高杉晋助は窓辺に腰掛け、けばけばしいネオンの光る吉原の街を見下ろしていた。三味線を抱え、何を弾くわけでもなく指先に弦をひっかけて音を鳴らしている。酒と肴が膳に並んでいるが手を付けた様子はなく、芸妓も追い払われたのか太鼓が部屋の片隅に残されている。深く思案に沈んでいるようにも、逆に何も考えずにぼんやりしているようにも見え、片目を包帯で覆われた顔は表情が見えない。
「しばらく見ない間に随分痩せたんじゃねぇのか?」
嫌味を言われ、吉田は苦々しく唇を噛み締めた。
「いくらか男前になっただろ。ま、お前には及ばねぇけどな」
「減らず口叩く余裕があんのか」
「おかげさまでね」
気配を感じて、吉田は襖の向こうに視線をやった。おそらく、高杉の側近が隣の部屋に控えているのだろう。鬼兵隊には、赤い弾丸と恐れられる銃の使い手・来島がいる。下手なことをすれば襖の向こうから心臓を撃ち抜かれるかもしれない。
けれど、ちっとも恐ろしくはなかった。吉田は自分でも不思議に感じるほど落ち着いていた。火事場の馬鹿力とはこういう時に使う言葉なのかもしれないと頭の片隅で思う。
「さっそくで悪いけれど、本題に入らせてもらう。あの計画を実行したい。力を貸して欲しい」
「そう言って俺が応じると思うのか?」
「もちろん、ただでとは言わない」
吉田は懐から
の巾着を取り出し、高杉の目の前、窓の桟にそっと置いた。高杉は何を考えているのか、無表情な眼差しでそれを見下ろした。
「協力してくれれば、
の身柄はお前に預ける」
隣の部屋から大きな物音がし、襖が開きかけてまた勢いよく閉じる。銃弾は飛んでこない。
「もし断るなら、彼女の命はない」
隣の部屋が静まった。なんだろう、大きな動物でもいるのかなと吉田は冷静に分析する。
高杉は静かな目で巾着を見下ろした。三味線を持つ手は緩く握られていて、音はもう鳴らさない。
「よく調べたな」
「調べるまでもなかったさ。みんな知っていた。都市伝説のたぐいみたいに思ってたから、本物を見つけたときは興奮したよ」
「へぇ」
高杉はやっと巾着を手に取ると、目を細めてかすかに笑った。吉田は背中に寒いものを感じて身構える。高杉がこんな風に笑うところを見るのは初めてだった。まるで冷たすぎて触れると火傷をするというドライアイスのようだ。
「あいつは俺のもんじゃない。取引に応じる意味はねぇ」
「大事な幼馴染なんじゃないの?」
「昔の話だ。煮るなり焼くなり好きにしろよ」
「その言葉、白夜叉や桂さんに聞かせてやりたいよ」
嫌味のつもりで吉田は言ったが、高杉はまるで意に介さず鼻で笑った。
「こういう取引持ちかけるなら、相手が違うんじゃねぇか?」
「どういう意味だ?」
「あいつはもう俺たちと関わりのねぇ人間だってことだ。幕府の犬の側についている」
吉田は驚きのあまり目を見開いた。
「……幕府の犬って、真選組か!?」
「なんだ、知らなかったのか」
狼狽する吉田を横目で見やって、高杉は声を上げて笑った。
「情報はやった。これで貸し借りはなしだ」
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2/5 20161231