09





九月になって、新学期が始まった。

幸いはルームメイトの夏名と同じクラスに転入したので、大した問題もなくクラスに溶け込めた。元々夏名はクラスで目立つ存在ではなく、どちらかと言えば空気を読んで周りに合わせる事を得意とするタイプだ。女子のみのクラスで生きやすいタイプの人だな、と、は思う。

「ねぇ、ちゃん本当に部活入らないの?」

「うん。どうして?」

始業式後のホームルームが終わった後夏名に問われて、は平然と答えた。
あまりにあっさりした答えが不満だったらしく、夏名は目を細めてふうんと曖昧に相槌を打つ。
は鞄に購入したばかりの教科書類を詰め込んで、その重さに閉口していた。

「だって、武蔵森の運動部ってスポーツ推薦制度あるくらいにレベル高くて、文化部も結構強いところそろってるのに、見学もしないで決めちゃうのかなって思って」

「そういうところ面倒臭いんだもん。帰宅部でもありなんでしょ?」

「そりゃそうだけどさ。出会いを求めたりしないの? 男女一緒に活動できるのって部活しかないのに……」

「そういう夏名だって部活してないじゃない」

「私は委員会に入ってるもん」

「それじゃ委員会でもいいじゃん」

「委員会の選考は一学期にしかしないの」

「ねぇ、何が言いたいの? はっきり言ってよ」

夏名はふいに、の耳元に口を寄せた。驚いたは身を引いたけれど、夏名があんまり真剣な顔をしていたので素直に耳を貸した。

って、サッカー部の人と友達なんでしょ?」

「え? 何それ?」

「友達なんでしょ? 藤代くんとか渋沢先輩とかと!」

「友達っていうか、何ていうか……」

「友達じゃない! 東京選抜で一緒にいるんでしょ?」

「まぁ、そう、だけど……」

「だったらサッカー部のマネージャーでもやればいいじゃない」

「嫌だよ。面倒くさい」

っていっつもそれだけどさ。うちのサッカー部って全国区だからすごく有名でね。学校内にファンクラブとかもあるのよ? その人達と知り合いってだけで皆に目付けられるの目に見えてるんだから。マネージャーになっておけばひとまず安心じゃない?」

「……夏名、うるさい」

「あ、ごめん」

から離れて、夏名は静かに口を口元を押さえた。
それを見て、は吐息して重い鞄を机の上に置き直す。立ち上がって、無表情に言う。

「先に帰るね。教科書片付けちゃいたいから。夏名は委員会でしょ?」

「……うん」

「じゃぁね」

「おーい、まだいるかぁ?」

と、突然担任の教師が教室の扉で声を上げた。驚いた生徒達は振り向いて、ほとんど同時にを振り返った。その視線の真ん中で、は気まずそうに片手を挙げる。

「はい」

「あぁ良かった。ちょっと職員室に来い。すぐにな」

何かしたの?」

と、夏名がいかにも心配そうに言うので、

「そんな訳ないでしょ」

と、は真っ向から否定した。





職員室を通して校長室へ通されたを待っていたは、の母親である静香だった。

転入手続きの際に挨拶に来れなかったことへの侘びを兼ねた学校訪問で、たおやかな着物姿の静香は教師達にとても受けが良かった。校長は編入試験のの成績を褒め、静香はそれに恐縮して笑った。は黙って大人の会話を聞いていた。

「いい学校ね」

学校を出て、静香と並んで歩いていたは、笑顔でそういう母親を横目で見て答えた。静香は夏物の着物にレースの日傘を差している。大和撫子という言葉がこれほど似合う人を、は他に知らない。

「広くて迷うよ」

「それは慣れればいい事でしょう」

「前の学校はこんなに大きくなかったもん」

「あらあら、相変わらずね。ひと夏会わない間にちょっと変わったかと思ったのに」

「何それ」

「ううん。別に」

は寮の門限があるので、静香はそのまま家に帰ることにした。は駅まで送るといって、のんびり歩みを進めている。駅までの道のりはそう長くはない。

静香は学校の事や、選抜の事や、玲の事や、慎重に選んで会話をした。とはまだ話せない事がとても多い。例えば、父親の事とか、病院通いの事とか。この年頃の娘は難しいというけれど、きっと人の想像しえる難しさの何倍も難しい事を、静香は笑顔でこなしていた。

「あら、ねぇ見て」

ふと、静香が目に止めたのは高いフェンスに囲まれた小さなピッチだ。はそれに目をやって、静香に見えないところで吐息した。
いくら選抜のマネージャーをしているからといって、それほどサッカーに興味があるというわけでもないのに、と思う。

「これってサッカーよね? 随分小さいコートね」

静香が見ているのは、公園の中にあるフットサル場だったのだけれど、生憎もそれがどんなものか分かっていなかったので何とも言えない。
フェンスの向こうでサッカーボールを蹴っているのは、とそう年の頃の変わらない男子達だ。学校帰りなのかなと、はそれだけ思って大した興味は抱かない。

「すごいわねぇ」

「そう?」

「すごいじゃない。あんな風にボールが動くのね……」

と、その時、突然ミスキックしたボールが高く打ち上げられた。それを目で追ったは、そのボールがフェンスに向かって飛んでくるのを見る。これはもしかしたらこちらに落ちてくるのかもしれない。なんとなく思っただけで、体は動かない。

「きゃぁ!」

悲鳴と同時に、静香の日傘が弾き飛ばされて飛んだ。



20080428