剣 唄
【次の週末、私の友達の婚約披露パーティがあります。一緒に行ってくれませんか? 透のことを友達に紹介したいんだけれど、どう?】
からの誘いを二つ返事で受けた安室は、その週末、支度を整えて
を迎えに行った。インターホンを鳴らしてオートロックのドアをくぐり、部屋のチャイムを鳴らす。
扉を開けるなり、
は目を丸くして大声を出した。
「やばい!」
安室はきょとんとして、自分の体を見下ろした。
の言う通りに三つ揃えのスーツを着てきたのだが、何か間違っていたのだろうか。上着の襟を両手で整えながら首を傾げる。
「やばいって、何が? どこかおかしい?」
「おかしくない、おかしくない! むしろ想像以上!」
「想像ってなんの?」
は満面の笑みを浮かべ、安室のネクタイをちょん、と引っ張った。
「うん、やっぱり、すごくいい!」
「だから、何が?」
は笑うばかりで、結局何も答えなかった。
カクテルドレスの裾をひるがえして部屋の奥に入って行く
の後について、安室も部屋に上がる。部屋は前に来た時よりも小ざっぱりしていて、物が少し減っているようだった。ウォークインクローゼットをこっそりのぞいてみたら、服も靴も鞄もほとんどなくなっていて、文字通りすっからかんだった。
「コーヒーでもどう?」
「あぁ、もらうよ」
はコーヒーメーカーのスイッチを押し、マグカップをふたつ食器棚から出してきた。
「ずいぶん片付いてるね」
と、安室が言うと、
は肩をすくめて苦笑いした。
「もう誰かさんに笑われたくないから」
「笑ってないよ」
が着ているドレスは両肩の出るチューブトップドレスで、裾がふわりと広がるプリンセスラインだ。ピアスとネックレスは揃いのデザインで、ティンカーベルの魔法の粉を振りかけたように肌がきらきら煌めいている。ゆるやかに巻いた髪は頭の後ろで団子になっていて、髪の束がひと房、肩に落ちている。
「どうぞ」
ふたり、見つめ合ったまま一口コーヒーを飲む。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「誘ってくれて嬉しいよ。
のドレス姿も見れたしね」
「これ?」
は裾を指先でつまんで、その場でくるりと一回転した。
「友達と相談して決めたの。海外の結婚式だと、ブライズメイドはおそろいのドレスでそろえるでしょう。その真似してね」
「きれいだよ」
「透も。男の人のスーツ姿はずるいよね、いつもの三割増しでかっこいい」
マグカップを持ったまま、ふたりはどちらからともなくキスをする。はじめは触れ合うだけのキス、それから角度をつけて唇を重ね合わせるキス、口を開けて互いの呼吸を確かめるようなキス。コーヒーの香りのするキスをしばらく楽しむ。
安室は
の唇を指で撫でてやりながら苦笑いした。
「ごめん。口紅落ちちゃったね」
「大丈夫。ちょっと待ってて」
は安室の胸を撫でてから、ウォークインクローゼットに姿を消した。
それを見送ってから、安室は改めて部屋の中を見回す。以前と比べて整理整頓されたというだけで特に変わったところはないように思えたが、念のためにベッドの下や、コンセントカバーを確認する。けれどどこも変わっているところはなくて、むしろ拍子抜けするくらいだった。
「お待たせ」
口紅を塗り直して戻ってきた
は、両腕を背中に回して何かを隠していた。
「何?」
「あのね、プレゼントがあるの。大したものじゃないんだけど、今日のお礼に」
の手のひらには、小さな小箱が乗っていた。安室はマグカップをテーブルの上に置いてからそれを受け取る。リボンをほどいて包装紙を開く安室の手を、
は緊張しているような照れくさいような顔をして見守っていた。
小箱の中できらりと光ったのは、ネクタイピンだ。小さな貴石がはめ込まれたシンプルなデザインで、ちょうど安室のスーツによく似合いそうだった。
「ありがとう、大事にするよ」
「よかった。ずっとどきどきしてたの」
は肩に落ちた後れ毛を指に絡めながら、伏し目がちに言う。その仕草があんまりかわいくて、安室は
の体を引き寄せて頬にキスをした。
美しく着飾った
を胸に抱きながら、安室は思う。
今夜は長い夜になりそうだと。
安室の運転で、都内のホテルへ向かう。
パーティーの会場はホテルの大宴会場で、ふたりが着く頃にはすでに大勢の招待客で賑わっていた。
