなるかもしれないのが、怖かっただけだ。
「
は、春高、どうするの?」
急に話題を変えた徹に、
は首を傾げて答えた。
「春高? 3年はインハイ予選で引退するよ。私も、マネージャーの引継ぎが終わったら引退するつもり」
「じゃぁさ、女子部を引退したら、男子部のマネージャーやってよ」
「えぇ?」
は思いがけないことを言われて戸惑っている。さっきまでの強気な態度はどこへ行ってしまったのか、眉根を寄せて頭にクエスチョンマークを浮かべている。徹は優越感を感じて、満足げに笑い、
の手を取って、自分の決意を伝えるためにぎゅっと握り締めた。
「俺は、
に応援して欲しい。近くで俺のこと見てて欲しい」
「……そんなこと言ったって、私にだって受験とかいろいろあるのに……」
「だから、その時間ごと、俺にちょうだい」
「自分勝手なこと言って……」
「そうだよ。俺、勝手なんだよ。知らなかった?」
「自己中だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ……」
は目を伏せた。インハイ予選が終わったら部を引退するつもりだったのは本当だし、その後は受験に専念することも、ずっと前から決めていた。徹に頼まれたからと言って、すぐにうんと頷けない。だって、将来がかかっている。簡単に決めて、今すぐ返事なんかできない。
けれど、握り締めた徹の手が暖かかった。それが嬉しくて、涙が出そうだった。徹のどこが好きなのか、今となってはもう分からなかったけれど、一緒にいたいと言ってくれた徹の言葉は、今まで聞いたどんな言葉よりも真剣だった。イライラもしないし、腹も立たない。その事実に、少なからず驚いている自分がいる。
つないだこの手を、離したくなかった。
「……少し、準備に時間はかかるかもしれないけど」
「うん」
「いいよ。やってあげるよ、マネージャー」
「うん。監督には俺から話しとくよ」
「でも、あんまり期待しないでね。受験もあるし、いろいろ、うまくできるかどうか分かんないし、そもそもこの時期に転部とかできるの? 大丈夫?」
「大丈夫でしょ! 任せといて!」
「……なんか一気に不安になってきた。本当にできるかな、私……」
「主将の俺が大丈夫だって言ってるじゃん」
「それが何よりも不安なんだよ」
「えぇ? なんで?」
徹と
は手をつないで歩き出した。オレンジ色の街灯の下を出れば、星がきらめく夜空が2人を穏やかに包み込む。
星明りの中で見る徹の笑顔はどこか神秘的で、
は生まれて初めて感じる穏やかな気持ちでそれを見上げた。
ポニーテールが心なしか楽しげに、ゆらりと揺れた。
20141103
及川ってあんなんだけど、女の子には尻に敷かれてる方が似合う気がする。
惚れられるより、惚れたほうが恋愛は楽しくて、それが叶うことの幸運というか、そんな話でした。
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