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私立武蔵森学園はその名の通り、敷地内に多くの植物が覆い茂る中にぽつんと建つような学校だった。門と校舎は赤煉瓦造りで、昇降口まで延びる広い道は石畳。芝生や植木はよく整えられていて、石畳の道に立つとそこを軸に、校舎も中庭も植木も、全てが左右対照になっているのが分かる。
あの父親が気に入るはずだと、は校舎の全景を見上げて溜め息と共に思った。

今日は武蔵森学園中等部への編入手続きの日だった。けれどが昨日までに蓄えた武蔵森に関する知識は、偏差値の高さと全国レベルのサッカー部の存在、それに所属する何人かの顔見知りの名前と顔だけだった。父親から送られてきた学校案内に目を通してもいないし、学園を訪れたのも今回が2度目。1度目は編入試験の時だった。つまり、ほとんど何も知らないと言っていい。

これから編入する学校の予備知識が一切ないとは、自身多少呆れるところではある。が、気にしても仕方がないし面倒臭いし、これからどうにでもなるだろうと割りきることにしていた。は大概のことに関してとても諦めがいい。意気揚々と、とまではいかないけれど、確な決意と勇気を持っては学園の門をくぐった。

ところで、は夏休み前まで籍を置いていた学校の制服を着ている。紺色に白のラインが入ったシンプルなセーラー服だ。ネクタイには学校の教育理念であるキリスト教精神を示す十字架が刺繍されている。胸元のポケットに刺繍された校章はそれだけでブランドものだ。が通っていた私立の女子校は都内では有名なお嬢様学校で、制服で街を歩くだけで人が振り返るほどの評判校なのである。衆議院議員である父親の趣味と金にものを言わせて入学させられたからすれば、こんな制服に愛着は全くない。けれどまさか私服で編入の挨拶に来るわけにもいかない。仕方がなかったというのが正しい理由である。

学園内で他校の制服を纏ったの姿はとても浮いていた。夏休みにも部活動に精を出す生徒は大勢いる。彼らはみんなユニフォームやジャージ姿だから尚更だ。はその視線全てを無視するよう努めて、できる限りの早足で歩いた。

「何やってんだ? お前」

と、突然声を掛けられて、は飛び上がらんばかりに驚いた。そしてこの声は一番出会いたくないと思っていた人の声だと一瞬で理解してしまい、はどうにか作り笑いを浮かべて、首だけ回して振り向いた。

「……どうも」

「どうもじゃねぇよ。うちの学校になんか用か?」

彼の名前は三上亮という。とは合宿で会ったきりで、それほど親密に会話をしたわけでもない。むしろの方は三上を嫌っているくらいだ。その理由は生理的なものなのだけれど、の三上に対する態度は少し異常だ。現に今、は額に冷や汗を浮かべ笑顔を引きつらせている。
他人からすればなぜそこまで三上を嫌悪するのか全く不思議なのだけれど、おそらくにも説明できるたぐいの感情ではない。

「ここに編入することになって、その手続きに来たんです」

の声は小さく、とても慎重に選ばれた言葉だ。

三上は、こいつは何をそんなにびくびくしているんだと顔には出さずに思う。けれどには嫌われているんじゃないだろうかと初めて会話をした時から気付いているので、に比べれば冷静ではあった。

「へぇ。編入すんのか」

「はぁ。まぁ」

「親は? 一緒じゃねぇのかよ」

「えぇ。一人ですけど」

「ふぅん」

三上は元々の目付きが鋭いので、萎縮して苦笑いしていると並んでいると、さながら蛙を睨みつける蛇のようだ。二人を知る第三者がこの場にいればきっとそう思ったことだろう。

「あれー? ちゃんじゃん!」

と、そこに救いの神の一声がかかって、は心底驚いた顔で振り向いた。

「何してんの?」

「なんだ、藤代か」

そう言ったのは三上だ。藤代はわざと唇を尖らせて気に入らなさそうな顔をしてみせた。

「なんだとはなんすか、三上先輩」

「他に何て言えってんだよ。何してんだ?」

「たまたま通りかかっただけさ」

藤代の後を追うように着いてきたのは渋沢克朗だ。

「こんにちは、さん」

「こんにちは、渋沢さん」

爽やかな笑顔で挨拶をする渋沢に、も腰を折って挨拶を返した。三上に対してとは全く違う態度で、三上はその理由を察しながらも内心苛立った。

「どうしたんですか? うちの学校に来るなんて」

「武蔵森に編入することになって、手続きに来たんです」

「え!? じゃちゃんうちの生徒になるの!?」

「うん、まぁ。2学期から」

「まじで!? じゃあさ、サッカー部のマネージャーになりなよ! 歓迎するよ!」

「なんで突然そういう話になるんだよ」

「え? いいじゃないっすか。ちゃん働き者だし」

「いやそういう問題じゃねぇし」

「なんでですか?」

「藤代。いい加減少し落ち着け」

渋沢が呆れながらたしなめると、藤代は素直に口を閉じた。は藤代が喋りだしてからただぽかんと目を丸くするばかりで、渋沢から見ればとても哀れな状況だった。

「それなら、職員室まで案内しましょうか? ここは不馴れでしょう」

「あ、ぜひお願いします」

「それなら俺も一緒に!」

ここぞとばかりに藤代は手をあげたけれど、

「藤代は三上と先に行ってろ」

渋沢はぴしゃりと言ってのけて藤代の勢いを萎ませる。それを見て三上は皮肉げに笑った。

「残念だったなバカ代」

「バカって言わないで下さいバカって!」

「じゃぁ、さん。行きましょうか」

「あ、はい」

渋沢に促されて、はその後を小走りで追った。なぜかを急かして早足で歩く渋沢は、普段の彼らしくない。知り合って日の浅いですら気づけるほどだ。
が渋沢の隣に並んでその横顔を見上げると、渋沢が横目でを見下ろしていた。その表情は苦笑に近い笑顔だった。

「何か着いてますか?」

「……いえ、別に何も……」

「そうですか」

渋沢ははっきりと明言はしないけれど、おそらく気を遣って三上と藤代から距離をとってくれたのだとは思う。は自分がマイナスの感情に関してだけそれが顔に出やすいことを知っていた。
は視線を前に戻して、に合わせてゆっくりとした足取りの渋沢の優しさを噛みしめた。

「渋沢さん」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

「気にしなくていい。まぁ、気持ちは分からなくもないさ」

「……そうですか」

新学期の不安要素が増えたと、は思った。



20071202