林の中を走り抜けながら、吉田は慎重にあたりを伺っていた。

 料亭の母屋の方角から荒々しい声と物音がして、「御用改めである!」と、真選組特有の掛け声も風に乗って聞こえくる。夜の木立の中にあっては、一体どこから誰が飛び出してくるか分からず、逃げた先に真選組隊士が潜んでいたら一巻の終わりだ。だが、それに恐れをなして足を止めることなどできない。異様な興奮に突き動かされて、吉田はがむしゃらに走った。

 こんなところでくたばりたくはなかった。だってまだなにも成し遂げていない。勝利をこの手に掴んでいない。欲しいもの何ひとつ手に入れていないし望みも叶えていない。

 吉田は自嘲した。ついさっきまで崖っぷちに立ったような絶望的な気分でいたのに、意地汚くあるかどうかも分からない小さな可能性にしがみついてみっともなくあがいている自分はこれ以上なく滑稽に思えた。けれど同時に、誇らしくもある。

 それもこれも、が尻を叩いてくれたおかげだ。吉田は指先を抱きこむように拳を握りしめ、の冷たい手のひらの感触を思い返す。囚われの身でありながら、どんな窮地に陥っても絶望せず、あまつさえ敵であるはずの男に発破をかけるだなんて、は本当におかしな女だった。

 そういえば、坂田銀時という男もおかしな男だったっけ。伝説の攘夷志士だの吉原の救世主だのと仰々しい肩書きを持つわりには、女達には散々な言われようで、実際に対面してみても人質を取られたと知っただけでみっともなく狼狽えていた。あれのどこがそんなに頼りになるのか、吉田にはさっぱり分からない。

 もしかすると、松下村塾の出身者はみんなそうなのかもしれない。もともと頭のネジが緩い人間が集まる場所だったのか、それともそこにいるだけでだんだんとネジの緩んでしまう教育を施される場所だったのか、どちらだろう。

 もしそうだとしたら、高杉のやることなすことに驚いてばかりいた自分は、あながち間違っていなかったのかもしれないと思う。倒幕を目標に掲げながら宇宙海賊春雨と手を組んだり、事件の裏の裏で手を引いて悪事を働く高杉は、正々堂々真正面から幕府と戦おうとする吉田とは真逆の頭をしていた。だいたい天人と手を組んだ幕府を潰そうとしているのに、そのために天人と手を組むなんて本末転倒ではないか。どうやら自分は自分でも思うよりずっと標準型の人間らしい。

 吉田は突然、首根っこを掴まれ茂みの中に引きずり込まれてしまった。真選組の追っ手かと腰の太刀に手が伸びたものの、その手を蹴り飛ばされ、痺れた指はしばらくの間は棒切れ一本握れそうにない。万事休す、と覚悟を決めた時だ。

「やっと捕まえたぞ。ちょこまかちょこまかと手間かけさせやがっておら」
「おい銀時! あまり手荒に扱うな! 懐に爆弾を持っているやもしれんのだぞ、爆発したらどうする!?」

 吉田の背を支えたのは、黒い長髪の美丈夫、夜闇にも輝く鋭い目をした桂小太郎、吉田の胸ぐらを掴んでドスの効いた声で脅しつけてくるのは坂田銀時だった。

「あれれ? ふたりともお揃いでどうしたの? 作戦に協力はしないんじゃなかった?」

 両手を開いて抵抗しない意思を表しながら、吉田は務めて明るく振る舞う。

「やられたら最低でも三倍にして返さねぇと気がすまねぇ性格なんだよ、俺は」

 銀時は桂に促されて胸ぐらを離すと、木刀で肩を叩きながら仁王立ちして吉田を睨み下ろした。桂は吉田の懐や袖の下に遠慮なく手を突っ込んで、爆弾や起爆スイッチを見つけ出してはぽいぽいと草むらに放る。吉田は為す術もなかった。

さんを助けに来たの? それなら向こうの離れだよ」
「あぁ、知ってる」
「そう。あ、もしかしてこの間あそこに忍び込んできたのは坂田さんなのかな?」
が何か言ったのか?」
「いや、でもあの日はただならぬ様子をしてたからなんとなくね」

 足首に隠し持っていた小さな爆弾を取られ、刀以外の武器を取り上げられてしまった吉田は、観念したようにため息をついた。

 桂は山積みになった爆弾を見て眉根を寄せる。

「お前、死ぬ気だったのか?」

 吉田はそれには答えず、笑顔のような表情を作って見せた。

「だったらちょうどいい」

 銀時は吉田の顎に木刀の先をあてがい、挑発的な目をして吉田を睨んだ。

「死水は俺が取ってやる。立てよ」
「わぁ、ご立腹だね。俺はそんなに坂田さんを怒らせるようなことをした?」
「今更笑ってごまかしてそれで通ると思ってんのか!? あぁ!?」
「分かった、いや、分かってるよ。さんは無事だから安心して」
「どういう意味だよ? ちゃんと説明しろ」
「離れの鍵を預けた。俺と一緒にいるとこ見られたらいろいろややこしいだろ」
「お前、取引に応じなければの命はないと言っただろう。どうしてそんなことを……」

 に殴られた頬の痛みがよみがえって、吉田は口元を引きつらせる。女のビンタ一発がこれほど効くとは自分でも驚きだった。

「……さんの命乞いに根負けしたんだよ。さすが、松下村塾の出身者は腹が座ってるね。まったく、どんな教育受けてきたんだか」

 桂と銀時はこっそり目配せをした。吉田は憑き物が落ちたような清々しい顔をしていて、江戸中を火の海にするなんておぞましい計画を立てた張本人とはとても思えなかった。
 銀時は一気に戦意が萎えてしまって、桂にひと睨みされて木刀を下ろす。
 桂は吉田と正面から向き合った。

「今、料亭に真選組の手入れが入っている。お前の仲間も何人か捕縛された。作戦は失敗だ」
「あぁ。俺もすぐに捕まるか、抵抗すれば斬って捨てられるかな」
「俺達に会う前に真選組と鉢合わせていたらそうなっていたかもな」
「どういうことだ?」
「俺が退路を確保した。仲間を先行させている。お前も逃げろ」
「はぁ? 何言ってやがんだよヅラ?」

 銀時がこぶしを振り上げんばかりの勢いで言うが、桂は頑として首を横に振った。

は無事なのだ。一先ずはそれで良しとしろ、銀時。手段は違えど、この国の未来を憂う気持ちは一緒なのだ」

 桂はぽかんと目を丸くする吉田の肩を掴むと、力強く言う。

「ここは一旦引け。また新たに力をつけて戻ってこい。その時は、この桂小太郎の元で存分に力を発揮してくれまいか?」

 吉田は笑った。肩を震わせ、泣きそうなか細い声を上げて笑った。こんな窮地に陥っても、自分の命を惜しんでくれる人がいる。それはなんてありがたく、誇らしいことだろう。
 この人に付いていこう。この瞬間、吉田はそう心に誓った。

「……恩に着ます。桂さん」

 ひときわ大きな爆発が起きて、夜の底が地獄の業火のように赤く染まる。離れに仕掛けた爆弾が爆発したのだ。

 吉田は高く上がる炎を見上げ、その熱さと眩しさに目を細めた。
 はうまく逃げおおせただろうか。もしまた会いまみえることがあるなら、聞いてみたいことがたくさんある。

 桂も高杉も銀時も、松下村塾で何を学んだら、そんなに強く生きていけるんだろう。
 ただただそれが、羨ましかった。
 自分もこの人達のように誰にも縛られず己の信念にのみしたがって強く強く生きてみたい。









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