不機嫌なポニーテール 3




中学最後の大会が終わった。北川第一中学校女子バレー部は、ベスト8止まり。男子バレー部は準優勝して、徹はベストセッター賞を受賞した。

女子と男子では会場が違ったので、会場から学校へ戻ってから学校に連絡が入ったのを顧問の先生が教えてくれた。

は、徹がベストセッター賞の賞状を掲げて、満面の笑みで自慢する姿を思い浮かべて、今日はきちんと「ベストセッター賞、おめでとう」と言おうと心に決めた。この大会で3年生は引退だ。あの白鳥沢に負けて悔しい思いをした徹に同情してやるよりは、努力の成果を結果として残したことを祝福してあげるほうがずっといい。

学校で解散して家路につくチームメートを見送って、はひとり、部室に立ち寄った。顧問の先生と父母会が男子部と女子部合同の打ち上げ会を準備してくれているので、一度家に帰って服を着替えてから、各自打ち上げ会場に集合することになっていた。

夕方のひんやりした風が、首筋を撫でて気持ちがいい。男の子のようだとよく言われる短い髪の襟足が、汗に濡れて少し湿っていた。

「あ、?」

夕日を室内に取り込むために開けっ放しにしたドアから顔を覗かせたのは、徹だった。

「徹。何してんの?」

女子部の部室と男子部の部室は離れた場所にある。男子がこの辺りに来ることは滅多にない。

がこっちに来たって聞いたから、追っかけてきちゃった」

徹はにこりと笑ってそう言った。大会が終わったばかりだからか、いつもつんつんと立っている髪の毛は乱れていて、少し目が赤かった。

「岩ちゃんは?」

「先に帰っちゃったよ」

徹は靴音を高く鳴らして、女子部の部室を見回しながら中に入ってきた。

「ちょっと。ここ男子禁制なんだけど」

「今誰もいないじゃん。ひとりで何してんの?」

徹は持っていた鞄を机の上において、両手をテーブルについて体重を預けるようにすると、首を傾げてをまじまじと眺めた。その視線に不覚にもどきりとしてしまって、は反射的にそっぽを向いた。

「別に。ちょっと、スコアブックを片付けてから帰ろうと思っただけ」

「ふうん」

棚に並んでいるスコアブックの中に、今日の試合の結果を綴り込む。明日の反省会で使うから、職員室でコピーを取らせてもらわなくちゃと、徹とは全然関係ないことを考えてどきどきを鎮めようとしたけれど、あまりうまくいかなかった。

徹とふたりきりになってどきどきするなんて、いつからこんなふうになっちゃったのかな、と思うとため息が出る。以前は男の子同士みたいにふざけあったり、岩泉とふたりで徹をからかったり、そんなこともできたのに、いつの間にかそんな風に3人でつるまなくなってしまって、少し寂しい。

「……ベストセッター賞、おめでとう」

は、言おうと決めていたことを、頭の中でシミュレーションしていたとおりに言った。徹の顔は見れなかったけれど、心地良い徹の笑い声が聞こえたのでほっとした。

「ありがとう! 知ってたんだ?」

「うん。先生が教えてくれた」

「自分で言おうと思ってたのに」

「すごいじゃん。ベストセッター賞なんて」

「うん。うちのスパイカーが一番力を発揮したってことだからね、やっぱ嬉しいよ! はどうだったの?」

「ベスト8だった」

「おぉ、すごいじゃん」

「うん。私たちの世代では最高記録だね」

岩泉が今、ここにいてくれたらいいのにと思う。また、3人でわいわい楽しくやれたらいいのに。あの頃が懐かしい。どうしてこんな風になっちゃったのかな。どうして、徹にどきどきなんてするようになっちゃったんだろう。はっきりとしたきっかけがなかっただけに、その理由がうまくつかめなくてもやもやした。

「徹。何か話があったから来たんじゃないの?」

の顔を見に来たんだよ」

「えぇ?」

驚いて、は思わず振り向いた。

徹は乱れた髪をかきあげると、真っ直ぐにを見つめて、目を細めて笑った。それは、徹が時々見せる強かな微笑みで、夕暮れの薄赤い空気の中で恐ろしいほどで、は息を飲んだ。

「……本当は、優勝して言うつもりだったんだけど……」

は徹の顔を見て、今すぐここから逃げ出したいと思った。徹が言いたいことがなんとなく分かってしまって、それをどうしても聞きたくなかった。とっさに、中途半端に片付けたスコアブックを本棚に突っ込んで、大きな音を立てて徹の言葉を遮った。

