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1 これは誰かの陰謀か? 『今度の試合、見に来るんだろ?』 電話の相手は黒川政輝だ。いつも思うのだけど、あの顔に似合わない穏やかな声から、あのつり上がった鋭い目を想像する人はまずいないだろう。とりとめもないことを考えながら、はむすりと口を尖らせて返事をした。 「そのつもりだけど」 なぜはこんなに不機嫌なのか、黒川は疑問に思っているだろうけれどあえて尋ねてはこない。長年の付き合いで、がどういう性格かを熟知しているおかげなのだけれど、はその黒川に甘えてしまっている自分がとても嫌で、本当はその事にこそ苛立っていた。 『藤代から伝言。試合前にちゃんと控室来いよ、だとさ』 「そんなのいつものことなんだから、わざわざ言わなくたっていいじゃない。ていうか、なんでそれを黒川くんが?」 あの藤代の性格から考えて、への伝言を他人に頼むとは珍しいことだった。けれど黒川の答えはこれ以上ないほどあっさり返った。 『あいつ今彼女いるから。自重してんじゃねぇの?』 「あぁ、なるほどね」 言われてみればすぐ納得できることだった。 『一応、後でメールでもしといてやれよ』 「忘れてなければね」 『おう。それじゃ、試合でな』 プツッ、と電話が切れた音の余韻を感じているように、なかなか耳から携帯電話を離さない。不機嫌の原因がにそんな無駄な行動を取らせていた。つまりそれは、黒川との会話を講義中にも見たことのない真剣な表情で見守っていた3対の妙に潤んだ瞳である。 「ちょっと、」 一人が口火を切ったら後はもう止まらなかった。は質問には答えず、あからさまに面倒臭そうな表情を作ってカクテルを飲み干した。 「何よ、今の電話!」 「“クロカワ”って、A代表の黒川政輝だよね?」 「“いつものこと”ってバイトのことでしょ?」 「会う約束でもしたの?」 「いいなぁ。A代表の選手と知り合いなんてぇ~」 「すごいコネだよねぇ」 「ていうか紹介してよ! 合コンとか企画してさ!」 彼女達は筋金入りの日本代表サポーターなのである。多少ミーハーな一面はあるもののそれは仕方ないとして(今現在のA代表はイケメン揃いだと世間では評判だ)、普段は皆、週末となればスタジアムに足を運び、ご贔屓のチームのユニホームに身を包むサッカー通なのだ。 そんな彼女らにとって、ほど利用価値のある人間はいないだろう。 「やだよ、面倒臭い」 声のトーンを落として反抗した。 「なぁんでぇ? ばっかりずるい~」 「いや、ずるいって言われても……」 「いいじゃん、合コンくらい」 「そうだよ。それに、女の子紹介してって1回くらい頼まれたりしてるでしょ?」 「いや、別に」 「あぁあ。ってば冷たいんだから」 「あのね、冷たくしてるわけじゃなくて……」 「あ、分かった。私達に取られるの嫌なんでしょ」 「はあ?」 「いいじゃない、は黒川政輝で。他にもなんて贅沢だよ」 「そうそう! 友人に塩送るぐらいしてくれたっていいと思う!」 「ねぇだから、、合コン~」 「……」 はとうとう閉口してしまって、椅子の背もたれに体重を預けて仰け反った。彼女たちはテーブルをぱたぱた叩きながらまだ何か言っていたけれど、これ以上酔っぱらいの相手なんかしていられなかったのでは完璧に無視をした。 念のため言及しておくけれど、彼女たちとはゼミが一緒の友人同士である。決していじめとかそういった陰湿な関係ではないので、心配はしないで欲しい。 が現在のA代表選手の多くと知り合ったのは、今から9年前のことになる。当時、実の姉である西園寺玲がコーチを務めていた東京選抜で、ひょんな事からマネージャーを務めることになったことがそもそもの発端だ。それから半年の間だけ、都内各地で行われる練習を手伝ったり、韓国遠征に付き添ったり、なんとナショナルトレセンにまで参加したのである。 たった半年の事ではあったけれど、そこで知り合った面々とは不思議に離れることがなく、高校に入学した以降も放課後にお茶をしたり、試合を見に行ったり、高校在学中にプロ入りした水野や藤代には試合に招待されたり、Jリーグのテレビ中継を見たり、W杯観戦で寝不足になったり、日本代表サポーターと友達になったりと、今では全くサッカーにどっぷり浸かった生活を送っている。 友人達と別れた帰り道で、時間は夜の10時を少し過ぎた頃だった。は小さな学生アパートがそこかしこにある町を帰路についていた。もともと酒にはあまり強くはないので、少しからだがだるかった。帰ったらシャワーだけ浴びて寝てしまおうと決めて、足を速めた。 のアパートは2階建てのどこにでもあるような白い外装をしている。その2階の角部屋がの部屋だ。鞄の中から鍵を取りだして、鍵穴に差し込む。くるりと手首をひねった。が、扉は開かず逆に錠の下りる音がした。 「あれ」 その不穏な音には、ん? と首を傾げる。鍵をかけ忘れて出掛けたのだろうかと思うけれど、そんなはずはない。今までそんな失敗をしたことはないから、今日だけというのはおかしな話だ。自身のミスでないならばもしや、 (空き巣?) そうであったらただ事ではない。通帳も印鑑もきちんと隠しているとはいえ、もし盗まれてしまったら事だ。 はもう一度ゆっくり鍵を回して、できるだけ音を立てないようにノブをひねりドアを開けた。灯りがついている。誰かいるらしい。ばくばくと高鳴る心臓の音を聞きながら、扉に身を隠すようにして部屋の中をのぞき込んだ。 「お、やっと帰ってきたか」 ところが、は信じられない光景に、文字通り皿のように目を丸くした。警戒心だらけの不自然な格好で部屋の中をのぞき込みながらそんな格好をしているのはまるで道化だったけれど、はそんなことを考えつく余裕すら喪ってしまっていた。 そこにいたのは、覆面マスクをかぶった強盗ではなく、頭から足の先まで真っ黒な服を着た空き巣でもない。 「おかえり、。一年ぶりだね」 そう爽やかに軽く手を振って挨拶をしたのは、とても久しぶりに見るひとつ年上のはとこだ。相変わらずの憎らしいくらい余裕ぶった笑顔、首の後ろで結った尻尾みたいな髪、小柄だけれどそれでもより頭ひとつ分高い背丈。 の記憶が正しければ今はスペインにいるはずの、椎名翼だった。 20070830 修正 |