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あの事件から数日が経った、ある夜のことだった。

「何をやってんだ? お前」

割烹着を着て台所に立つに、土方は強い口調で言った。はぎくりと肩をこわばらせ、おたま片手に苦笑いをした。

「……土方さん」

「病み上がりなんだから、まだ休んでろって言っただろーが」

「でも」

「でもじゃねぇんだよ」

土方は無理矢理の手を引いて、台所から連れ出した。夕食にありついていた隊士たちが、「まったく、副長もさんもしょうがないなぁ」と言いたげに笑っていた。

土方に腕を引かれるまま、は息を切らせて言った。

「ひ、土方さん! ちょっと、離してください!」

土方は振り返りもせずに答えた。

「離したら、お前またなんかしら仕事すんだろ?」

「だ、だって……」

「だってじゃねぇ! 休めって言ってんだから休め!」

土方がこんな風に怒るのには訳がある。は事件の後、過労のために数日間入院した。退院こそ早かったが、くれぐれも無理はせずに、しばらくは仕事を休んで安静にするよう医師から言い含められたのだが、は全く言う事を聞かず、土方の目を盗んでは料理をし、掃除をし、洗濯をしようとする。見かねた隊士達が止めるのだが、は全くいうことをきかなかった。に言う事をきかせられるのは、今のところ土方だけだ。

「体動かしてた方が安心するんですよ」

「それでまた体壊したらどうすんだよ」

「気をつけてます。無理はしてません」

「自分の顔色見てから言え。それに、まだ体重も戻ってねぇだろ」

「分かるんですか?」

土方はそこで黙り込んだ。

「……土方さんのえっち」

「うるせぇ」

土方は屯所の外に出て、ちょうど通りがかったタクシーを拾った。

「お出掛けですか?」

土方はを見下ろして、いつになく真面目な顔で言った。

「お前もだぞ」

そうして連れてこられたのは、路地裏にある小さな小さな宿だった。一階は食事や酒を出す茶屋で、二階が客室になっている昔ながらの宿だ。土方は店主と馴染みらしく、気軽に挨拶をしてまっすぐに二階の一番奥の部屋に入った。小さな部屋に、小さなちゃぶ台、給仕が酒とつまみをいくつか持ってきて、無造作に並べていく。窓は開いていたけれど、庭に生えている大きな松の木の葉が部屋の中を隠すように伸びていた。

「座れよ」

土方は窓のそばに腰を下ろして、煙草に火をつけた。は促されるまま土方の正面に座った。

「今夜はここに泊まるんですか?」

「お前が休めっつってんのに休まねぇからだろ」

土方は二人分の酒を注いで、ひとつをに持たせた。

「ここは、俺が江戸に出てきた頃からの馴染みでな。小せぇ宿だし、警察にも、犯罪者にも縁がねぇ。はたから見りゃ、古びた普通の民家だし、盗み聞きされる心配もねぇ」

の目を覗き込む土方の目は真剣だ。土方が何を言いたいのかが分かって、は眉を八の字にまげた。

事件の後処理やの入院がばたばたと重なって、ふたりでじっくりと話をする機会がなかったから、土方はが気兼ねすることなく話ができるように、わざわざこの場所と時間を用意してくれたのだ。その気遣いや、優しさに胸が苦しくなった。

「まぁ、飲めよ」

土方がぶっきらぼうにそう言うので、は盃を軽く掲げた。

「はい。いただきます」

一口酒を口に含む。素朴で優しい味の酒だった。香り高く、鼻に抜けていく香りが心地良い。

ふと見上げると、土方は酒には口をつけず、じっと盃を見下ろしていた。

「土方さん? どうかしましたか?」

「……お前に、聞いておきたいことがある」

土方は重苦しく口を開いた。

「万事屋の野郎が、攘夷志士の白夜叉だって、お前は知ってたのか?」

思いがけないことを聞かれて、は面食らった。そういえば少し前に、何か話したそうにしていたことがあったけれど、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった。

「……どういうことですか?」

土方はしばらく迷ってから、言葉を選んで答えた。

「お前、あの野郎とは昔馴染みだって言ってただろ」

「えぇ。そうです」

「野郎が攘夷志士だって知ってて、俺に黙ってたのか?」

は慎重に、土方の顔色を伺いながら答えた。

「黙ってた、っていうつもりは、ありませんでした。私が銀さんと別れたのは、たぶん、銀さんがそういう風になる前だったんです」

「その話を聞いたこともなかったのか?」

土方の言葉は、追求するようにの胸を突く。こみ上げてきたのは、罪悪感だった。銀時との関係には何もやましいところはない。悪いことをしたとは思わない。なのに、話をしなかったというだけで、どうして土方は責めるのだろう。銀時を逮捕したわけでもないのに。

は盃をちゃぶ台に置いて、ぎゅっと唇を噛み締めた。

「……話さなかったことを、怒っているんですか?」

土方はぴくりと肩を揺らした。それを目の端に捉えて、は何だか、黙っていられなくなってしまった。

「銀さんは、私の大切な友達です……! 土方さんが知らないことがあったって、そんなの当然でしょう?」

「……?」

「どうして、たった、それだけのことで、責められなくちゃならないんですか……!?」

は言いながら、つい涙ぐんでしまう。鼻をすすったらそれが土方にも伝わったようで、土方は身を乗り出した。

「おい、別にそんなこと言ってねぇだろ」

「言ってます!」

はなんとか涙を収めて、呼吸を落ち着ける。土方はその様子をじっと眺めていたけれど、ふいに、腰を滑らせてを抱き込めるくらい近くに座り直した。涙のせいで赤く染まった頬を、土方の手が撫でる。その手は、なぜかとても、冷たかった。

