爆破テロの事故現場から屯所に戻った土方を迎えた近藤は、開口一番に言った。

「死傷者の中にちゃんはいなかった」

 土方はそれを聞いた途端、崩れ落ちるようなため息をついた。本当に気が気ではなかったのだ。近藤は土方に座布団を進めて、煙草で一服させてから切り出した。

ちゃんの件については、行方不明事件に切り替えよう。周辺の聞き込みを中心に、捜査の範囲を広げていこうと思っているんだがどうだ?」
「あぁ。それでいいと思う」
「今日、松平のとっつぁんに応援を頼んできた。明日にも見廻組から何人か派遣されてくるはずだ」
「見廻組、か。まぁ、こうなっちゃ仕方がねぇな」
「現場検証の方はどうだ? 進展はあったか?」
「いや、今のところ目ぼしいもんは何もない。こっちでは古高とやらの尋問してんだろ? そっちは?」
「それがどうも、うまくいってないみたいだな。俺が見たところ、奴は拷問の訓練を受けていると思う」
「手間取りそうか?」
「そう思っていた方がいいな」
「俺がやる。いつまでも待ってられねぇだろ」
「まぁ待て、トシ」

 近藤は立ち上がりかけた土方の手を掴んで無理矢理に腰を落とさせた。土方は近藤を睨む。

「近藤さん! ことは一刻を争うんだ! こんな事してる間にも、あいつに何かあったら……!」
「トシ、少し落ち着け!」

 近藤の低く落ち着いた声が、土方にほんの少し冷静さを呼び起こさせる。土方が短くなった煙草の火を潰して新しいものに火をつけるのを見てから、近藤は穏やかに言い聞かせた。

「お前、昨日からほとんど寝てねぇだろう。捜査も尋問も、隊士達がちゃんと進めているから、今は休め。そうでないといざという時に体が言う事を聞かんぞ」

 他でもない近藤にそこまで言われては、土方も首を縦に振らざるを得なかった。

「なぁ、近藤さん」
「あぁ、なんだ?」
「……あいつはなんで帰ってこないんだと思う?」

 いつになく弱気な声で言う土方に、近藤は戸惑った。鬼の副長と呼ばれ、攘夷浪士はもちろん隊士達にすら恐れられている土方だ。それがこんな顔をするところを見るのは、付き合いの長い近藤でさえ初めてだった。
 近藤は努めて冷静な口調で言った。

「屯所に戻れず、連絡もできない事情があるんだろう。例えば、爆破テロを起こした犯人の顔を見てしまって囚われているとか……」
「もしそうだったら、口封じに殺されてたっておかしくねぇな」
「そう悲観的なことを言うな」
「考えられねぇことじゃねぇだろ」
「だとしても、その証拠が見つからねぇ限りは断定できん。怪我をして動けないだけかもしれねぇだろ」
「近場の病院は全部確認したがどこにもいなかった」
「病院でなければ、どこか知り合いの家に世話になってるとか……」
「だったら電話の一本でもするだろ」
「それもそうだな。やはり、犯人に捕らわれていると考えるのが妥当か」
「それを前提に捜査するしかねぇだろな」
「これは俺の個人的な意見なんだがな」

 近藤は無精ひげを撫でながら神妙な顔をする。

ちゃんは人質に取られているとは考えられんか?」
「人質? なんのためのだ?」
「こっちは古高の身柄を押さえている。ちゃんを引き渡す代わりに、古高を開放しろと犯人が申し出てくる可能性もあると思う」
はただの家政婦だ。どこぞのお嬢さんや幕府の要人でもあるまいし、本当にそんなことがあると思うか?」
「だが、トシ。お前とちゃんのことを犯人が知っていたとしたらどうだ?」

 土方は静かに目を見開いた。

ちゃんが、鬼の副長の意中の女だと、犯人が知っていたとしたら、その利用価値は十分なんじゃねぇかな?」
「……がこんな目にあってるのは俺のせいだって言いてぇのか」
「そうじゃない。可能性の話をしているんだ」

 土方は鞘に収めたままの刀を立て、その柄を手が震えるほどの力を込めて握りしめている。近藤はこれ以上の議論をするのは不憫に思え、労りを込めて土方の肩を叩いた。

「とにかく、今は休め。捜査を進めていけばいずれはっきりすることだ。いざというときのために刀の手入れをしておくんだな」





 部屋に戻った土方は、刀を床の間に収めて上着を脱ぐと、ひとり座り込んで煙草に火を点けた。灰皿には昨日から処理していない吸い殻が山積みになっていて、今にもそのへりから零れ落ちそうだ。
 いつもならが灰皿を掃除してくれていたし、部屋の隅に放っておいたシャツや隊服もいつの間にか洗濯され勝手に箪笥の中に戻っているのに、今朝方脱ぎ捨てたそれはまだ部屋の隅で団子状態になったままだ。部屋の隅に溜まった埃、畳の上に落ちた髪の毛。たった一日、この部屋を掃除するがいなくなっただけでこんなにも空気が澱んでしまった。

 部屋中のありとあらゆるところからの不在を突き付けられて、土方は自分自身が真っ二つに引き裂かれてしまいそうに思えるほどの痛みに唇をかみしめた。
 
 生きているか死んでいるか、それすらも分からない。近藤は休めと言ったが、の安否が分からない今、自分がちょっと睡眠をとったところでそんなことは全く意味のないことに思えた。

 江戸の町中、隅から隅まで駆けずり回ってを探しに行きたかった。大声を上げて遮二無二そこら中を走り回らなければ精神が保ちそうにない。そんなことをしても意味はないし、を助けるための何の手立てにもならないと分かってはいるのだが、そうせずにはいられないと、体の中にくすぶる何かが今にも暴れ出しそうだった。

 ふと、文机を見ると、ふきんが被せられた盆がおいてあり、その下には握り飯とお新香が行儀よく皿の上に並んでいた。女中の誰かが持ってきたのだろうか。腹は空いていなかったが、近藤にもよく休めと言い含められたことだしと思い、何も考えずに土方はそれを頬張った。
 
 握り飯の上に被せてあったふきんをよく見て、土方はまた胸を痛めた。それは、が手遊びに縫っていた花ふきんだった。屯所の中にはこんな細かい手仕事をする人間は他にいない。

 土方はふきんを手に取ると、じっと目を閉じてそれを握りしめた。








4/5 20161205