一 いつか ひとりゆく まよいみち 「今日、街中騒がしかったですけど。何かあったんですか?」 「攘夷志士同士の喧嘩だ。俺たちは何もしてねぇよ」 いつもの夜がある。 土方の部屋に面した縁側だ。煙草を吹かす土方と、その吸い殻を紙袋にまとめて片づける。交わされる言葉は世間話のような、小さな駆け引きだ。 「あら、そうなんですか。てっきりまた真選組の評判落ちるような面倒事しでかしたのかと思ってました」 「気にしすぎだ。ていうか俺たちどれだけイメージ悪いんだ」 「悪いじゃないですか。私近所のおばさんに毎日嫌味言われてるんですよ」 「それはもう何万回も聞いた」 「じゃぁもう少し気を遣ってください。攘夷志士って、桂小太郎ですか?」 「それと、高杉晋助の一派だ。単に仲間割れらしい。近頃攘夷志士の間でも思想が分かれてたらしくてな、それが原因だろう」 「へぇ。そうなんですか」 煙草の煙を長く長く吐き出して、土方は視線を落とした。はその横顔を眺めながら、どこまで聞いたら失言になるのだろうかと考えている。 は幼少期を過ごした寺子屋で、攘夷志士となる以前の桂や高杉達と共に暮らしていた仲だ。その過去を隠して真選組の家政婦という仕事をしている。つまり、攘夷志士と真撰組という対立組織の間で精神的に板ばさみの状態に陥っているのだ。こんな事になってしまったのは、ただ偶然が幾重にも重なってしまったことが理由なのだけれど、今一番の悩みだった。 「どっちの被害も大きいらしいから、これからしばらくは大人しくしてるだろう。山崎にも調べさせてるし、心配すんな」 「別に心配はしてませんけど」 「あぁそうか。そうだなお前はそういう奴だったな」 「なんですか”そういう”って?」 「何でもねぇよ。寝る」 土方は煙草の火を指で潰して消して立ち上がる。に一瞥もせず部屋に入ると、障子を閉めながら早口で言う。 「明日もいつも通りだ。よろしく頼む」 「はい。おやすみなさい」 「あぁ」 障子が閉じてすぐ部屋の明かりが消えて、の周りは遠くターミナルの薄青い光と月明かりばかりになった。それでもわずかに影さえ落ちる薄闇の中、土方に気付かれないようには溜め息を吐いた。せめて自分が部屋の前から去ってから電気を消すくらいの優しさは持ち合わせていて欲しいものだ。 は土方を好きで、土方はを好きだった。それはお互いからお互いに言葉ではないもので伝わっている事で、そして夜には互いの部屋の敷居を跨がない事、つまり男女の境界線を越えない事を暗黙の了解としている。これがと土方の現状だ。 全てにおいて意思疎通はしていないけれど、少なくともはそう考えて、理解している。これが一番正しくて賢い方法だと思っていて、それ以外の何かを望んでいるわけでもない。 はあと数年で三十路を迎える年齢だし、身も心も十分な大人だ。そんなことだから、土方には強い態度を示せない。 近頃のは昔袂を別った幼馴染み達と再会してしまった事に、自分が考える以上に動揺していた。いつどんな風に口を滑らせて土方に秘密を打ち明けてしまうか、そう考えると怖かった。 *** 淡い光の降る春の午後。新緑が昨晩降った雨に濡れて気持ちの悪い緑色していた。草履を履いていても湿気が素足を濡らしているのが分かる。 「……銀さぁん」 は少し泣きそうになりながら、それでも歩みを止めずに森の奥深くに入っていく。 銀時が行方不明になってからすでに三日が経過していた。松陽も桂も高杉も他の誰も銀時の心配をしなかったのだけれど、だけは彼らより正常な思考回路を持っていたのでそうもいかなかった。 「銀さぁん! どこぉー? 早く帰ってこないともうご飯作ってあげないよぉ?」 の声は、木々の間をすり抜けすり抜け、こだまになって帰ってくる。それが妙に一人きりの寂しさに訴えかけてきて、は本当に泣きそうになった。 どうして誰も銀時を心配しないのだろう。こんな森の中には木の実や何かはあるだろうけれどそれが三日も続けてでは体がもたないだろうし、何より銀時に何かあったらどうするのだ。 は涙で震えて掠れそうになる声に堪えて、もう一度呼ぼうと口元に手を添えた。 とその時、 「おー、じゃねぇか」 がさがさと典型的な物音を立てて草むらから現れたのは、傷だらけの銀時だった。 「何やってんだ? こんなとこで」 「それはこっちの台詞だぁあ!」 もちろんは銀時を拳で殴った。 この三日間どれだけ心配していたのかも知らないで。誰も銀時を探そうとしない中で一人森に入った時の必死な気持ちも知らないで。銀時の顔を見ただけで涙が出そうになっている今この時の気持ちも知らないで! どうしてそんなに平然としているのか! 気持ちだけが噴水のように湧き上がってきて、けれど一言も言葉にならないまま暴力になった。 「いってぇな、何すんだよ。何日かぶりに会っていきなりぐーはないだろぐーは」 「誰がそうさせてんのよ! 何やってたのよ三日も森の中で!!」 「ちょっと散歩に出てただけだっつーの」 「ちょっとって何!? 三日の散歩がちょっと!?」 「うるせぇよ。ていうかお前こそ何してんだって」 「銀さんのこと探しに来たのよ!」 「それで足くじいて泣きべそか?」 銀時はそう言って、不謹慎にもとても楽しそうな顔をして笑った。 確かには森に入ってすぐ、木の根に足を取られて転んで足首を捻っていた。赤く腫れ上がった足首は、が殴った銀時の頬と同じ色をしている。 思い出すと途端に痛み出して、は堪えきれず本格的に泣いた。足首と胸が痛くてたまらなくて、銀時の事をあんなに心配していた自分が馬鹿みたいで、誰も銀時の心配なんか欠片もしていないことが信じられなくて、もうどうしたらいいのか分からなかった。 結局、は銀時に背負われて松陽の家まで戻った。戻ったら戻ったで松陽は二人を笑顔で迎えてくれて、二人の傷の手当をして、温かい夕食を振る舞ってくれた。 桂はの足をとても心配して、銀時の事を言葉汚く罵った。高杉はと銀時二人ともを心底馬鹿にしたように鼻で笑った。他の皆は何やってんだよだから言ったんだよ銀時なんか心配してたら身が持たないってーとからかって、げらげらと笑っていた。 温かい記憶は、いつも松陽の笑顔と共にあった。の幸せの思い出だ。 20091007修正 |