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14 三上の背中を追って保健室まで向かう間、誰ともすれ違わなかったのは幸いだった。こんな所をサッカー部ファンの女子生徒に見られたら、また何を言われるか分かったものではない。 授業が始まる時間だったから当たり前なのだけれど、体調の優れないはそこまで頭が回らない。 扉をノックして返事がなかったけれど、三上は構わずノブを回した。部屋に入ってすぐ目に入る青いカーテンに「外出中」の張り紙があった。 「先生、いないみたいだな」 「……はぁ」 「ベッド使うくらいいいだろ。勝手に寝てろよ」 「……はい」 三上はカーテンが空いたままベッドを指差して、にそこを促した。はもう何を考えることも面倒くさかったので、素直にそれに従う。 靴を脱いでベッドに横になると、ふいに三上は苛々と声を荒くした。 「カーテンくらい閉めろよ」 そうして、に見上げられながら、仏頂面でカーテンを引いた。はそれをあっけに取られて見ていたけれど、カーテンの向こうに三上の姿が消えて安堵して、長く長く吐息した。顔を見ないでいられるだけで大分プレッシャーが減った。 「……先輩、用事あるんじゃなかったんですか?」 カーテン越しになら、声を掛けられる。その安心感にとろりと瞼が重くなった。眠気ではない、シーツが冷たく心地良いのだ。 「気にすんなよ」 カーテンを隔てているせいで、三上の声が遠い。椅子を引いてそこに座る音と気配がして、三上がそこにいるのが空気を通して分かった。 校庭で体育の授業をしているのだろうか、騒がしい音と気配がしている。先生が声を張り上げている。ざわりとした声の集団。甲高い笛の音。土の地面を走る足音。よく耳をすますと、それに混ざって風に揺れる木立の音が聞こえた。光が揺れる。白いカーテンの向こう側で、波のように揺れている。そういえば、もうすぐ夏が終わるのだ。蝉の鳴き声が切ない。 「何言われたんだ?」 三上の声が聞こえて、は首を巡らせて視線をやった。カーテンの向こうにはその影も見えないけれど、このまま黙っていては眠っていると思われてしまうかもと思って、相槌だけ打った。 「……はい?」 「さっきの奴らだよ。何言われてたんだ?」 「……はぁ、えぇと……」 思い出して見ようとするけれど、彼女達の顔が浮かんでこなかった。よっぽど体調が悪かったのか、目に映ったものが脳で処理できていなかったようだ。言葉は覚えている。藤代くんと付き合ってるの? 的外れな誤解だ。 「藤代くんと付き合ってるって誤解、されてるみたいで……」 「仲良いもんな、お前ら」 「付き合ったりとかでは、ないんですけど」 「知ってるよ。そんなことになってたらあのばか、周り中に言いふらして自慢しまくってんだろ」 「……そうなんですか」 「そういう奴なんだよ」 本を捲る、微かな音がする。三上はどうやら読書をしているらしい。それを聞いて分かる。用事があるなんていうのは、嘘だったのだ。と鉢合わせたのは偶然だったとしても、元々授業をサボるつもりだったのだろう。三上にとってはいい暇つぶしだったのかもしれない。 「黙っといてやるから、気にするなよ」 「……ありがとうございます」 三上はそれっきり黙りこんでしまったので、は重い瞼を下ろして、意識的に少し眠った。夏の終わりの音は心地良い。本のページを捲るさらさらという音。風。 授業終わりの鐘が鳴ってから少しして、養護教諭が戻ってきた。 「あら、生徒さん。どうしたの? どれくらい待ってた?」 三上は問い掛けられてから振り向いて、椅子から立ち上がると軽く会釈して挨拶をする。 「俺は付き添いです。具合悪いってんで、勝手にベッド使わせてもらいました」 「そう。寝てるのかな?」 「そうみたいです」 養護教諭は後ろを振り返って、ちょっと待っててね、と声を掛けた。誰かと思って視線をやれば、見慣れた笑顔に出会って三上はつい脱力してしまう。 「なんだ、三上じゃないか」 「渋沢か。どうかしたのか?」 渋沢は片手に持ったファイルを軽く持ち上げて見せた。 「この間、腕捻っただろ? その診断書を提出しに来たんだ」 「大丈夫だったのか?」 「あぁ。心配掛けて悪かったな」 「別に。平気なら良かったよ」 「あらぁ、女の子だったのねぇ」 と、養護教諭がぼそりと呟いたので、二人は同時に視線をやった。養護教諭はカーテンを少し捲ってベッドを覗いていて、眠っていたのが女子生徒だったことに驚いたらしい。 「誰?」 と、渋沢に聞かれたので、三上はどうでもよさそうに「東京選抜のマネージャー」と答えた。 「さんが?」 「たまたま廊下ですれ違ってさ。顔色悪かったから連れてきてやったんだよ」 「へぇ。さんと仲良かったんだな」 「そんなんじゃねぇよ。たまたまだ」 「そうなのか?」 「そうだよ」 養護教諭はカーテンを閉めなおして、「もう少し寝かせてあげようね」と言って自分のデスクに戻る。 「2年C組のさん、ね」 言いながら記録を付けるその手には迷いがない。顔だけを見ての学園とクラスを言い当てたようだ。が保健室の常連になっているという事だろう。それを聞いて、三上は呆れたようにため息を溢す。 「あいつ、そんなにここ通い詰めてるんすか?」 「うぅん。そうねぇ、編入生だから覚えてるって言うのもあるけどね」 「そうなんすか」 「元々そんなに体が強くないみたいよ。夏バテしちゃったのかもね」 「はぁ」 「前にちょっといろいろあったみたいだし。知ってる?」 二人にはすぐに分かった。東京選抜の合宿で、がリストカッターであることは周知の事実になったことだ。 「……はぁ、まぁ」 曖昧に頷いた三上に、養護教諭は悪戯っぽく笑った。 「三上くんの彼女なの?」 「違います」 三上はあっさり否定した。養護教諭はくすくすと笑って、渋沢は何とも言えない顔で苦笑する。眠っているを気遣って、静かな声で話をする三人は、どこか秘密めいていた。 「優しくしてあげてね」 「……どういう意味っすか?」 「仲良くしてあげてってことよ。さんのこと分かってるなら、尚更ね」 返答に困った三上は、助け舟を求めるように渋沢に視線をやる。渋沢は、肩を竦めて苦笑して、何も言わなかった。 20080720 |