「万事屋の野郎が、攘夷戦争の頃に活躍したっていう、攘夷志士白夜叉だと分かったとき、すぐに聞こうと思ったんだ。けど、いざ聞こうとすると、聞けなかった」

「……どうしてですか?」

土方はぎゅっと眉を寄せ、の耳を優しく掴む。少し熱を持ったの耳に、土方の冷たい手はとても心地良かった。

「もしお前が、あいつが白夜叉だっていうことを知っていてそれを黙ってたんなら、俺はお前を真選組から追い出さなきゃならねぇ」

「……私を、追い出すんですか?」

予想以上に傷ついた声が出て、は自分でも驚いた。けれど、土方の方が痛そうな顔をしている。の耳をつまむ指に力が入って、少し痛む。はその手に自分の手を添えて、土方の指に自分のそれを沿わせた。

真選組にいられなくなる。そう思うとぞっとした。土方とずっと一緒にいると決めたのに、もうそうすることはできないかもしれない。

けれどそう考えた途端、の心に掛かっていた枷が音を立てて外れた。

「……私も、話さなくちゃならないことがあります」

は、土方の手を握り返して決然と言った。

「銀さんのこと、知ってました。ただ、その頃私はもう銀さんと一緒にはいなかったので、その時の銀さんが一体何をしていたか、私は知りません。それから、銀さん以外にも、昔馴染みの攘夷志士がいます。私は彼らのことがとても大切で、家族みたいに思ってます。もう、一緒に生きることはできないけれど、ずっと細い糸で繋がっていると思ってます」

土方はじっとの目を見つめて話を聞いている。その目は恐ろしい程に真っ直ぐでとても怖かったけれど、はそらさなかった。もう失うものなど何もない。そう思うと、ありったけの勇気が湧いてきて、今ならどんなことでもできそうだった。

「……それは、誰だ?」

「桂小太郎と、高杉晋助です」

土方の手が、の耳をちぎらんばかりにぎゅっと掴んだ。は思わず「痛っ!」と声を上げたけれど、土方はその手を離さなかった。土方は見たこともない顔をして、額に嫌な汗をかいている。は耳が痛くて涙目になりながら、その土方の顔をじっと見ていた。

「……本気で言ってんのか?」

「はい」

「……嘘、じゃねぇよな?」

「はい」

「……お前が吉田に誘拐されたのも、もしかしてそれが原因か?」

「はい。高杉くんとの取引のネタにされそうになったんです」

「……“高杉くん”って、お前……」

「そう呼んでるんです」

「……」

「土方さん。耳、痛いです」

はなんとか土方の手を耳から外して、その代わりにその手を両手で握り返した。ぎゅっと力の入った土方の手は、冷たく硬い。土方は呆然と視線を落として、の膝の辺りを見下ろしている。よっぽど傷つけてしまっただろうか。けれど、真選組にいられなくなるならそれもいいような気がした。土方に嫌われて傷つけてこの関係が終わるなら、後腐れがなくていい。ずっと嘘をつき続けてきた代償だと思えばふん切りもつく。

そう自分に言い聞かせて、は必死に涙を堪えた。悲しくて仕方がなかった。

土方はしばらく同じ体勢のまま固まって動かなかったけれど、それに耐え兼ねたが手を離そうとしたら、強い力でその手を握り返した。

「……土方さん?」

がその顔を覗き込もうとすると、土方はびっくりするくらい大きなため息をついた。

「……もう、いい」

「え?」

「……もういい」

同じことを二度呟いて、土方はがばりと起き上がり、繋いだ手を引いて、を抱きしめた。

「俺が黙ってりゃバレない」

の耳元で、土方は呟いた。の細い肩を抱く手にぎゅっと力がこもる。それでもまだ足りないようで、両足を広げての体を挟み込んだ。

狭い空間にぎゅっと押し込められては息が苦しくなったけれど、それだけが原因ではなく、胸が苦しくてうまく息ができなくなった。なんとか言葉を紡ごうとするけれど、涙で声が上ずった。

「……追い出すんじゃ、なかったんですか?」

「追い出さねぇよ」

土方の熱い息が首筋にかかって、鳥肌が立つ。指が震えて、は土方にしがみついた。

「真選組に、いていいんですか?」

「いてもらわなきゃ困る」

土方は、涙で滲むの目を覗き込むようにして額と額をくっつけた。

「もうどこにもいくなって、言っただろ」

「……本当に? いいんですか?」

「しつっこいな。何度も言わせんなよ」

がまだ何か言いそうに口を開いたので、その言葉を奪うように土方は唇を押し付けた。

土方に抱きしめられながら、はふと、沖田と山崎の顔を思い浮かべた。そういえばあのふたりは銀時とのことも、桂と高杉とのことも知っているのだけれど、土方はふたりが知っていることを知らないはずだ。それを伝えたらどうなるだろう。想像するだに、また事態がややこしくなりそうだから、しばらくは黙っていることにしよう。はそう決めて、口付けの合間に土方に微笑みかけた。

「土方さん」

「なんだよ?」

土方は切羽詰った声で言った。

後ろめたい気持ちなしに土方の顔を見られることが、は何よりも嬉しかった。銀時や桂や高杉とのことは今でもとても大切で、細いけれど確かな糸で繋がっていると思っている。それは土方にも断ち切れない強い強い糸だ。

土方ともそんな糸で繋がっていたいと、は思う。願わくば、その色は赤いといい。運命みたいにはじめから繋がっていなくても、切れてしまったら何度でも結ぶし、古くなったら新しい糸に張り替えよう。土方のそばにいるために、自分にできることはなんでもしよう。

「私、なんだか、土方さんのことだいすきみたい」

土方は困ったように顔を赤くして、ぎゅっとの腰を引き寄せた。

「そりゃぁ、よかったな」




20141124