今日の主役は三品ファイナンスの御曹司と右左銀行の令嬢で、招待客はこのふたりの家族と友人以外は、関連会社の関係者ばかりだった。よく調べてみれば、パーティの2時間前にホテルの会議室で両社の業務提携に関する会議が行われていたらしい。つまり、そういうことだ。
「新婦が、
の友達なの?」
ウェルカムドリンクを飲みながら安室が問うと、
は会場を見回して誰かを探しながら教えてくれた。
「そう。高校時代の親友でね、いつも4人でつるんでたんだ。あ! いた!」
の声の最後は、悲鳴じみた大声にかき消されてほとんど聞き取れなかった。人ごみの中から、
と色違いのドレスに身を包んだ女性がふたり、危なっかしい足取りで走ってくる。
はそれを受け止めるように両腕を広げて、高校時代の友人との感動の再会を喜んだ。人目も気にせず全身で喜びを表現する
には多少面食らったが、10代の少女に戻ったように女友達と笑い合う姿を見るのは悪くなかった。
友人ふたりとその連れの男ふたりを紹介されて、しばらく6人で談笑する。その内、照明が変わった。司会者がステージに登壇して、それぞれの社長の長々しい挨拶がふたり分、それぞれの社の遍歴の説明、業務提携に至った経緯などあくびの出そうな話が続き、今日の主役が登壇するまでに20分もかかる。新郎が新婦とのなれそめを簡単に紹介し、適度にのろけて会場の笑いを誘い、両社のさらなる発展を願ってようやく乾杯。
は新婦に声をかけるために、友人と連れ立って行ってしまった。
残された安室は、頃合いを見計らって手洗いに立つ。個室に入って人心地着くと、ネクタイピンを外して手のひらに乗せた。何かを仕込むにはあまりに小さな装飾品だが、世の中には小指の先ほどの大きさの発信機を使う子どももいる。用心するに越したことはない。
結果、安室の努力はむだに終わった。ネクタイピンは何の変哲もないネクタイピンだった。
「あれれー、安室の兄ちゃんだ!」
拍子抜けして手洗いを出た安室は、足元から聞こえた声にほんの少しだけうんざりした。
「こんなところで何してるんだい? コナンくん」
コナンはジャケットに半ズボン、赤い蝶ネクタイを締めたいつもの格好で、何がそんなに楽しいのか上機嫌ににこにこ笑っていた。
「園子姉ちゃんが蘭姉ちゃんを招待しれくれたんだ。新郎さんの会社が、鈴木財閥の子会社なんだって。安室の兄ちゃんは何してるの?」
「彼女に誘われたんだよ。新婦が高校時代の友達なんだって」
「へぇ、そうなんだ」
会場に戻る安室の後を、コナンは小走りで着いてくる。
「さっき
さんに会ったから、もしかしたら安室の兄ちゃんも来てるかなと思って。探してたんだ」
「よく
のこと覚えてたね、一回会っただけなのに」
「まぁね!」
コナンは会場に戻っても安室の足元を離れず、料理と飲み物が並んでいるテーブルまで着いてきた。コナンはコーラを、安室はサイダーを注文する。
「お酒、飲まないの?」
「車で来てるからね。コナンくんこそ、蘭さんのところに戻らなくていいの?」
「安室さんと一緒にいたって言えば大丈夫だよ」
安室は壁際に立って会場を見渡し、
の姿を探す。この人混みだったがすぐに見つかった。華やかなプリンセスラインのドレスは、この広い会場の中でもよく目立つ。
のそばに友人はおらず、ブロンドの髪を七三に分けた外国人と両頬にキスをする挨拶をしている。禿げあがった小太りの男とも同じことをして、そのふたりの間に立って話をはじめた。どうやら通訳をしてやっているらしい。
「
さんって仕事熱心だね。せっかくのパーティーなのに」
「まぁ、今日に限ったことじゃないよ」
「もしかして、どうしてもお仕事を優先しなくちゃいけない理由でもあるのかな?」
コナンは意味深な笑みを浮かべて安室を見ていた。いたずらを仕掛けて、ターゲットが罠にはまるのをわくわくしながら待っているような、誰にも解けないなぞなぞを出題して得意満面の出題者のような、そんな笑い方だった。
けれど、安室は罠にはまったつもりもなぞなぞを出題されたつもりもない。コナンの隣にしゃがみこんで顔を近づけて言う。
「何が言いたいのかな?」
「本当は安室さんももう分かってるんでしょ」
「君は何か、
について推理したみたいだけど、どうしてそんなことするの必要があるの? 君と
はなんの関係もないだろ」
「それが僕の特技だから」
笑顔でそう言われてしまえばぐうの音も出ない。
安室はコナンを観察しているし、コナンも安室を観察している。それはいい。けれど、コナンの観察力や洞察力が
