一 






「これから、ちょっと外に出れねぇ?」

 土方がそう言ったのは、がようやく台所の片づけを終えた夜中だった。

 土方は出先から戻ったばかりらしく、珍しくきちんと羽織と袴を身に着けていて、は割烹着を脱いだばかりの普段の着物のままでは気が引けたけれど、土方はそのままでいいと言って、強引にを誘った。

 土方の誘い方は、多少の程度の差はあれいつもこうなので、今回もの方が折れた。

 ふたりで屯所の裏口から外へ出て、少し歩いてタクシーを拾い、ついた場所は土方がよく使う小さな宿で、こんな夜中の突然の来客にも快く応じてくれた。酒とつまみを部屋へ運ぼうかと女将が申し出てくれたけれど、土方はそれを断った。

 部屋に入って、落ち着く間もなくすることをして、ひとしきり裸で抱き合ってから順番に風呂を使ったら、あっという間に草木も眠る丑三つ時だ。草木は眠るが、この江戸の町に住む人間はなかなか眠らない。

 一足先に部屋に戻って、乱れた寝床を整えていたは、ふと思いついて、窓を開けて外を見てみた。煌々と灯るネオンの明かりが眠らない町を照らして、星明りを隠している。真っ暗な空にぽっかりと空いた穴のような満月が空のてっぺんから少し傾いた場所に転がっていた。窓辺に頬杖をついてそれを眺めていると心もとない気持ちがして、はため息を漏らした。火照った体にひんやりとした夜風が気持ち良かった。

「何やってんだ?」

 風呂から戻ってきた土方が、濡れた髪を手拭いで拭いながら言った。

 は窓辺からそれを振り返って笑った。

「お月様がきれいで」
「あんまり乗り出すなよ。外から見えちまうだろ」

 土方はの後ろに腰を下ろすと、両足の間にの体を挟み込んで腰を掴んで引き寄せた。は薄物の浴衣を身に着けただけで、光の加減で、その体の線がすっかり浮き出て見えてしまっている。土方は月明かりからそれを隠すように抱いて、の細い肩に顎を乗せた。

「ふふっ、くすぐったいわ」
「こんな格好してるお前が悪い」
「だってこれしかなかったんだもの。土方さんが急かすから準備できなかったのよ」
「しょうがねぇだろ、時間なかったんだから」
「どうしたの? 何かあったの?」

 土方はの肩の上で重いため息を吐く。その横顔は、いじけた子どものように不貞腐れていて、は子どもをあやすような気持ちで、自分を抱きしめる土方の腕を撫でてやった。

「明日から、しばらく留守にする」

 土方は絞り出すような声で言った。

「お仕事?」
「あぁ、近藤さんと総悟もな」
「どのくらいで帰れるの?」
「分からねぇ」
「そう」

 本当に急に決まったことなのだろう、だからこんなに性急に、時間を惜しんで抱かれるのかと、はひとりで納得した。

 と、突然土方の腕に力がこもって、の腰がぎゅっと締まった。

「……あぁあ、行きたくねぇなぁ……」

 の肩口に顔をうずめて、土方はこぼした。それはも聞いたことのないような情けない声で、呆気に取られてしまう。土方は典型的な仕事人間で、真選組が真選組らしくあることが何よりも大切で、だからこそ鬼の副長と恐れられながらも、隊士達に慕われているところがある。その土方がこんな弱音を吐くだなんて。

 は戸惑いながらも、土方の胸に体を預けて腰に回された土方の腕に手を添えた。土方の腕は力が強くて、抱きしめられた腹部が少し窮屈だけれど、あの意地っ張りで強がりな土方が、自分の前で弱音を吐いて甘えてくれていると思えば、これはとても甘やかな贅沢だとも思えた。

「どうしちゃったの? 鬼の副長ともあろう人がそんなこと言って」
「鬼にもやりたくねぇ嫌な仕事はあるんだよ」
「どんなお仕事? って、聞いてもいい?」
「駄目だ。極秘任務だからな」
「そう」
「けどな」
「なに?」
「……万事屋の連中が一緒なんだよ……」

 は堪えきれずに笑った。土方がそこまで嫌がるだなんてよっぽどの理由があるとは思ったが、まさかそういうことだったとは。

「笑い事じゃねぇよ」

 と、土方はごちる。は腹を抱えて笑った。正確には、土方の腕の上から、自分の腹を抱えて、だったが。

「それは、まぁ、賑やかなお仕事になりそうね」
「賑やかなだけでおさまればいいけどな」
「きっとそうもいかないわね」
「あぁ、嫌だ。あいつと顔つき合わせて仕事しなけりゃならねぇなんて。考えるだけで気分が悪い」
「どうしたら元気が出る? 私にしてほしいことある?」
「そうだな……」

 と、土方の腕の力が緩むのを感じて、は首を巡らせて土方を振り返ってみた。湿った前髪が重く束になって、鋭い眼差しの上に落ちている。月明かりが作り出す影のせいで表情がやけにいろっぽく見えるから、参ってしまう。

 土方はの顔を覗き込むと、唇を押し当てるだけのキスをした。

「こんなことでいいの?」

 目を丸くするに、土方は気まずそうに目を細めた。

「悪いかよ」
「悪くはないけど、あんまり簡単だから」
「手軽でいいだろ」
「土方さんがいいならいいんだけど……」
「じゃぁもういいだろ」

 そうぼやいて、土方はの腰を抱え直した。土方の胸の中にうずくまって、は拍子抜けしてしまう。子どもの遊びのようなキスに何をいちいち照れることがあるのか、口に出すのも憚られるようなすごいことをすることもあるくせに、土方の精神構造はよく分からない。

 とはいえ、たったこれだけのことで土方の力になれるなら、は嬉しかった。
 
 土方の腕に手を添えて、は月を見上げて囁いた。

「気を付けて行ってらしてね。屯所で待ってますから」

 土方はの肩口に頬をすり寄せて短く答えた。

「おう」





20171002