「……私、もう行かなくちゃ」

「え?」

徹はきょとんと瞬きをした。はその隙に、自分の鞄を持って踵を返す。

「また後で、打ち上げでね」

「ちょっと、待ってよ! !」

徹がの腕を掴んで引き止めた。その力が思いの他強くて振り払えなかった。

「なんで逃げるんだよ?」

「逃げてないもん。もう、行かないと。打ち上げに遅れちゃう」

「それは俺も一緒だって。いいから、話聞いてよ」

「いや」

「いやって……」

は必死の思いで、きゅっと徹を睨みつけた。それが、がその時できた精一杯の抵抗で、その視線に徹はたじろいだ。

「……優勝したら言うつもりだったんでしょ?」

「え?」

「だったら、ちゃんと優勝してから言って」

徹の手の力が緩んだ瞬間、は徹の手を振り払って走り去った。一度も後を振り返らなかった。








それからというもの、徹が女の子たちに囲まれているのを見ると、は吐き気を覚えるようになった。

徹はかわいい女の子にちやほやされるのがアイデンティティーになっているところがあって、常に誰かに甘やかされていないと死んでしまう兎のようなところがある。

そんな徹と真剣に付き合おうとすると、こちらがひどく消耗してしまう。徹の気安さや、馴れ馴れしさにどんどん絡め取られて、いくら冷たく突き放しても暖簾に腕押し。それどころかどんどん奥の方に引きずりこまれて、抜け出せなくなる。徹はそういう、罠のような人だ。は徹という罠にはまっている。きっと、岩泉でさえもそうだなのだ。

岩泉ととで何が違うのかというと、岩泉は徹の親友になれたけれど、はそうなれなかったということだ。

は徹にとても腹を立てていた。こんなに気持ちを乱されるくらいなら、徹から離れてしまえばいいのかもしれない。けれど、そんなことは想像することもできない。徹のそばにいたいと思ったことはないけれど、離れたいと思ったこともない。だから、ずるずると一緒にいる。ここから後にも先にも引けない、が掛かった罠はとろりと甘いキャンディのように舌の上で尾を引いている。

岩泉と徹と3人で、バカみたいにふざけ合っていた過去はもう戻らない。だったら、意識して男の子のように振る舞うのはもうやめようと思った。

徹にとって自分は紛れもなく女の子なのだ。男の子同士みたいに友人としてそばにいることはもうできない。だったらもう、潔く女の子になって、真っ向から徹に向き合っていくしかない。自分から徹にどきどきしていると伝えることはまだまだできそうにないし、徹を好きだと思うよりもずっと、徹にいらいらさせられることの方が多くて、徹とどうなりたいのかなんて全然分からなかったけれど、とにかく前に進まなくちゃと思った。

その時、教室のベランダから自分を見下ろしているに徹が気づいて、さわやかににこりと笑った。

は腹の底からマグマが沸騰するように湧いてきた怒りに任せて、べっと舌を突き出してさっさと教室に戻った。こういうことをするからいけないのだ、と思う。けれどもう、徹の顔を見ると反射みたいに何かしないと気がすまなかった。

「どうした? 及川」

岩泉が言った。徹は女の子達の輪の中からやっと解放されて、斜め上の方を見上げながらにやにや笑っていた。

がいたんだ」

「へぇ、どこに?」

「3階の教室。こっち見てたから手ぇ振ってみた」

「どうせ無視されたろ?」

「どうせって何? あっかんべーされただけだよ」

「お前も嫌われたなぁ」

「何で!? 俺がに嫌われるわけないじゃん!」

大げさに両手を挙げて抗議する徹を尻目に、岩泉は目を細めて疑わしそうな顔をする。

「そんな目で見ないで!」

徹の声が空の下に虚しく響いた。





*****






中学3年で部を引退してから、は髪を伸ばし始めた。男の子のように短かった髪は、高校3年生になった今、背中がすっぽり隠れるほどになった。高く結い上げたポニーテールは剣のように黒々として、の頑固な性格をそのまま形にしたようだった。

徹は校内でそののポニーテールを見つけると、いつもつい笑ってしまう。岩泉は急ににやにや笑い出す徹を気持ち悪がって罵声を浴びせてくるけれど、徹はそんなこと気にもならなかった。

中学生3年生、最後の試合が終わった日、に告白しようとして、逃げられた。「優勝したら言うつもりだったんなら、優勝してから言え」というの言葉は、ぐさりと徹の胸に刺さったまま、3年経った今でも抜けていない。

高校3年生になった徹は、今度こそ優勝して、に好きだと言おうと決めている。これまでも手を替え品を替え、好きだ好きだと伝えてきたけれど、今度は本当に心から真剣に、最後の勝負をしようと思っている。そのために努力は惜しまなかったし、がいたからここまでやってこれたのだと思っている。がくれたお守りも鞄につけて持ち歩いている。こんなに力強い支えはない。

今度こそ白鳥沢に勝って、に言うのだ。言ったらはどんな顔をするのか、それを想像するだけで楽しくなって、徹はまたひとりでにやにやと笑った。

「及川。キモイ」

岩泉の遠慮のない物言いにも、傷ついたりなんかしなかった。





20141027




及川は思い出し笑いしたり、ひとり妄想の世界で楽しめるタイプだと思う。