に向くのはおもしろくない。知られたくないこともあるし、安室もまだ気づいていないことがあるならそれをコナンに先に見つけられるのは癪だ。
安室ははっとした。どうしてこんな子ども相手に対抗心を燃やして、
について推理したと得意満面のコナンに嫉妬心など覚えているのだろう。
「あのね、僕、安室の兄ちゃんにお願いがあるんだ」
「何だい?」
「安室さんの本当の仕事は、この国を守ることだよね。そのためには汚い仕事もするんでしょう? 僕みたいな子どもには言えないようなこととかさ」
安室はイエス、と答える代わりに肩をすくめてみせた。
「お願いだから、
さんをその汚い仕事に巻き込まないであげて。
さんのことを本当に大事に思っているなら」
「……君は
の何を知ってるんだい?」
「安室さんと同じだと思うよ」
コナンの真意を測りかねて、安室は眉間に皺を刻む。
たった2回会っただけで
の何を理解できるというのだろう。安室には話せないことも、子ども相手ならば口が緩むということだろうか。それにしても、コナンの2回よりずっと長く濃密な時間を、安室は
と過ごしているというのに、どうして、コナンと話をしていると焦燥感が湧き上がってくるんだろう。
コナンは安室の様子を見かねてか、そっとその場から立ち去った。それで少し冷静になった安室は、サイダーを傾けながら思案する。
は派遣会社に所属している通訳で、会社からは主に会議などの席で行うビジネス通訳の仕事を斡旋されている。その合間を縫って、日本を訪れる観光客を相手に通訳案内をしていて、それは主に友人や顧客からの紹介で得ている仕事だそうだ。海外からの観光客が激増している今、通訳のなり手が不足しているくらいで、
はあちこちから引く手数多だ。
安室が
に近づいたのは、組織から指令を受けたからだ。コナンは
が肌身離さず持ち歩いているパスケースを見ただけでそれを見抜いた。末恐ろしい子どもだと心底思う。どういうわけかコナンは組織が絡む事件となると必ず首を突っ込んでくるから、少しでも
に近づいて組織の情報を引き出そうという腹づもりなんだろう。
けれど、こんな場所でそんな忠告をしてくるということは、コナンもこの件については足を踏み混むのに躊躇しているのかもしれない。事件が起きたわけではないが、真実はひとつも見逃したくない。そういうことだろうか。
ひとりで考え込んでいた安室は、カメラのシャッター音を間近で聞いて我に返った。見ると、スマートフォンのカメラを構えた
がすぐ隣に立っていた。
「何ぼーっとしてるの?」
にやにやと笑いながら
が言う。
「少し考え事をしていただけだよ。急に撮らないでくれよ、びっくりするだろ」
「だって、せっかくスーツかっこいいんだもん。ひとりにしてごめんね」
「さっきまでコナンくんと話してたよ。暇つぶしにはなったかな」
「なんだ、透も会ってたんだ。連れてきてびっくりさせようと思ったのに」
「タイミングが悪かったね。友達はいいの?」
「みんな知り合いに挨拶してる。こういうところで人脈広げるのも仕事のうちだから」
「せっかくの婚約パーティーなのに」
「まぁ、今日の役割は花嫁側の友人としての添え物だしね。気兼ねない話はまたの機会にとっておくよ」
「そういえば、
って高校どこだったの?」
「聖ポーリア」
「え? そうなの?」
すでに調査済みのことだったが、安室は大袈裟に驚いたふりをした。
「意外?」
「東都でも指折りのお嬢様学校だろ」
「もっと上品で奥ゆかしい女性が卒業するところだと思ってた?」
「そこまでは言わなけど……」
は声を上げて笑った。
「それは女を簡単に考えすぎてるよ」
「そんなつもりはないけどな」
「ならいいけど。透こそどうなの?」
「俺?」
「高校はどこ? どんな学生時代だった?」
安室は少し迷った末、組織から与えらえた完璧な嘘の経歴を話した。
話している間中、胸が痛んで仕方がなかった。
パーティーが終わり、安室と
はふたりで会場を後にした。
「二次会、行かなくて良かったの?」
「いいの。また会う約束してるから」
夜の街は明るい。行き交う車のヘッドライト、ビルの航空障害灯、繁華街を彩るイルミネーション、ライトアップされた鉄塔。まるで天の河の中を泳いでいるような気分になる。
はハンドルを握る安室の肩に手を置いて言った。
「今日は、本当にありがとう」
「楽しかった?」
「うん。みんなで集まるの久しぶりだったし、昔に戻ったみたいだった」
「良かったね」
「でも、透は退屈だったでしょ?」
「そんなことないよ」
「嘘吐かないで、顔に書いてあるよ。私のわがままに我慢して付き合ってくれたんだよね」
安室は困った顔をして頬を掻く。我ながら、感情がすぐに顔に出てしまうところは、潜入捜査官として致命的だと思う。学生時代から教官にも友人にも何度も指摘されたが、結局どんなに訓練しても直せなかった。だから安室は、その欠点も利用する術を覚えたのだ。
「それじゃ、俺もひとつわがまま聞いてもらおうかな」
「何?」
「行きたいところがあるんだ、少し寄り道するよ」
「いいよ、行こう」
さっそく安室はギアを入れ直して車線を変える。前を走る車をすいすい追い抜いていく様は、空から見れば天の河を横切る彗星のように見えただろう。
星の中に紛れて姿を隠すように車を走らせ、安室が向かったのはとある埠頭だった。無料の駐車場は空いていて、街灯が少なく闇が深い。車を降りると足元もほとんど見えず、
は車を降りるなりヒールを引っかけてつまづいた。安室はすかさず隣に立って腕を取る。
「ありがとう」
「こっち」
安室に手を引かれてその方につま先を向ければ、目の前に絶景が広がっていた。まるで地上の銀河だ。宝石箱をひっくり返したか、世界中の金銀財宝を集めて一所に集めたようだった。漆黒の海は星と宝石を引き立てるためのビロードで、空に輝く月は宝石を照らす照明だ。
あまりの美しさに、
は言葉を失った。
「ここ、来るのは初めて?」
安室が言うと、
は小さく頷いた。
「きれい。すごくきれいね」
「よかった。喜んでもらえて」
しばらく、ふたりは無言で夜景に見入っていた。こんなにいい景色なのに、ふたりの他に人影は見えなかった。聞こえるものと言えば、遠くを走る車のエンジン音と、コンクリートを静かに撫でる波の音だけだった。
夜風が冷たいのか、
はむき出しの肩を抱くようにして肌をさする。安室は上着を脱いで
に着せかけてやった。当然、安室の上着は
には大きすぎて両肩が落ちてしまい、
の体まで小さく見える。
安室は
の肩を抱いてそっと引き寄せた。たたらを踏んだ
の靴のヒールが、アスファルトを叩いてコンコンッと二度鳴った。
「どうしたの?」
「
は何か誤解しているみたいだから、言っておきたいことがあるんだ」
「何?」
「俺が退屈してたって言ったこと。退屈してたんじゃなくて、ちょっと考え事をしてただけ」
「そうなの? 何考えてたの? 悩み事?」
「まぁ、そんなところ」
「話して」
と、その時だった。
海から夜風が吹き付けてきて、ふたりの髪を激しく乱す。ドレスの裾がひらめいて、
は両手で上着の前を握りしめる。安室は
をかばうように風に背を向けた。
風が収まるまで抱き合ってやり過ごす。
「大丈夫?」
「うん、平気」
そう答えた
の髪が、風に乱されて四方八方にはねていた。前髪が片目を隠し、耳元の後れ毛が唇に張り付いている。安室はそれを指先で直してやった。
濃いシャドウに縁どられた目元、蝶の羽のようなまつ毛は一陣の風さえ起こしそうで、髪が張り付いた唇は赤くしっとり濡れている。
暗闇でも分かるその官能的な艶に、安室は頭を殴られたような気分になって、乱暴に
を抱きしめてキスをした。安室の上着ごと抱きすくめられ、
はつま先立ちになって安室のたくましい体にしがみつく。けれど、
が力を入れなくても安室の腕は軽々と
の体を支えてくれた。
熱い胸板の向こうで脈を打つ心臓の鼓動が、触れ合った胸を通して伝わってくる。安室の鼓動は
が驚くほどの早鐘を打っていた。まるで全力疾走をした後か、心臓が破裂しそうに緊張している人のようだった。
息が続かなくなって唇を離したとき、
は思わず聞いた。
「どうしたの?」
安室は息を切らせながら思い詰めた調子で答える。
「俺はいつも感情的になりすぎるんだ。昔から自分の実力を過信しすぎるって言われてきたし……。けど、これが俺なんだ」
「ねぇ、何の話?」
「
が好きだ」
「……私もだよ」
「たとえ何が起きても、俺は
を守るよ」
「何? それ。まるで私が誰かに命を狙われてるみたいな言い方だね」
安室は角度を変えてもう一度キスをし、
が笑い混じりに言った言葉を聞かなかったことにした。
番外編 街角マルガリータ(R-18)
20190603